留置生活中は最初から最後まで接禁をかけられていた。
理由ははっきりとはわからんが多分事件に関与している人物との接触を懸念していたためだろう。
普通は事実関係を否認したり明らかに共犯がいてそいつがまだ逃げ回っているとかそういう場合に裁判所の方からちゃんと正式に言い渡される。
本当は接見禁止と言う
。その中身は主に弁護士以外との面会や通信を一切許されないというもので自分は自弁(所持金で必要な物を買う事が出来る)の際、官女さんに「自分は接禁やから便箋・封筒なんか必要ないやろ出されへんねんから」と言われたのを今でも鮮明に記憶している。(どうでもいいが)
完全に留置生活になれた頃、新入りがやってきた。
この子もまた夜中だった。

初めての経験だからかかなり多弁になり、いろいろ話しかけてきては注意され歌っては声が管理室まで聞こえてしまい

「遊びにきてんのとちゃうぞ!何のためにタダ飯食べられてる思とんねん!」

と怒られ、静かな時は少なかったが自分にとっては幾らか心地よいとさえ感じられた。

そして一拘留期間である十日間を終える。

しかし例外もあるようでほんの四、五日しか泊まっていない新入りは自分と同じ日に留置場を出、一緒に家裁へ連れて行かれ一緒に鑑別へと移送されたのである。
鑑別に入ると決まった時、新入りは少し涙を見せた。
新入りなりにいろいろ事情があるらしく留置中には見せなかった暗く悲しい顔を初めて見せたのだった。
家裁から出る鑑別行きの護送車には他にも少年が数人乗っており、バスガイドみたいな男の職員が偉そうに注意事項等を延べ偉そうに前の席に座っていた。

変な静けさの中護送車は走り始めた。

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