優しいBUCK-TICK入門

□優しいBUCK-TICK入門
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何せ活動が長いですので、何回かに分ける感じでザックリ(笑)!
そしてあくまでも初心者向けなので、しつこいようですがザックリしてます!
年代何かははしょりますので、その辺は公式HPとか見てくださいませ。





群馬県にあるとあるタバコ屋さん、今井商店。
わかると思いますが、今井さんの実家です(笑)。
いわゆる溜まり場。

電車の本数が少なく、駅近のこの場所に暇潰しで人が集まり始め、
いつの間にかアニィ以外の現メンバーも集まっていました。
色々な音楽を流しながら、
商店の利点である週刊誌ちょっと早く読んだり、タバコ吸ったりなんて感じで。

今井の一言でバンドを始めることになりました。

全員素人の『非難GOGO』の誕生です。

始めボーカルはアラキという同級生で、櫻井(当時は桜井)はドラム担当。
早い段階でオリジナル曲をやっていたようです。
(YouTubeで当時の映像が見れます)

諸々の事情でアラキが脱退し、ユータの兄であるアニィがドラムに就任し、
名前もBUCK-TICKと改名。
誰もが知っていて尚且つ目立って憶えやすい名前という理由で命名。確かに(笑)

有名な話で同郷の先輩氷室京介氏が
「お前は面が良いからボーカルになれ」と櫻井を推薦し、
ボーカルになったという逸話がありますが、本当は本人が自ら志願したそう。
※氷室氏がこの話をしたのは事実です。

誰も櫻井の歌声を知らぬまま結成された正にバクチバンドBUCK-TICK(笑)。

とりあえず群馬にいてはどうしようもないと言うことで、高校卒業後、東京へ進出します。
今井はデザイン系専門学校、ヒデは調理師学校という一応の名目で。
櫻井は出遅れ地元の車関係の仕事に就職。
まぁ、馴染めなかったようで(笑)その後上京。
ちなみにヒデはきちんと調理師免許を取得。

自分たちでチケットを売ったりしながらライブハウスに定期的に出させてもらうようになり、着実に名前を広めます。
そして太陽レコードからインディーズデビュー。

因みに当時の評価は技術ゼロ、センスと将来性のみを買われたそう。

レコード会社もまさにバクチ(笑)。

そして数社の争奪戦の末ビクターからメジャーデビュー。
ちなみに最初の作品はビデオ
『バクチク現象』でした。

ビデオでデビューという辺りからも分かるように、本人達の意向とは裏腹に初期はアイドル的扱いで、
名前も英語表記だったり。
テレビに出れば髪型の質問ばかり。

「なんで髪立ててるの?」

「若いうちが華だよ」
などテレビで浴びせられる嫌がらせのような質問に

「かっこいいと思ってやってます」と

サラッと答える当時のBUCK-TICK。
未だ現役なのは流石って感じですよね。

名前もそうですが、見た目も覚えてもらうために派手にしていたようで、
意外と考えてやっていた事だったみたいです。
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