ヘッポコ丸が涙を流す姿を見付け、側についていたあの日から、ソフトンは度々『彼』と会うようになった。今まで、その存在も匂わせず、現れる素振りも何も見せなかった、あの子と真逆でありながら同じ存在である『彼』に。



あの子の涙を見て、しかし理由を問い質すこともせずに側に居たソフトンに何かを感じ取ったのだろうか。どういう思惑でその姿を晒したのか、本当のところはソフトンには分からないけれど。




『彼』は、あの子を裏側から支えていた存在だった。表側は言うまでもなく――あの子自身のことだ。『彼』は裏側からしか支えてやれない。だから、表側のこと全てには関与出来ない。如何なる場合でも、だ。



『彼』は、表側からあの子を支えてくれる存在を見付けたとでも…思ったのだろうか。あの子が抱く想いを、裏側からだけではなく、外から整えてくれる誰かを、待ち望んでいたのだろうか。ソフトンをその対象に、選んだということなのだろうか。



ソフトンには、『彼』の本音は見破れない。故に、真実は闇の中だ。



『彼』は時折 ソフトンの前にその姿を現した。現れる度、『彼』は色々な話を聞かせてくれた。




あの子が――ヘッポコ丸がどれ程思い詰めていたのか。


どれ程の涙を流していたのか。


どれ程想いを膨らませてきたのか。




話を聞けば聞く程に、ソフトンは己の無力さを悔いた。何時もビュティの隣で、天の助の側で、ボーボボの後ろで、そして…自分と共に明るく笑っていたあの子だったから。


内側に潜めた影に、気付けなかった。



「今にも腕切っちまいそうだぜ、アイツ」



何度目かの邂逅の時。話の途中で、邪王はポツリと不穏な言葉を口にした。思わず眉を歪めたソフトンを見て、邪王は小さく笑いながら言葉を継ぐ。




「アイツは昨日、ナイフを握った。死ぬつもりなんて毛ほどもないだろうけど…死なない自傷は、このままじゃ避けきれない」
「…ヘッポコ丸の精神状態は、そんなに悪いのか?」
「あぁ悪いぜ。普段普通に仲間と接してられんのが不思議なくらいだ」




仲間が――誰かが側に居る内は、自我を、精神を、正常に保っていられる。しかし孤独を感じれば、それは容易く崩れ去る。


そう、砂の城を壊すことのように簡単に。




「オレさぁ、分からねぇんだよ。そんな風に自分を追い詰めるだけの想いを、どうして消し去れないのかって」



小さな笑いはとっくに消え去っている。そこにあるのは、悲しげに揺れる真紅の瞳だけ。




「…あんなに苦しむなら、愛さなきゃいいのに」




吐き捨てるようにそう呟いて、邪王は悲しげに揺れる瞳を月に移した。ソフトンもそれに釣られて空を仰ぎ見る。ぽっかりと浮かぶ半分に割れた月の光は、何故か酷く弱々しく感じられた。




「愛さなきゃいいのに」――邪王は先程そう言った。きっと、その言葉は『彼』の本心の片鱗だろう。



『彼』はヘッポコ丸の分身のようなものだから。ずっとずっと裏側からあの子を支えてきたから。


気持ちや思考を共有しているが故に――苦しみも葛藤も、痛い程理解しているのだろう。だから、「愛さなきゃいいのに」と言ったのだ。このままずっと苦しむぐらいなら。





忘れてしまった方が、良いに決まっているから。






「でもよぉ」




邪王が再び静かに言葉を放つ。ソフトンは月から視線を外し、『彼』を見据える。




「ダメなんだよなぁ」




相変わらず『彼』は月を見上げ見つめたままだったが…その両の瞳からは、透明な雫がポタポタと零れ落ちていっていて。ソフトンはその雫に、デジャビュを覚えた。




―――『彼』とヘッポコ丸が、重なって見えたのだ。





そうだ、あの涙は、まさしくあの子が流していたもので…これからまた、流すはずだったもの。




「オレが想いを断ち切ろうとしても、アイツはそれを受け入れようとはしないんだ。あんなに泣いて泣いて泣き続けているくせに、諦めようとはしないんだ」




一陣の風が吹く。ヘッポコ丸と同色の…しかし異なる長さの髪を風に靡かせて、涙を流したまま、『彼』は語る。あの子の気持ちを代弁するかのように、ツラツラと語る。自分自身のことではないはずなのに…『彼』はヘッポコ丸を自分と見立てて、受け止めて――泣いている。



「オレには分からない。あんなに苦しんでるくせに、悲しんでるくせに、辛いくせに、どうしてあの男のことを諦めようとしない? 諦めれば全てから解放されるじゃねぇか。泣く必要もないじゃねぇか。なのになんで、どうして…!!」




悲痛な叫びだった。地に崩れて「なんで」「どうして」を繰り返し吐き出す邪王を、ソフトンはただ傍観するしか出来なかった。



ソフトンは思う。
『彼』が嘆く気持ちは分かる。しかし、ヘッポコ丸の恋い焦がれる気持ちもまた――分かるのだ。だからソフトンはどちらの背中を押してやるべきなのか、判断に迷っている。



両者の葛藤を理解しているからこその立ち往生。差し伸べるべきである手は行き場が定まらず、伸びることなく鎮座している。




邪王の叫びは何時しか途切れて夜の帳に融けた。しかし雫は途切れない。再び月を見上げる『彼』を照らす光は弱く、その姿を儚く強調させているようだった。





「…君は、ヘッポコ丸の幸せを、本気で願っているんだな」




素直に思い、感じたことだった。『彼』が今こうして涙を流し、悲痛に叫んでいるのは、他ならぬヘッポコ丸を想ってのことだ。

ヘッポコ丸が破天荒を想って泣くのと同じで、邪王はヘッポコ丸を想って泣く。嘘偽りのないその雫は、あの日見たヘッポコ丸のものと酷似しているように見えた。




「俺も、君と同じだ」




あの子の幸せを願うのは――その気持ちは邪王と同等だ。
…けれど。




「だからこそ、俺には分からない」




破天荒に対する想いを完全に断ち切ることが幸せなのか。


成就するまで変わらず想いを抱き続けたるのが幸せなのか。



どちらがあの子自身が【幸せ】と思えるのか。




「何を一番の幸福と捉えるのかは、ヘッポコ丸の意志だ」




ソフトンや…邪王が決めることじゃない。ヘッポコ丸にのみ、その選択権は与えられている。第三者の好き勝手な思考など、全くもって無意味なのである。




「俺達は――結局、何もしてやれないんだ」




苦々しく呟かれた言葉に、邪王は何も言わずにまた一筋の涙を零した。その姿がまたあの子と重なって、ソフトンは見ていられなくなって、邪王から視線を外した。









あの子の裏側の涙は、やはりあの子が流したものに見えてしまう。


あの子を救う手立ての見出だせない俺は、これからどうすべきなのか…。














――――
君とよく似た涙が見えた
the GazettE/REGRET



→『涙』シリーズ第二話。邪王の気持ちもヘッポコ丸の気持ちも尊重出来ないソフトンの話。

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