LA - テニス

05-06 PC短編
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不 協 和 音



放課後、普段なら気付かなかったと思う。

防音された音楽室から漏れていた音なんか…


「何だぁ。すっげぇデタラメ弾いてやがんなぁ」

「うわ〜ホンマ、すっごい迫力で弾いとるなぁ。誰やろ…」

「おい、忍足。見に行ってみようぜ」

俺はそう言って、忍足を誘って歩き始めた。

普段だったら、こんなピアノの音なら気にしない。

だけど、あまりにも曲にならない曲を大音量で弾いていて、それがとても気になったのだ。

「ホンマ、すっごいデタラメ臭いわ〜」

「だよな。騒音化してやがる」


近づく音楽室。その音楽の元へ、俺たちは確実に近づいていた。

何度も同じところを練習しているのか、本当にデタラメを弾いているのか…

それすらわからない音が廊下まで響き渡っていた。


「音楽室って防音してあるよな?それなのによくもまぁ…」

「適当にバンバン叩いとるんやから、これくらい大したことないんとちゃう?」

「でもよ、それなりに曲っぽい気もするぜ?」

俺たちは二重になっている音楽室の扉を一つ開けて中に入り、

ガラス張りになったもう一つの扉から、こっそりと中を覗き込んだ。

そこにはグランドピアノと向かい合う一人の女子生徒の姿があった。

「誰だ?あいつ…」

「あぁ。あいつ知っとるわ。ウチのクラスの子やねん。あいつが弾いとったんか…ほんならデタラメちゃうわ」

忍足が納得しながら、音楽室を見つめる。

「何でだ?」

「あいつ、ピアノのコンクールで優勝経験とかはないねんけど…実力派とか言われとる。それに監督のお気にやし」

コンクールに出る程の実力者なら、あの監督も気に入るだろう。

「へぇ…」

真剣に弾いてるのはわかる。だけど、つまらなそうに見えるのは気のせいか?

「さて、弾いとる奴もわかったことやし、戻ろうや」

「あぁ…」

俺は曖昧な返事をする。



彼女のつまらなそうな表情…

その顔が頭の中から離れない。



「やっぱり先に行っていいぜ?」

「えぇんか?ほんならお先」

忍足はそれだけ言うと、俺に背を向けた。



気付けば無意識に忍足にそう言って、また音楽室へ戻り、扉越しに彼女の音楽を聴いていた。

譜面板に広げられた長い譜面を見つめながら、

彼女はピアノに向かい合った体を揺らし、その激しい曲を弾いていた。

自分の世界に入っているのだろうか。

視線はピアノの鍵盤と譜面にしかいかない。

流れる不協和音がピタリと止んだ。


「…何やってるの?」


音楽室の扉が開かれ、彼女が怪訝そうな顔で声を掛けてきた。

「悪い。邪魔するつもりはなかったんだ」

「いつから聴いてたの?」

「わかんねぇ。結構、長い時間は聴いてたかもな」

俺はそう言うと、靴を脱いで音楽室へと入り込む。

「何か用?」

「別に…すっげぇオタマジャクシだな。こんなの弾いてるのかよ」

彼女は何も答えず、ただ警戒したような目で俺を見つめていた。

「あ、俺は跡部景吾」

「…知ってる」

「そうかよ。俺様は有名人だからな」

「…いろんな意味でね」

彼女はそう言うと少しだけ笑った。

それはホンの少しだが、その笑顔は俺の中の彼女のイメージを変えていた。

「お前って、いろいろコンクールとかに出てるらしいな」

「まぁ…ピアノは好きだからね」

「さっきの曲…やけに迫力ある曲だよな」

迫力というよりも曲ではないような…

曲にもならない不協和音にしか聴こえないモノだが…

「あれね。あれは特殊だよ。ポピュラーな曲じゃないし」

「曲名は?」

「…戦争ソナタ」

「戦争ソナタか…」

彼女はピアノに向かい合い、その戦争ソナタとやらを弾き始める。



最初の出だしこそ不協和音ではあったが、

その迫力的な音楽は次第に透き通るような曲調へと変化していった。

幻想的かつ不思議な音楽…



「どうだった?」

「…想像とは違う曲だった」

そう。それが素直な感想。

クラシックなんてまともに聴いたことがないのに、俺はその音楽に聴き入っていた。

戦争なんて言ったら、もっと激しいモノを想像し、ドロドロしたカンジのモノを表現するのかと思っていたから…

「でも、この曲が戦争ソナタの中では激しいの。作曲者がinquietoって名付けたくらいだしね」

「インクィエート?」

全く聞いたこともない単語に俺は首を傾げる。

「そう。戦争ソナタなんて最近の人が付けた名前。本当はinquietoって名前が付けられてるの」

「その意味は?」

「不安な…とか落ち着かない…って意味」

「そうか…」

何となく納得のいかない俺に、この単語はドイツ語だと彼女は付け加えた。

外国語には詳しいつもりだったが、この単語に関する知識はなく、

教えられた…というカンジに納得がいかなかったのかもしれない。




これでもかという程に動く手。

不安に満ちたような曲調。

それはまさに『inquieto』だった。




「変わった曲だったでしょ?」

「まぁな。コンクールでもこんな曲弾くのかよ?」

俺にとっては純粋な質問だった。

でも、彼女は少し暗い表情をしてピアノを見つめた。

「自由曲とか言いながら、講師に決められたポピュラーな曲ばっかり。だから、やる気なくすわ、評価も下がるわで最悪よ」

彼女はそう言うと、譜面板の楽譜をしまった。

「跡部君に愚痴っても困るよね。こればっかりは仕方ないもの」

薄く笑った彼女は何もかもを諦めたような、逆らうことも抗うことも出来ない、

まるで運命は全て決まっているかのような…そんなカンジに見えた。

「仕方ねぇなんて思ってる時点で終わってんだよ」

「え…」

「講師が何だよ。自由曲なんだろ?押し切ってでも今のを弾いてみろよッ。真剣にコンクールに挑んでる奴に失礼じゃねぇかッ」

「跡部君…」


勝てない勝負を最初から諦めて投げ出しているようにしか見えなかった。

やる気がないから、という理由を言い訳に逃げているようにしか見えなくて腹立った。


「講師のためのコンクールじゃねぇ。おめぇのコンクールだろッ?」

彼女は黙ったまま、その楽譜を握りしめた。

「…そうだね。講師の名を上げるためのモノじゃないわ」

「だろ?」

「うん。自信付いた」

彼女はようやく笑って、俺を真っ直ぐに見つめた。

「次のコンクールはこの曲で出るわ。押し切ってみせる」

「おぅ」

「…初対面なのにいろいろありがとね。私、今からレッスンだから」

楽譜を大事そうにカバンに入れると、パタンとピアノの蓋を閉じた。


「本当にありがと。また話そうね」

彼女はそれだけ言うと、手を振って音楽室から出ていった。

「あ…名前聞いてなかったぜ」





次の日も、その次の日も…彼女のピアノの音は響き続けた。

だが、俺はそこへは行かなかった。






一ヵ月後、彼女の名前を初めて知った。

音楽室付近の掲示板に、小さな記事が貼り出されていた。


志月、ゆい。コンクール結果・第二位。

それでも彼女は、満面の笑みを浮かべていた。



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