日本一面白くないコラム
春と修羅〜序〜
わたくしという現象は 仮定された有機交流電燈の ひとつの青い照明です(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといっしょに せわしくせわしく明滅しながら いかにもたしかにともりつづける 因果交流電燈の ひとつの青い照明です
(ひかりはたもちその電燈は失われ)
これらは二十二箇月の 過去とかんずる方角から 紙と高質インクをつらね(すべてわたくしと明滅しみんなが同時に感ずるもの) ここまでたもちつづけられた 明暗交替のひとくさりづつ そのとおりの心象スケッチです
けれどもこれら新世代沖積世の 巨大に明るい時間の集積のなかで ただしくうつされた筈のこれらのことばが わずかその一点にも均しい明暗のうちに
(あるいは修羅の十億年)
われわれがわれわれの感官をかんじ やがては風景や人物を信じるように そしてただ共通に信じるだけであるように 記録や歴史 あるいは地史というのも それのいろいろの論料といっしょに(因果の時空的制約のもとに)
すべてこれらの命題は 心象や時間それ自身の性質として 第四次延長のなかで主張されます
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