「…なんで居んの?」




ある宿屋の一室。
部屋に備え付けられていたシャワー室で汗を流して、ホカホカとした温もりと心地好い眠気に包まれながら部屋に戻ったら、何故かベッドに我が物顔で座っていた恋人、破天荒の姿に冒頭の台詞を投げ掛けた。


確かコイツの部屋は隣だったはずだ。此処に居るはずがない。真の同室者である天の助を探したが、見当たらない。…追い出したのか? コイツは。




「俺が居ちゃダメなのか?」
「ダメって言うか…それより、天の助は?」
「放り出した」



ケロリとそう言う破天荒。追い出したよりタチが悪かった。



悪びれた様子のない破天荒にハァ…と一つ溜め息を吐き、心中で親友に謝罪する。面と向かって謝るのは、朝になってからにしようと心に決めた。きっと今頃ボーボボさん辺りに泣いて縋っているに違いない。本当に申し訳ない。



「天の助の身にもなってやれよな」



どうせ出て行けと言ってもこの男は出て行かないだろうことは重々承知している。ので、天の助の人権(ん? 心太権? …分からない)をもう少し尊重するように諭して話を切った。冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出して一口飲んだ。火照った体に冷えた水が通っていく感覚が気持ちいい。




「で? 部屋に来て、天の助まで追い出した。その目的はなに?」



ミネラルウォーターを戻して、振り向き際にそう問う。時刻は日付が変わる間近という時。こんな時間にやって来て、まさか何も理由がない訳ではないだろう。
もし何もないのならば、本気で追い出す。そして天の助を探しに行く。これ決定。




「…なんだよ、言わなきゃ分かんねぇのか?」




俺の質問に呆れた声色でそう疑問で返してくる破天荒。言わなきゃ分かんないって……なんか約束なんかしてたっけ? 記憶を掘り下げてみたけど、そんなの無いはず…。あったらちゃんと覚えてるし(物覚えは良い方だと自負している)。



頭上にクエスチョンマークを飛ばしまくって首を傾げる俺を見て、破天荒は「ハァ」と嘆息して、言った。




「じゃあおバカなへっくんにいくつか問題を出してあげようかなぁ」
「放り出すぞ」
「怒んなって。んじゃ一つ目。今何時だ?」




俺のイラつきは流して、破天荒が指を一本立てて投げ掛けてきたのは、とても陳腐な質問。何故それを今聞くのか分からなかったが、俺は時間を確認するために部屋に掛けられていた時計に目をやった。



午前零時五分。



無駄話をしてる間に日付が変わってしまったらしい。




「零時五分…だけど?」
「はい正解。じゃあ次だ。今日は何日だ?」



立てる指が一本増えて、二本。二つ目の問題もあまりに陳腐なものだった。破天荒の意図が見えないまま、時計と同じく備え付けられていたシンプルなカレンダーに目をやって、日付の確認。




「…二月十三…じゃない、十四日」
「はい正解。じゃあ次だ。今日は何の日だ?」



立てる指が一本増えて、三本。三つ目の質問も、前記と同様のレベルのもの。


ここまでくれば、いくら鈍感だ鈍感だと言われている俺でも破天荒の言いたいことは容易に想像出来た。破天荒だってそれが分かってるんだろう、さっきまでの呆れきった表情は消えて、ニヤニヤとした笑みが貼り付いている。




なんて単純な思考回路なんだろう…俺はそう思って溜め息を吐いて、問題に答えを返す。




「バレンタインデー、だろ?」
「そう。ここまでは完答だな。んじゃ最後の問題だ。俺に渡す物は?」




指を立てるのを止めて、代わりに差し出されるその手。それは最早問題じゃなく質問じゃねぇか…と今度は俺が呆れた。




冷蔵庫を開けて、天の助に間違って食べられないように奥に隠していた色鮮やかな包装紙に包まれ、愛らしいリボンが飾られた箱を取り出す。破天荒の訪問の目的は、コレ――バレンタインデーの、チョコレート。
俺はそれを破天荒に投げ渡した。




「サーンキュー」
「明日の朝まで待てなかったのか?」
「明日の朝早々に、嬢ちゃんが一番に寄越してくるかもしれねぇじゃん。全員分作りました〜、ってな具合にな。せっかくのバレンタインデーだ。恋人から一番に貰いたいだろ?」
「……バーカ」



聞いてるコッチが恥ずかしくなる破天荒の言葉。言い方はおちゃらけてるが、目的はただ一つだけ――ただ一番に、俺からチョコを受け取りたいだけだったのだ。


あのチョコレート一つにどれだけの期待を込めて、コイツは此処に来たのだろうか。用意してないかも…というのは頭に無かったのだろうか。普段の俺は、破天荒に対
しては尋常ではない天の邪鬼っぷりなんだ。こんな行事をスルーしてしまう確率の方が高いとは、想像していなかったのだろうか。




…いや、きっとコイツはそんな事欠片も考えなかったのだろう。コイツは――破天荒は、普段の俺がどんなに素直じゃないと分かっていても、チョコレートを用意するということを確信していたんだ。



だから…今、時間を憚らず、天の助を放り出してまでして、此処に居るんだ。




包み紙を破らずに器用に開けて、中から現れたのは黄色の箱。その蓋を開けた破天荒から含み笑いが洩れる。



「うわーへっくんらしいぐらいにハート型じゃねぇ」
「お前にハート型のチョコなんか似合わねぇんだよ。だからそれで我慢しろ。文句は受け付けないからな」




「似合わない」なんて嘘。そんなのはただの誤魔化し。…俺が形にするのを躊躇しただけ。そんなの恥ずかしくて、出来なかっただけ。



その代わりに中に詰まっているのは、星やウサギや雪だるまなどの色々なファンシーな形をした小さなチョコレート。それの詰め合わせ。ビュティがみんなに配るチョコの型にそれを使用していたから、俺も肖らせてもらったのだ。


勿論、チョコは甘いものが苦手な破天荒の為にビターチョコをチョイス(黙ってつまみ食いした天の助が苦さで卒倒してた)。




「ハートが似合わないのは否定しねぇけど…こんなファンシーなのも俺には似合わなくないか?」
「ハートよりはマシだと妥協した」
「妥協ポイントがおかしくねぇ?」
「文句あるなら返せ」
「やなこった。どうせお前に返したってビターチョコなんか食わねぇだろ?」




まだ一口も食べてないのにビターチョコだと見抜かれた。




「うっせぇ。どうせお子様味覚だよ俺は」
「そう皮肉るなって。どーれ、一個味見…」
「夜中に食ったら太るぞ?」
「一個ぐらい大したことねぇよ。いただきます」



律儀にそう言って破天荒はチョコを一個口に入れて、すぐにその蓋を閉じてしまった。モグモグと口を動かしながら此方に近付いてきて、俺を素通りしたかと思えば普通に冷蔵庫を開けてその箱を入れてしまった。



意図が読めず立ち尽くしていると、近付いてくる破天荒の端正な顔。




キス、される――そう思った時には、既に俺の唇は塞がれた後で。




「ん…」




触れた唇から最初に感じたのは苦味だった。それは当然といえば当然のことなんだけど…だって、破天荒はチョコをまだ飲み込んでなかったんだから。



やっぱりビターチョコは苦くて俺好みじゃないなぁ…ってキスされながら考えてると、思考を遮るように割り込んできた破天荒の舌。おずおずと舌を差し出せば、それを伝ってチョコレートが俺の口内に入り込んできた。ダイレクトに感じる苦味に俺は顔を顰め、必死にそのチョコを押し返した。すると破天荒にそれを返される。それを俺は押し返して、そうすると破天荒が……その繰り返し。




「ふ……ぁ……」




ピチャリ…と濡れた音が耳を刺激して、それが異様に恥ずかしくて、顔に熱が集まる。うっすらと目を開けたら、破天荒の金色の瞳とかち合って。逸らされることなく、その瞳は俺を見ていて。


それだけで、また熱が上がったような気がして仕方無かった。





何度もお互いの口内を行き来したチョコレートはいつの間にか溶けて無くなって、香りと味だけしか感じられなくなってからようやくキスが終わって、破天荒の舌が――唇が――顔が、離れていった。足りなかった酸素を補うように息継ぎしていると、破天荒がクスクス笑いながら俺の頭を撫でてきた。




「苦かったか?」
「っ…あ、当たり前だろ」
「そりゃあ悪かったなぁ。けど、気付かなかったか?」




クッと顎を取られて、無理矢理交叉する視線。目尻に溜まっていた涙を拭われて。



また、金色の瞳が逸らされることなく俺を見つめてくる。




「ビターチョコだって、ちょっとは甘味があるんだぜ」




ベロリ…と俺の唇を舐めて、挑発的な色に変わった金色。この目をするのは、決まって欲望に正直になった時。




そうなってしまったら、俺の選択肢はただ一択。





「分からなかった」




だから、分からせてよ。


ビターチョコに支配された、その唇と舌で…ね。





挑発に乗るのが、俺に残された選択肢。挑発を一度も突っぱねることの出来ない俺が出来る、最善策。



欲に忠実なのは、破天荒だけじゃないんだよ――?






「次は、甘さを探すのに集中しろよ?」
「その前に俺を発情させるくせによく言うよ」
「お前が発情しなきゃいいんだよ」
「無理だよそんなの」



欲情しないなんて、そんなのは無理なんだ。


お前の唇が触れた瞬間から、俺は抗う術を捨ててしまうから。






再び触れた唇に苦味は無くて、代わりに感じたのは   ―――

















――――
ビターな愛の形
シド/orion

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