※過去捏造
 溺愛(軽病み





お前が知らない誰かと響かせる笑い声に、身体が冷えていくのだけを感じていた。お前が必然のように口にしたあの言葉に、オレは今も縋り付いている。














「、古市」


振り向いた幼なじみの表情は驚愕一色、その隣にいる女と少し離れた所にいる数人の男女の群れの顔は真っ青だ。そりゃ、そうだろう。悪名高き男が目の前で自分等の仲間の名前を呼び、不機嫌を露わにしているのだから。


「何でこんなトコに?」


ぽつり、と洩れた声に周囲の奴等の血の気が引いたのがわかった。ただでさえ真っ青だった顔色は真っ白で気持ちが悪い。こういうのを土気色と言うのかもしれない、とぼんやりと思っていると、周囲の不健康極まりない白い顔色をモノともしない、唯一健康的な白い容が迷惑そうに歪んだ。


「男鹿、プリクラ興味ねぇって言ったのに、何でこんなトコにいるんだよ」


中学にあがったばかりの幼い面を膨れっ面にして拗ねているようだ。可愛い奴だなぁ、と思う。周りの厚化粧この上ない仮面面なんか比べものにならない、すごく可愛い。


「せっかく、撮」
「古市君っ」


一番近くにいた古市好みの女が怯えたような顔で笑いかけてきた。古市は女好きだから、女なら分け隔てなく優しくするし、余程極端な幼女やら老婆やらでない限り恋愛対象だと豪語するが、決まってこういう中身のしっかりした気の利く女を一層に好んだ。


「あ、私帰る…ね?」


この女も古市のことは割と好ましく思っていたのだろうし、古市からの所謂紳士的な扱いも満更ではなかったのだろうが、それもほんの数十秒でひっくり返ったらしい。


「そろそろママに叱られちゃうんだ」
「あっ、そんな時間か」


そう続けた女の賢さに敬意を示したのだろう。古市は時計をちら、と見て確認したはずの早過ぎる時間についてさえ、何も言わなかった。誰もが好ましく思う胡散臭い笑顔を浮かべただけだ。


「じゃぁ、送」
「いいよ、いいっ、せっかく男鹿君来たのに悪いもん」
「そんなの気にしなくたって、」
「いいのっ、また今度遊ぼ?ね?」


社会的な気遣いに長けた女の薄らと引きつった笑みに古市は素直にうん、またね、と手を振った。一生モンのバイバイだと知っている癖にまた、と言える女と古市の賢さには呆れるしかない。


「続きは?」

 
馬鹿みたいな集団がいなくなるまで、にこにこと見送っていた古市に声をかける。途端に古市はムスッとした可愛い顔に戻った。なんか頭から丸呑みしてぇな、と思ってはいけないことを思いながら少しだけ笑いかけてやる。その他大勢が悪魔だ、という笑みで見つめてやった。


「続きは?古市」
「せっかく撮ってかえって自慢してやろうと思ってたのによ」
「ザンネンだったな」


そんな笑みも古市には何の動揺も与えない。そうでもないよ、とただにっこりと笑い返すだけだ。やっぱり可愛い、と再度思った後、オレは首を傾げた。


「…、何だって?」
「そうでもない、残念でもないんだって言ったんだよ」


人当たりの良い笑顔を悪戯っぽい笑みに変えて、古市は誰にでもわかる器用な御愛想の笑みで言葉を続ける。


「男鹿と撮るわ」
「オイ、イヤだぞオレは」
「まぁまぁ、男鹿のせいで逃げられたんだから責任とれ」
「オレのせいじゃねぇよ」


じゃぁ、そう言って古市の左手はオレの頬に添えられ、右手は眉間を柔らかく撫でる。少し冷たい手が気持ち良いから、逃げたくても逃げられない。


「大して不機嫌でもないのに、眉間に皺寄せてんなよ」
「眉間に皺なんか寄せてねぇ、元からこういう面だ」
「不景気面めっ」


古市はオレの些細な変化にさえ気付く。態と眉間に寄せた皺をゆっくりと引き伸ばしていく手が離れるのが嫌で、口元と共に緩みそうになる眉間に少し力を入れ続けていた。古市はそんなことさえ当然のように気付いていて、しかし心がわかるわけではないから、おそらく意地を張っているのだとでも思っているのだろう。駄々っ子のご機嫌取りでもするように押さえ気味に微笑んで、根気良く皺を伸ばしている。
何時までも触れていてほしいが、さすがに腕も疲れてくる頃だ。そのギリギリを見極めて、力をゆっくりと抜いてやった。そもそも眉間の皺は不機嫌の象徴で、古市の前であれば、なければならないものでもないのだ。


「ん、男前っ」
「元からだ」
「はいはい、よく言うよ」


満足げな笑みに不遜に返せば、呆れたように笑われた。それから、チャリチャリと小銭を入れたのを見て、本当に撮るんだな、と少し閉口したのは文字通り言わない方がいいのだろう。


「、男鹿」
「ん?」

 
厭に可愛らしいフレームを選ぶ、画面を見詰める古市の声がオレを呼んだ。前を向いていろと指示されていたので横目で盗み見た古市は、オレを見ていない点だけはどうしても頂けないが、変わらない綺麗な横顔だった。口元にのる薄らとした微笑みが可愛いと思った。


「お前は一生、オレの彼女な」


…、パシャ、と態とらしく響いた機械音。先刻は古市の言葉と重なっていた機械声が固まるオレを置き去りに、続く操作を無表情に口にする。古市は手慣れたように次々に機械を操作していき、暫くして軽い音をたてて出てきたものを手に取った。


「マヌケ面ぁぁぁっ」


古市は隣で何やら楽しげだ。



自由なフリして素直なだけのお前が好きだった。表情豊かで、他人思いで、愛される為だけに生まれてきたようなお前が死ぬ程好きで、古市の全てが欲しかった。その思いは狂おしい程で、間違っても溢れかえってお前を殺してしまわないように、一秒でも早く周囲の小汚い奴等には触れられない程遠くまで、お前を奪って逃げ出したかった。
出来やしない、とお前は笑うだろう。でもな、古市。お前が気付いていないだけで、とっくにお前は罠にハマってるんだ。

例えば、だ。

七匹の仔山羊なんてベタじゃないか。七匹の中の生き残りは生まれつき安い不幸に見舞われるタイプで鳩時計も偶然なんかで時を告げたりしなくって、それでも生まれつき誰よりも可愛いから狼だってメロメロで、最後の一匹を喰いもせずに連れ帰ったとしたら、だ。馬鹿な仔山羊は母親の助けを待って抵抗もせずに狼と過ごすんだ。危害を加えられるような暮らしじゃないから碌な知恵もつかなくて、仔山羊は周囲に唯一近付く鳥ににこにこ話しかける、狼に捕まったんだけど、母親に知らせてくれないか、ってな。それは無知故の最善かもしれないが、狼の匂いをさせて、狼の名等出そうものなら、その時点で皆逃げちまうんだから馬鹿正直ににこにこと笑って言うことに意味などない。狂気の沙汰か大馬鹿か、いずれにせよ誰も助けちゃくれないさ。


「男鹿、はい。半分こ、な?」


その笑顔を狼に向ける意味を知らないまま、古市は大人になるんだな、そう考えるだけでオレの心は満たされる。
お前がオレに向ける笑顔の分だけ、お前がオレを呼ぶ名前の数だけ、お前は誰かとの未来を失うんだ。




 
永遠を失ったあの日のように、お前は今日も隣で笑っている。始めてお前がオレを受け入れたあの幼き日から、みんな決まっていたんだ。だから、その他大勢や母親や、時間が解決してくれるなんて絶対に思わない方がいい。



なぁ、可愛い仔山羊。
ついでだから、みんながお前を救わずに今日まできた理由を教えてやろうか?










皆々、時計の針さえも、狼の腹の中。





















 

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