「この毒」は恐ろしい。


名が一般的に出回って安っぽく使い回されているからと言って侮ってはいけない。一度呑み込んでしまえば即死、だなんてモノではないが、場合によっては死ぬまでリスクを負うことになる非常に危険な猛毒だ。
呑み込む瞬間の高熱と激痛、呑み込んでからの断続的に続く激しい動悸と極度の渇き、少しの鬱と不眠症、頻度不確定の偏頭痛も「この猛毒」が生み出す症状だ。

各個人によっては他症状だって見られるし、副作用も半端無いらしい。恐ろしいの一言に尽きる所がまた恐ろしい、故に猛毒と呼ぶのだろう。


個体差によって毒の強弱が違うと言えば河豚が蓄積する毒、テトロドトキシンを思い起こさせる。約二ミリグラムが人間の致死量という猛毒だが、食量が五〇グラム以下ならば十一匹分の十匹は致死量に達しない確率、なんて試験結果もあるらしいから、ある意味「此方の毒」の方が恐ろしい。


オレは幼い頃に「この毒」の名を知って以来、自分だけは絶対に呑むまいと決め、日々細心さを極めている。昔から面倒事が嫌いだった。間違って呑み込んでしまって病院で診断なんてされてみろ、いい恥曝しだ。何もかも理解っていて身を危険に晒して何になる。オレはそんな馬鹿はしない。


「この毒」は飲み込むまで気付かない、というのも特徴だったりする。前兆があるという説もあるが大抵は無意味だ。大きな流行り病があっても全員が全員感染予防対策に講じようとしないことや、例え講じる気があったとしても、たった一度うっかりと忘れた為に病にかかるということもあるくらいには、人間は何処か抜けている。河豚を食べなければ河豚の毒には当たらないように、だ。
自己防衛の思考を忘れた自信過剰が我が身を死に至らしめるのだ。前兆だって気付いた所で対策出来なきゃ意味がない。オレは絶対にそんな間抜けな真似はしない。常に用心に用心を重ね、少なくともギリギリの手前で立ち止まれる自制心を持とう。


名前が可愛いと言うとコプリン、忘れた頃に一定とは限らない症状がある毒と言ったらクリチジンとアクロメリン酸だろうか、共にキノコ毒だ。此方も一生キノコを食べずに生きる覚悟があれば当たりはしない。
また、「この恐ろしい猛毒」を精神的な根付きと考えると人畜無害と有害の住み分けに問わず人間に近しい所に存在しているカビ毒、マイコトキシンなんかも近いのかもしれないと思う。カビ等というものは必ずしも目に見えるものでないし、やはり恐ろしい。食べなきゃ平気、というような安易な対策で済ますわけにはいかない。


カビ毒で思い出したが、多種多様の形状も人間を悩ませる「この毒」の特徴だ。呑み込むまで、果ては呑み込んでも気付かない例がある理由は此処にある。「定まった形状を持たない毒」なんて、ちょっとした詐欺だ。カビ毒だって研究され、一般人ではわからないとはいえ形が定まっているというのに、有り得ない。しかし、有り得ない等と泣き叫んだって存在していることにはどうにもならないから、オレは常に見る目を養い、思考を研ぎ澄ませ、「この猛毒」の摂取回避に努め続ける。


嗚呼、蛇の毒というものは種類が多く、様々な成分の複雑な混合物で相乗的に作用するらしい。蜂の毒なんて「毒成分のカクテル」と表現する研究者がいる程だ。その点のみならば「此方の毒」と似ていると言って差し支えない。しかし、本来ならば洒落た名前や立ち姿が魅力的なはずのカクテルさえ蜂の毒ともなれば、ちっともそそられないという点からいけば、「此方の毒」には全く似ていないのかもしれない。同じ「猛毒」等という型に括るには横暴過ぎる代物なのか。いくら否定しても「魅力が損なわれない毒」なんて異常過ぎる。

いっそ、エンドトキシン等の細菌毒の方が近いのだろうか。魅力というものが内に取り込みたくなるものだとすれば、病原菌だけでなく大腸菌等の常に体内にいる細菌にも含まれていたりするとかいう細菌毒なんかの方がイメージ的には少し近付いた気がしなくもない。しかし、細菌毒は体内の中の「外側」に存在するから害が無いのであって、何の比喩も垣根も無い内側に侵入して来たら、ただの猛毒という存在に逆戻りしてしまうので、やはり「猛毒」という型を変えた方が理解しやすくなるのかもしれない、と一つ無言で頷いた。


何れにせよオレは「この毒」の症状の痛々しさも、診断された時の羞恥も、治癒後の後遺症も、全て理解っている。知っているからこそ万全を期して、絶対にオレは猛毒の摂取回避をし続けてみせると誓い、今日まで生き延びている。


あれ、もしかしたら植物毒なのかも。摂取量によっては薬になったりとか、








 
「古市、何してんだ」


あれこれと考えていた所へ突然、冷えたペットボトルを項に押し当てられてひっ、と裏返えった声が出た。気もなく目を通していた雑誌にも水滴が落ちる。

幾度となく行われてきた悪戯に今更に反応してしまった自分が悔しい。しかも押当てられる秒単位手前で、ペットボトルが近付いて来ている気配には気付いていたのだ。気付いていながらに避けられなかった悔しさは並の悔しさではない。いっそ不快と言ってもいいだろう。何という屈辱。
幼稚で在り来たりで浅はかな悪戯を仕掛けた幼なじみの馬鹿に一言申すべく、振り向きながら精一杯の力を込めてぎりっと睨んでやる。粗暴な幼なじみがこの程度の睨みに屈するわけもないが、力業では到底適わないので仕方がない。


「変な声出してやんの、アホめ」


案の定、渾身の睨みは通じず、目の前では長年連れ添った凶悪面がさも機嫌良さげな笑顔に変わっただけだった。不味い。

不意打ちだ。





















今、オレは確実に呑み込んだよ



どうしてくれるんだ、これでオレも感染者決定だ。オレの今日までの苦労を返してくれ、馬鹿野郎。もしくは、責任持って





これから訪れる中毒症状から救ってくれ





















 

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