LA - テニス

08-09 短編
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「冬休みに入ったらすぐに山形に戻ることになりました」と、観月くんは何でもない表情でそう言った。



雪降る



彼がそんなに遠くからわざわざルドルフに来ていたことを知ったのは付き合い始めてからのこと。
全くと言っていいほどに訛りを伏せた彼には驚いて何度も同じことを聞いては確かめたのは今も鮮明に記憶されている。
何度も何度も聞き過ぎた所為で物凄く困りきった顔をした彼は、怒ることはなかったけれども溜め息を吐いて言った。
「そこまで言うんでしたら写真でもお見せましょうか?」と。その時に「ああ、本当なんだ」と認識したのは言うまでもなくて。

急に彼を遠くに感じるようになった。

冬休みに入ってすぐ彼は特に表情も変えずに久しぶりの帰省に溜め息を吐きながら準備をしていた。
勿論、それは寮内でのことで私はただ電話越しにその面倒さを聞くだけだった。大好きな観月くんの声で、変な気持ちを抱えて。


『お正月の三が日までは向こうで過ごしますが四日には戻りますんで、その時に初詣に行きましょう』
「うん。じゃあ…それまではおみくじは買わないでいるね」
『では僕もそうしましょう』
「うん。あ、これでおみくじ箱が撤収されてたらどうしようか?」
『その時は都内の神社を探し歩くしかないですね』

「おみくじが見つかるまで」その言葉は少しだけ私をホッとさせるものだった。
だってその間の時間っていうのは確実に私だけのもので、その間は一緒に居られるってことでしょう?
だったら…おみくじなんて神社から消えてしまってもいい。なんて、バチ当たりなことを考える自分が、確実に此処にいる。

『ゆい』
「ん?」
『お土産は何がいいですか?とは言っても大した物はあげれませんが』
「……観月くんが選んでくれたら、何でも嬉しいよ」

この言葉には嘘偽りはない。だけど…人って恐ろしく貪欲な生き物だから思うことはもっともっと違うものがあって。
だけど貪欲な気持ちを抑制する理性なんかも備わってるから、無理にでも平然と胸の内を隠して違うことを言えちゃうんだ。
凄い生き物だなーなんて、電話越しに苦笑している私なんて当然、観月くんは知らない。

『分かりました。では僕に任せて下さい』
「うん。楽しみに待ってるね」
『有難う。あ、そろそろ駅に向かいますんで…着いたらもう一度連絡します』


電話を切った後が虚しくて、ホンの少し此処から離れるだけのことなのに寂しくて、何をそんなに不安定になってるのかが分からない。
でも気付いてしまったことが一つだけあるんだ。それが自分の不安を大きくしてるってことにも気付いた。
遠い、遠い地にある彼の実家。そう、いずれ…彼はそっちに戻ってしまって向こうで暮らし始めるんじゃないか?って。
大きくなる不安が自分の不安定へと変わっていく。何故なんだろう、とか、分からないんじゃなくて分かりたくない自分。
ここで生涯が決まってしまうわけじゃないのにね、と思いはしているのに…何だか笑っちゃう。


自宅でボーッと待つこと何分あっただろうか。
最後の最後で真っ白になって予定すら埋められていない手帳を見て何とも悲しい思いをしてしまう。
来年になれば…とは考えるけども分からないのは今後のこと。埋まるか埋まらないか分からない手帳を買うだろうか。
そんなことを考えていれば携帯が鳴り始めて慌てて取る。こういうのは律儀な観月くんからだ。

「もしもし。駅には着いた?」
『ええ。ですが少し遅れてるみたいで…駅は寒いですよ』
「今からもっと寒いとこに行くんでしょ?弱音は吐かないの」
『……そうでしたね』

しばらく帰省していないから忘れてた、なんてらしくない台詞に笑った。笑ったけど心からは笑えない。

『ねえゆい』
「ん?」
『忘れたわけではありませんが…今日はクリスマスです』
「うん。大体、冬休みに入ったらそうだよね」
『ええ。それで、ですね。お土産とは別に欲しいものがあったら言って欲しい』

「え?」と言葉を返せば「何でもいいですよ」と返って来る。
欲しいものなんて…何も無い。「もの」であるはずもないものが欲しい。なんて言えない。

「今日は…いつも以上に私に気を遣うね」
『まあ…色々考えることがありまして』
「……そっか」

本当は、分かってるんだね。私が寂しい思いをしそうな気がするからって気を遣ってくれる観月くんは、とても優しい人。
うん。前から表情や言葉とは裏腹に優しい人だった。表向きの印象は何とも言えなかった時期もあったけど、本当の彼は此処にある。
きっと、どうしようもないことで何も出来ないことを、悔やんでる…と言うよりも胸を痛めてるんだろうね。

「あ、じゃあさ、観月くんは欲しいものある?」
『ありますよ』
「それ、私がプレゼントするよ」
『本当ですか?ですが…僕は欲張りでしてね一つじゃありません』
「きっぱり言うね…高くなければ全部でもいいんだけど」
『心配ないですよ。金額はそう…しません。ですが僕にとっては高価なものでしてね。どうしても欲しいんですよ』

どうしても、って言葉が耳に残る。どうしてもって思えるようなものがあるのに、金額はそうしないなら買うことも出来そう…だよね?
やっぱり寮生活は大変で節約を強いられてるんだろうか。あ、でも観月くんのことだから…自分で無理に節約してそう。

「分かった。じゃあ、全部プレゼントしよう。言って?」
『そうですね…ゆいが僕の質問に答えてくれたらいいますよ』
「はい?」
『ではまず一つ目』

有無を言わさぬ観月くんの言葉。笑って話してくれているのか、少しだけ声のトーンが高い気がする。

『貴女は本当に欲しいものはないんですか?』
「……ないと言ったら嘘になるかな?」
『では次。冬休み前後、貴女は手帳やカレンダーを眺めましたか?』
「あ、それは眺めた。さっきも見てたし」
『では最後』

手短に質問していく観月くん。通話時間が少し長くなっているのを気にしているのか、質問に対する返答もまた短い。
そういえば…と思って携帯を耳から外してみれば、通話時間がもう十数分過ぎている。

「ねえ観月くん、時間は――…」
『少しでも離れたら寂しいって思ってくれますか?』


クリスマスに帰省することが決まって、貴女は笑って「気を付けて行って来て」って言ってくれました。
夏に帰省が出来なかった僕に、僕の家族に気を遣ってのことだとは思いますが…正直、少し子供っぽくもふて腐れました。
まあ、帰ることは決定事項です。ですが…少しだけ先延ばしにして欲しいって、思ってはくれませんでしたか?


出掛け、もうすぐのリミット前にこれを聞いてくるのはおかしいと思った。此処で素直に答えたなら卑怯だとも思える。
だけど…こんな聞き方はないよね?こんな風に聞かれて、意地張って優しい嘘が言えるほど私はまだ大人にはなれない。

「思う、よ」

たった一言の肯定。寂しいって情けなくも思うし、先延ばしに出来ないか?って聞いてみようとも思ったんだよ。一度や二度じゃない。
帰省の話を聞いてすぐに手帳は真っ白のままなんだって思ったし、クリスマスから会えない、年末も会えない、てなったよ。
それでも言えなかったのにはちゃんと理由がある。困らせたくなかったのと、貪欲な自分を知られたくなかったのと。

『……有難う御座います。では、僕の欲しいものを言いますね』

あっさり、あっさりと私の言葉を受け流した観月くん。耳に当てていた携帯が今にも落ちそうになった。でも落とさなかったのには理由があった。
自宅のインターホンが鳴る。それも携帯を受けていない方と、受けている方と…両方の耳から同じ音。

『一つ、ゆいにいい加減、名前で呼んで欲しい』
『一つ、我慢してばかりでなくもう少し…我儘を言って欲しい』
『一つ、表向きの言葉でなく本心を常に口にして欲しい』
『最後に――…』

もしかしたら違うかもしれない。だけど、駅のホームであんな音なんかしない。今更だけどこんなに静かでもない。
人の声のしない駅なんてなくて、彼を乗せるはずの新幹線がここまで遅れたりもそうあるはずがない。

「は、じめ…っ」
「今日は僕に、攫われて欲しい」

思いっきり普段着で、思いっきり髪なんか跳ねさせているのも忘れて目の前の人に飛びついて。
両親が仕事に行ってて、姉が真面目に補講を受けに行ってて…良かったと思った。こんな姿、見られたなら何も言えなくなる。

「僕にしてはよく我慢したと自分で褒めたくなりますよ」
「……っ」
「欲張って申し訳ないですが全部頂けるみたいなので受け取りに来ました」
「観月…っ」
「おや?さっきは僕の名前を呼んだはずですよね?今更変えて欲しくない」

目の前には真っ黒なコートしか見えなくて彼の香りが私を包む。背中に回された腕が少しだけキツくて、だから自分も力を入れて。
きっと情けない顔で泣いてると分かってて、それでも顔を上げれば穏やかに微笑む彼が物凄く近くに居た。

「山形行きは年末ギリギリにしました。それまでの時間は全てゆいに差し出します。ですから…」


――同じだけ貴女の時間を僕にも下さい。


そう、そんなことを言われた日には頷くしか出来ない。
迷惑は掛けるし、罪悪感はふつふつと沸いては来るけど止めることは出来なくて。

彼の手を取って歩いて、辿り着いた先は何とも立派な場所で…何気ない仕草でどんどん建物の中へと入っていく。
きっと私だけじゃなく感情を表に出さない彼にも罪悪感はあると思う。それでも止めることが出来ないのはお互い様みたいで。
うっすらと開いていたカーテンを閉めようと手を掛けてた。その時に不意に呼ばれて傍に寄れば雪がチラつく。

「神からの贈り物…なんて、言うべきですかね?」

何だからしくなくて笑えば、そのままカーテンは開かれたまま。しばらくはその雪を眺めて時間が過ぎる。
降りゆく雪は積もるまではないけれど街のネオンには良く映えるものに見えた。

それから先の時間はお互いの願いを叶えるための時間。
欲しいものを貪欲に求めて、それでも足りなければまた求めて――…酷く甘い時間が過ぎていく。


――今日は僕に、攫われて欲しい

だったら貴方も、私に攫われて欲しい――…






-雪降る夜に-
クリスマス企画2008、第九作目。
リクエスト頂いたのの様へ捧げさせて頂きます。有難う御座いました(090113)

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