オレとお前はいつも背中合わせ。正面から向き合うことをしたことがない。いつもお前の表情は見えない。いつもお前の声しか受け入れられない。
オレを見たくないからか。
お前を見られたくないからか。
どちらでもいい。どうでもいい。
裏と表の存在ではあるけれど、お前の全てが分かるわけじゃない。オレには透視能力なんて無い。だから、お前が考えてることも抱えてる葛藤もなにも分からない。
お前はいつも俺の左手を握る。オレである筈のお前の右手は、オレより小さく思えてしまう。どうしてだろう、分からない。さして興味があるわけでもない。だからどうだっていい。
お前が目の前に現れることを願ったからオレは此処に居るのに、現れたら顔を合わせることもなく背中合わせ。掌からと、オレの長い髪を隔てて背中に伝わる温もりは、いつもどこか寂しそうだ。
「もう、どうしたら良いか分からない」
オレの左手とお前の右手は繋がったまま。伝わる温もりもそのまま。聞こえる声は震えてる。泣いてる? 涙を流している? 分からない。見えないから、分からない。
「人を殺すのは邪王の役目。俺はお前に体を明け渡せばいい。でも、俺は苦しい」
「オレは今の状態にはなんの不満はないけどな」
オレは[負]の化身。躊躇も罪悪感も持ち合わせていない。人を殺すことは、オレにとってはただの遊戯。人間の命を奪うのは、オレにとってはゲーム感覚。
「オレにはお前が人命を奪うことに戸惑う理由が分からないな。人は殺せば死ぬ。ただそれだけだろ?」
「邪王にとってはそうだろうけど――俺にとっては、違う」
繋ぐ手に力が込められた。僅かな痛み。でもオレは振りほどかない。
「善滅丸によってお前は生まれた。だからお前は俺が持っている感情を持っていない。だから簡単に人の命を奪える」
「そう言うけどな…結局は、お前がオレに体を明け渡さなければオレはそれも出来ないぜ? お前にもそれは分かってるだろうが」
「………」
「お前は、殺しをするのが嫌なだけだ。バブウに逆らえないから、オレに意識を譲る。その方がお前は傷付かないから。そうじゃないのか?」
「……そうだよ。けど、たとえお前が殺しを働いていると理解していたって、結局は変わらないんだ」
オレの右手に触れたもう片方の手。その手は、血に濡れていた。
「俺が誰かの命を奪ってる。意識は無くても、体はその痕跡をはっきりと残してる。この血が揺るぎない証拠。俺は――邪王に嫌なことを押し付けてるだけに過ぎないんだよ」
どれだけ血を拭おうと、お前の左手にこびりついて消えない汚い血。それがお前の罪の証か。逃避など許さないという戒めか。
綺麗だったお前はもう居ない。オレが命を奪う度にお前は汚れていく。血の色も匂いも上塗りされていく。オレの行いはお前の弱さを強調させていくだけ。バブウはそれを喜んでいる。美しいモノを汚していくのは愉快だと笑う。お前はそれを知っている。オレもそれを知っている。
右手しか繋がないのは、オレにその血を移さないためか? オレが奪った命の象徴なのに、何故それを擦り付けようとしないんだ。
「邪王は優しいから、俺がやらないことを代わりにやってくれてる。邪王が文句を言わないのを良いことに、俺はいつも邪王に押し付ける。そんな邪王に、この血すらも擦り付けられるわけないじゃないか。俺の弱さが何もかもの原因なのに、俺だけが悪いのに…」
繋がっていた右手が離れていった。掌に残った温もりはすぐに消えた。背後からは泣き声。オレは何も発しない。ゆっくり振り返って、その後ろ姿を見つめる。
震える背中はか弱いもの。血に濡れた左手は紅くて、白い肌によく映えている。誰のものかも分からない汚い血でも、お前にはよく似合ってる。
「右手だけしか繋ごうとしないのは、その血のせいか」
「これだけは、邪王に押し付けたりしない。俺が、背負わなきゃならないんだ…」
「別に、さぁ」
左手を持ち上げて、口に運ぶ。舐めた血は暖かさなんて微塵も無くて、錆の味がするだけ。美味いもんじゃない。
初めて合わせた顔が驚愕と涙を纏ってるなんて、なかなか面白い。オレは視線を交叉させたまま、付着した血を舐めあげていく。
「邪王っ!」
「ん…なに」
「なにじゃない! お前、なんでそんな…」
「お前はさ、オレに押し付けるのが嫌だってことしか頭にないみたいだけど」
小指を口内に運んで、血の味が無くなるまで丹念に舐めてやった。爪の間も第一関節と第二関節の皺も根本も、余すところなくじっくりと。その間、顔が真っ赤だったのは本当に笑える。されたくないなら押し返せば良いのにな。
味が無くなったから最後にチュッと吸い上げてから口から出した。僅かに赤い唾液の糸が厭らしく繋がる。左手は、血の色を消し去って白さを取り戻した。オレの唾液がテラテラと光っている。
「オレと分け合う、って思えないのか?」
「わ、わけあう…?」
「オレはお前でお前はオレ。名前も感情もなにもかも違うけどこの事実は変わらないんだ。だったら、全て共有すればいいんじゃないのか?」
「そ、んなの…俺は、もう抱えきれない程の罪を邪王に押し付けたのに…!」
「じゃあ、これまでの分も共有すれば良いんだな?」
細い左手首を強く掴んだ。すると、白さを取り戻していた左手が再び血を纏い始めた。手の内側から湧き出るように、血は溢れ出してくる。なかなか止まらない血は腕を伝って床に斑点を作る。お前は驚くだけで止めようとしない。この血がどういう意味か、分かってるのか…。
「邪王…これ、この血は…」
「今までオレが抱えてきた命だよ。それを半分お前に移した。これで今までのことは共有した。これからは、お前がどれだけ嘆き悲しもうとも共有を止めたりしない。―――押し付けるのは、もう無しだ」
オレの左手とお前の右手を再び繋ぐ。汚れが侵食していないお前の右手は美しい。今は左手だけが血を纏っている。だけど、いつかはこの右手も血で濡れる。その時、きっとお前はオレと手を繋がなくなるだろう。オレが現れることすら拒むようになるのかもしれない。
共有と言ったが、心の痛みまで共有するわけじゃない。ただ背負う罪を分け合うだけ。抱く罪悪感は別々。オレはこれからも罪悪感は抱かない。お前はこれからも罪悪感を抱き続ける。
「全身が血に濡れるまで、罪を増やし続けてやるよ」
繋ぐ右手は未だ潔白。繋がない左手は真紅。噛み付くように塞いだ唇は錆の匂いを纏っていたけれど、甘かった。
――――
繋ぐ手と逆の手には
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