進級式が毎月必ず始めと半ばに行われる事は既に述べたが炊事生の抜擢等もその都度審査会で議論され15日間ごとに継続して同じ生徒でいくのか否かが決められる。自分は全部合わせて2ヶ月間程の炊事生生活を送った。炊事生に選ばれるのにももちろん条件あり。一級生である事は言わなくても分かると思うが感染病のキャリアだという人なんかも当たり前だがまず除外である。理由は述べなくても分かって頂けると思う。
そんなこんなであっと言う間に年少生活7ヶ月を過ぎ、最後の進級式を迎える。とにかく一の上になりさえすれば、赤バッジになりさえすれば、もう仮退院まで秒読み体制に入ったも同然である。だから簡単に進級出来るもんでもない。まぁほとんどの生徒がどの時期かで一度は落ちるのが普通といってもいい位だ。しかし運が良かったのか自分が本当に頑張ったからなのか全階級をストレートでクリアしてしまった訳である。最短の10ヶ月。厳密にはそれ未満である。自分より先に入った人達を何人も抜き、栄光の赤バッジを手に入れる事が出来た。入ったばかりの頃によく思い描いていた、気が遠くなりそうな月日を過ごさなくてはならないという妄想もここまできてしまえば欠片も現れない。社会を近くに感じ始める時期である。同期,同級の者で集まりそれまで考えられなかった社会話で盛り上がり、その内に不正通信とされる手紙のやりとりを重ね、何となくだが安心感を共有するまでに発展する。残り少ない寮生活だと思うと、社会に帰れる嬉しさだけじゃなく、それと同時に社会に対する大きな不安感を抱く様になる。人間何事も馴れてしまえばこっちのもんで、これから何か新しい事をするとなると不安で押しつぶされそうになったりする。ある程度こういう場所で生活しているといつの間にやら気持ちは井の中の蛙ってなもんで社会で生活なんて今までした事もないという気になってしまう。(自分だけかもしれないが)とにかく晴れて堂々と苑を出てフェンスの向こうでこれから暮らすなんて、もうとんでもなく不思議な事であり、全く想像もつかない大変な事態が迫ってきているという錯覚を起こすわけである。(自分の場合ね)だから人間何事も馴れてしまえばそれなりにやっていける様に始めから出来ているとはいえ苦労してせっかく手に入れた「安定」を捨て、[自ら新しい扉を開け、進まなくてはならない現実]を目にした時、多少躊躇したり不安を持つのも仕方がない事なのかもしれない。

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