※「シナプスとリンゴアメ」続
 過去捏造
 現在(高校一年)まで









甘くて薄い皮膚を食い破れば容易に届く芯だけど、届いた芯の扱いは、何時だってわからないままなのだ。





夏が終わって、秋が来て、でも秋というのはあまりに曖昧な季節だから、今日のように寒い日には秋ではなく冬がやって来たように感じられる。暦で感じるギリギリの風流心がお前は所詮現代人なのだ、と言っている気がした。


「、古市」
「何かつまづいた?」


出席番号から推測すると明日は男鹿が集中攻撃に合うだろうから、とオレは下準備をし始めていた。男鹿がわからないものはわからない、と答えればいいと主張するのにはオレも概ね賛成するものの、明日はコッケーがいるのだ。そんな悠長なことは言ってられない。
コッケーは国語の先生の渾名だ。あまりに「わからない」を繰り返す男鹿に焦れたらしい古風な先生様は以前、「いくらまだ若いとはいえ、これ程の無知も珍しいものだね。いっそ滑稽と表するに値する体たらくだ」等と小学生では戸惑ってしまうような言い回しを態とらしく使って男鹿を馬鹿にした。確かに男鹿は馬鹿だが、自分が忘れてきたくせに他人の机から教科書を断り無く拝借したり、宿題を写すばかりで一度もやったことがないようなヤツよりは間違いなく良い人間だと思う。コッケーの言葉等、男鹿は気にしていないと言っていたが、やって良いことと悪いことくらいある。いい大人がソレをわからないわけがないだろう。
そう思う度に無性に悔しくなって、本当は他人の癖や特徴なんかをわざわざ渾名にする行為が嫌いだったが、自分の愚かさを承知でオレはアイツをあえてコッケーと呼んでいる。男鹿も同じく、そういった類のことが嫌いで眉をしかめているが、これだけは譲れない。子どもには子どもなりのプライドがあるのだ。
とは言え、コッケー本人について、オレが殊更に出来ることもないので、こうしてムダに回転の良い頭を使って二度と男鹿が馬鹿にされないように気を配っている。男鹿も面倒そうにはしているが、嫌そうにはしていないので暫し付き合ってもらおうと思っている。


「何で将軍なんだろうな?」

 
教科書に目をやりながら尋ねてきた男鹿の言葉に、オレは少し首を傾げてから何ページ、と聞いた。男鹿の質問は唐突で内容を得ないものが多いので、オレはとりあえずのあたりを付けて答えてみる。男鹿が余程ひねくれた疑問を尋ねようとしなければ、勝手に答えても大抵外れないんだ。これでも幼なじみだからな。


「あぁ、冬将軍のこと?」
「そう、ソレ」
「冬将軍っていうのはモスクワに突入したナポレオンが極寒と積雪に悩まされて戦に敗けたっていう話からきてるだけだから、強い象徴なら別に将軍じゃなくたって良かったんだと思うよ」
「は?」
「だから、ただの冬って寒くて厳しいですねっていう擬人化表現なんだって」
「、ギジンカ?」
「…、冬って季節であって人間じゃないだろ?でも将軍って言葉使うみたいに人間扱いした表現をすることを擬人化っていうんだ」


去年、国語の時間にやっただろ、等と呆れて見せたがそっか、とだけ返ってきた所から思うに、殆ど覚えていなかったのだろう。学者になりたいわけじゃないから、古市から生活していくのに困らないだけの知識を教われば後は別にいらない、男鹿はたまにそんなことを言う。いざとなればお前に頼ると言い切る男鹿の将来も、男鹿に一生頼りにされ続けることが嫌じゃない自分も心配だ。


「じゃ、ナポレオンが敗けた時の話からきたってんならよ、」
「モスクワで敗けたってくらいだし、ロシア遠征の時の話じゃねぇの?、あれ?ちょい待ち。三世のクリミア戦争にもロシア軍関係してたよな、でも戦地がバルカン半島だったから、この場合は一世のロシア遠征だと考えてていいのか?」


悪ぃ、よく知らないから明日までに調べておくな、と続けた。男鹿はおぅ、と返事をしたが上手く質問は汲み取られなかったのだろう。明らかにまぁ、いいや、という表情だ。男鹿の本当にしたかった疑問は察せなかった事実から考えて、調べてもわからない部類の疑問だったに違いない。男鹿はたまに疑問に思っても当然だが答えの出ないような疑問を持つ。そういう質問は口に出される前にそっと消してしまうようにしている。答えが出せないような疑問も大切だが、答えらないのだから仕方がない。男鹿同様、将来学者にはなる気がないので勘弁願おう。









「…、覚えてる?」
「何を?」
「、冬将軍」
「ナポレオンが寒くて困ったんだろ?」
「じゃぁ、ナポレオンは何で寒くて困ったんだっけ?」
「雪に対する免疫少なかったんだろ?」
「地中海気候って?」
「地中海付近の気候で一年中あったかい」


幼かった、あの日のように今日もまた世界が赤に沈んでいる。呑み込む赤は眩くて、男鹿の唯一絶対の漆黒をも染め上げようと腕を伸ばしているが、男鹿は世界さえ呑み込む赤をも己の漆黒が栄えるように組み込まれた一つの要素へと貶める。男鹿の前では夕陽さえも形無しらしい。


「そんなに覚えてんなら、」


男鹿はきっと黒点なんだ。金鵄で八咫烏な男鹿は、本当はオレよりも賢いんだ。けして周囲に染まったりなんかしない誇り高い黒点の君。見上げて、眩しくて、それでも見つめ続けて、愛おしくて、こんな眼なんか早く潰れてしまえば良かったのにな、そうしたらお前はオレから解放される。オレだってお前を見つめ続ける日々を終わらせられるんだ。ちっとも等価じゃないけれど、きっとどうしようもない程に物足りなくて穏やかな、淋しくて優しい、狂おしい程平和な日々が過ごせるはずなんだ。
お前が望むなら自分以外の何もかもを許せる気がする。夕焼け色に栄える気高く綺麗な瞳は黒曜石のように見える。流されたりしない永遠の潤みが焔みたいで眩しい。心臓なんてなければ良かったのに、心臓の鳴き声で、お前との時間が無駄に騒がしくなってしまう。オレはお前の瞳を静かに見つめていたいだけなんだ。


「お前は、オレの眼が好きなんだろ?」


もっと無様に足掻いてくれなくちゃ、オレだけ必死に呼吸を求めているみたいで嫌だよ。十代の盛りを越えそうな年頃ともなるとどうしたって、常識に溺れそうになる。


「ちゃんと点数取れよ、馬鹿」


お前が愛してくれた眼を利己的に潰すことなんか到底出来ないから、早く抉り出す為の理由をくれよ。二度と世界に振り回されなくていいように、一刻も早く理由を与えてくれ。


「仕方ないだろ、アホ」
「何が?」
「お前の眼、」
「うん」


叶うはずもない望みは輝かしい太陽の闇の磁場に呑み込まれて、徒労に終わる。


「そのままのが、綺麗だから」


くしゃり、と泣きそうに歪んだ顔を見られないように少しだけ俯いた。ただ俯いたら可笑しいからノートにペンを走らせる。残念ながら簡単過ぎる問題は余計な思考までは散らしてはくれない。
男鹿は自分の発した言葉の重みには知らん顔で、そういや黒点は周囲より温度が低いんだっけ、なんて思った。男鹿も存外本気の沸点は低いから、ほら、やっぱり似たモノ同士じゃん。嗚呼、もう何も考えたくない。


「だから、」
「うん」
「だから、さ」


馬鹿な子程可愛いなんて嘘だよ、馬鹿な子程入れ込むに決まっているのだから、それで最後まで可愛いで済ますのは聖人君子様だけだ。大概の人間は依存してしまう。


「一生傍にいろよ」


頭の悪い口説き文句が降ってきた。極めて直情的で一般的で、それ故に最近ではなかなか耳にしない科白に少し呆れて、今度妹のお気に入りの少女漫画を借りてきてやろう、と誓った。


「…お前が、きちんと答えられるようになったら考える」
「結局ソレか」
「当然だろ」


巣立ちの準備が出来て尚、頼りない親の為に飛び立たない雛は今何を考えているのだろう。何を考えていたって、何時飛び立っても何でもいいから、飛び立つ刻にはどうかお前の宿り木を教え残していってくれ、と願う。上手く宿り木に生まれ変われたら、例えお前が帰って来なくたって帰って来る夢が視れるだろ。


「ちゃんと見届けてやるから、頑張れ」


声は震えていやしないだろうか。ダメだ、ダメだ。強くなりたい。世界を覆う夕焼け色みたいに、何処にいたって、何時までも、お前のことを思い続けていられるように。









林檎飴の、蜜が一滴、溢れたのには無視をした。



溢れ出した蜜が、林檎の甘さを囁いた。





















 

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