LA - テニス

05-07 PC短編
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---音楽を鳴らす



Pie Jesu, Domine, dona eis requiem.
 慈悲深き主イエスよ、彼らに安息を与え給え。

Dona eis requiem, sempiternam requiem.
 彼らに安息を、永遠の安息を与え給え。




この学院には聖歌隊でも存在するのでしょうか?
聴き惚れた歌声。立派な礼拝堂から聴こえて来る。
か細い声ではなく、むしろ太いくらいの…
それでも透き通るような美しい、声。

「…アンタ、誰?」

開いた礼拝堂の扉。
中から出てきた一人の女子生徒…

「盗み聴きなんてよくないんじゃない?」

声とそぐわないキツい口調と態度。
その目は鋭く、まるで弱者を見下すような…

「すみません。今日、転校して来たばかりでして」
「……」
「ウロウロしていたところ、貴方の歌声が聴こえたものですから…」
「……で?」

……で?そう言われましても。

「名前」
「あ、観月はじめです」
「そう」

聞くだけ聞いておいて、横を擦り抜けてゆく…
そんな女子生徒の手を無意識に掴んでいる自分が居た。

「貴方は?」

足を止めたから掴んだ手を離して…
振り返った彼女の顔を見つめると少しだけ微笑んでいた。

「志月ゆい」

それ以上、何を言うこともなく…
僕も彼女の行く手を邪魔することなく…
その姿は僕の視界から消えていった。


――心、奪われた。


彼女は学院内でも有名な生徒だった。
父親はこの学院卒業生の作曲家、母親は元オペラ歌手。
兄はピアニストを目指し、姉はバイオリニストとなった。
誰もが羨む家庭、一家で音楽家となるべく生まれた家柄の娘さん。

ただ、彼女はそんな家族の七光の下…
音楽一家の"トンビ"だと言われている。

トンビなどではないのに…
それは間違っているのに…
彼女は否定せずに音楽とは掛け離れている。


「…また来たの?」
「ええ」

昼休みの度に訪ねるようにした。
誰も近づかない礼拝堂へ、彼女と出会うために…

「私、歌を聴かれるの嫌いだって言ったわよね?」
「ええ」
「やめてくれない?」

人を拒絶しても、僕を拒絶しても…
"好き"だと思ってしまった以上、止められないものがある。

「僕も聴かれるのが嫌いです」
「…何が?」
「演奏」

礼拝堂の片隅に置かれたパイプオルガン。
誰も触れることはないという持ち腐れた代物。
誰が何のために寄贈したのか…

「貴方には聴かせたいです」

手入れされているパイプオルガン。
触れた鍵盤は少しだけ重く、軽くも思えるような感覚。



Pie Jesu, Domine, dona eis requiem.
 慈悲深き主イエスよ、彼らに安息を与え給え。

Dona eis requiem, sempiternam requiem.
 彼らに安息を、永遠の安息を与え給え。




パイプオルガンから奏でられる鎮魂曲。
礼拝堂に響いて、飲まれていく。
静かに、安らかに…聴かせたいんです、貴方だけに…
知って欲しいんです、僕のコトを。


「…Pie Jesu」
「貴方もお好きでしょう?」
「…習ったのがこの曲だけだから」

七光ではない。トンビなどではない。

「今からセッションしてみませんか?」

断り続けても何度でも誘うでしょう。
何かに縛られている彼女の解放と安息を与えるために…



◆Thank you for material offer ノクターン
御題配布元 CouleuR 綺麗な瞬間 5のお題「歌う声」


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