※酷鬱
生死に関する科白有
雪は天使の名残らしい。肩甲骨もそう。赤児が宙を見て笑ったり泣いたりするのもそう。人間は何にでも理由をつけたがり、直ぐにそういった「綺麗」なモノで喩えたがるのだ。
どうやら人間は、天使や神様がお好きらしい。
「、死にたい」
薄い毛布に包まりながら理由もなく訪れた死への渇望を口にしたが、何だか酷く滑稽だった。しかし、自身の胸の内を置き去りにした理屈や他人の目に映る滑稽が必ずしも当人の抱く滑稽に当たるとは限らないのが世の常で、古市自身は現状を全く笑えなかった。
「雪は、ズルい」
古市にはベッドの脇の硝子の向こうで音もなく囁く雪が煩わしかった。同じ白銀でも自身とは対極の関係にしかならない「綺麗」な雪の無言は、明らかに非難の表れにしか思われなかったのである。
「何時だって寄せ集まって、真っ白で」
当人の望む望まないを必要としない脆弱な結晶は、あまりに華美で、けして単体では地上に降りて来ないものだ。
「平気で他を巻き込むくせに」
寄せ集まり、降り積もり、寒さや飢えや死を携えて存在する。その清らかさを盾にして春に向ける己の死へと、他者を引きずり込む。ただでさえ仲間と寄り添い合いながら存在し、一生を共にするにもかかわらず、だ。淋しい寂しい、とその清らかさでもって主張する。
「儚くて綺麗な印象しか持たれない」
それはあまりに傲慢ではなかろうか、あまりに野卑ではなかろうか、あまりに絶望的ではなかろうか。だから人間は自然の中に神を見るのだ、と古市は思う。
「…、雪だって何か文句付けられたり、大変かもしれねぇだろ」
「雪が溶けて穢されて、消えていくのに意味が必要か?」
死と再生は表裏一体であり、淘汰を遺憾なく発揮する自然の摂理でしかない。そこに感傷的な価値や思想を抱く人間が愚かなのであって、自然の罪悪を問うのはまさに無意味だ。古市だってそんなことは十二分に理解しているし、己のベッドを占領する幼なじみの気の沈みように困り果てた男鹿も同じだけ理解していた。ただ、古市だけがその感傷的な倒錯に負けているのである。
「空から堕ちてきたくせに」
忌々しげに吐き出された言葉の重みにも空虚さにも、幼なじみの悲しみだけが詰まっているだろう現実が男鹿には億劫で仕方がなかった。ゆったりと孤独に浸る古市を慰める言葉を持たない屈辱を感じながら、それでも男鹿はその言葉を拾った。
「人間で良かったな」
出来得るだけ刺激しないように、これ以上傷付けたりしないように、不慣れな優しさだけを滲ませて、そんだけ口が悪くても、と男鹿は続ける。
「墜ちる処がない」
「馬鹿だな、だから人間は神様と違って死んで裁かれるんだ」
深い所なんて見ないふりするから、と零した古市の瞳は現実に存在する何ものをも映さず、だからといって幻想や夢想さえも映さず、昏い憎悪で満ちていた。そんな仄暗い眼差しを変えてやる術も理由も男鹿は持ち合わせてはおらず、ただ思考が迷走し、やがて行き止まりにしか辿り着かないことだけを考えていた。
「じゃぁ、背負ってやろうか。お前の罪まで」
染みや傷の一つもない白く、花の茎を手折るように少しの力であっさりと折れてしまうだろう首にそっと手を添えた。そして、呼吸する喉を軽く押し付ける。
そんなことをされても古市は抵抗どころか、微動だにせず、ただ虚ろな憎悪で真っ白に濁った瞳で男鹿を見つめている。天国にある蓮池はこんなふうだろう、とらしくもない文学的なことが頭を過ぎり、男鹿は小さく笑った。
「せめて、綺麗に死にたい」
「…、首に痕がついたら嫌か?」
古市はうん、と幼子のように清らかに濁した瞳で答えた。目の前の男鹿でさえ見えていないような遠い眼差しに、叫び出しかけた声を呑み込んだ。呑み込んだ声の代わりに呼吸まで奪う、噛みつくようなキスをした。二人の視線は絡んだままだった。
「もう少し、」
唇から引いた銀糸が厭に煌めいて、蜘蛛の糸のようだった。
「キスが上手くなったら、殺してやる」
ふつり、と切れた糸で残虐な愛を囁いた男鹿の唇は濡れていた。古市の唇も男鹿と同じように濡れ、同じように弧を描いていた。男鹿も古市も微笑っていた。
オレの死因が決まった。
愛しい君の甘いキスで窒息死、
世界の終わりは存外、綺麗に済みそうだ。