LA - テニス

TRAGIC LOVE
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最期はどうしよう、俺はとても冷静な気持ちで歩き始めて気付けばある建物の前に立っていた。
生まれ変わった場所、一から始まった場所、そこにはもうまともな人なんか居なかったけど…俺はそこに入っていった。
新たな始まりを迎えた場所で、新たな旅立ちをしたかったからかもしれない。何となく、何となくだけど。
そんな俺の中での始まりを示す場所に、人が居るなんて思いもしなかった。



壊れたように歌う君



「……こんにちは」

躊躇いがちに声を掛ければ振り返る。その人は…とても綺麗な女性だった。
俺が過ごした病院の屋上、そのド真ん中でフォークギターなんか抱えて。こんな場所で歌っていたのだろうか。

「こんにちは。君は此処の患者さん…ではなさそうね」
「いえ、元患者です。貴女は?」
「内定が決まってた職員よ。惜しいかな、なれないんだけど」

ふふ、と笑う彼女には異常さは見受けられなかった。
此処に訪れるまでに何人の発狂者と出会ったかは分からない。何人の息絶えた姿を見たか分からない。
そんな異常な事態の中に冷静に歩いて来た俺の方がよほどの異常者だったかもしれないけど、そんなことはどうだっていい。
消えてしまう。そう思えば今、こうしていることだって何の意味も為さないのだから。

「医者なんですか?」
「ううん。音楽療法士。就職難でようやく見つけたのになあ」
「それは…残念でしたね」
「本当。ツイてないや」

社交辞令。それはきっと彼女も分かっていて、それでも綺麗に微笑む彼女は穏やかな人だと思った。
ぽろぽろと弦を弾く指がとても綺麗で見惚れてしまう。もうこうなっては誰にも届かないのに、綺麗な音を奏でる。
不思議な人に出会ったものだと思うよ。こんな場所で、こんな時に。少なくともこんな穏やかな人なんて外には居ない。
少し前まで包丁を持った人に追われてたんだから確実にそう言える。同じ人間なのに不思議なものだね。

「それで、君は――…」
「幸村精市。貴女は?」
「名前なんてどうでも良くない?」
「……そうですね」
「で、その精市くんはどうして此処に?」
「それもどうでも良くないですか?」
「ふふ…そうね」

少なくとも今日中には何も無くなるんだしね、と笑う彼女に同じようなものを感じる。
途方もない漠然とした結末に足掻く術すら見つからず、かといって受け入れることも出来ない心。
本当に最期?なんて未だに思いつつも納得するようなしないような。周りに翻弄される一方でまだ自我が保ててる。
とてつもなく不安定な中でそれでも冷静。とてつもなく矛盾した、言葉に出来ないような…感情。

「ねえ、折角だから歌、聴いてってよ」

聴いていけも何も…俺は此処で刻々と過ぎていく時間を待つつもりだった。
だから静かに頷けば彼女は笑ってギターを抱え直して。俺は少しあった距離を縮めてその場に座り込む。
まるで野外授業を受けるようなカタチ。生徒は俺一人、先生は…名も知らない女性。


彼女の声は大気に融け、響いていった。
何の変化もない空の下、何でもないように融けて響いていく。
何の曲なのかは分からない。ただ穏やかに響いて、何でもない優しい歌で。
明日も、何の変わりも無く生きよと告げているような内容で…心に染みていく。


この曲を作った人は、まさかこんなことになるなんて思わずに素直なままメロディーに歌詞を乗せたと思う。
それを敢えてこんな時に歌う彼女は…一体、どんな気持ちでこの歌を歌っているのだろうか。

「……拍手くらい頂戴よ」
「あ…」
「音楽療法士としての仕事、第一回目なのにとんだ患者さんだわ」

……ああ、彼女は此処でやるべきことをして、消えたいんだ。
家を出る前に見たんだ。まだ機能していたテレビ放送の中で一人の評論家だろうか…その人が言ってた。
「最期に、やりたいことをして欲しいですね」と。彼女は…まさにそれを実行しているんだと思った。

「……精市、くん?」

どうしてだろう。彼女はこんなに生き生きと、ハツラツと笑って俺の前に居るというのに…
それとは対照的に俺は泣いていた。隠すことも出来ずに、頬に伝うものを拭うことも出来ずに、ただ泣いていた。

俺は…此処でやりたいことのために生まれ変わって、再出発は此処で弾けるように始まったんだ。
あの時は死に物狂いで懸命に、それだけのために体に負荷を与えながらも突き進んで来たというのに…忘れてしまってたのか。
最期まで、自分のやりたいようにする。此処で、学んだはずなのに。

「やだな。泣かれたら…療法士として失格だわ」
「……すみません」
「でもさ、イイ顔してるよ。君は壊れてなんかないのね」
「え?」

彼女は小さく頷いて、やっぱり笑ったまま同じ曲をまた歌い始めた。
最期までやりたいことを、彼女はし続けるのだろうか。誰も居ない、誰にも届くことはないこの場所で。

「……やっぱり、名前はどうでも良くないです」

「教えて下さい」と告げても彼女の歌声は止まることはなく、どんどん空気中に融けていく。
ようやく最期に、見つかったのに。それを教えてくれた人の名前くらい、最期に記憶しておきたいと思ったのに。
曲はエンドレス。歌は同じものを繰り返す。俺はそれを…ただただ聴いて、そして答えを待つ。

「名前、聞きたい?」
「はい」
「私の名前はね――…」



間奏の途中。簡単な会話の中で、ようやく答えが貰えると思っていたのに。

爆音と、頭上で光る何かと、驚く間は無かったと思う。

それに呑み込まれたから俺は…答えを聞くことは出来なかった。



でも…「有難う」だけは彼女の笑顔と共に、記憶された。




-壊れたように歌う君-



Cocco「ジュゴンの見える丘」を聴きながら書いたもの。
明日があるだろうから聴いて歌って。酷く心に残っていく歌です。
The End of the World 第1号(090217)
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