翻った上着の漆黒は闇を呼んでいる。それだけが、俺等の救いだった。
清く、善しく、麗しく、生きてみたかった。誰かの為みたいに、自分の為に、人間らしく、生きてみたかった。
生きることは侍であることと等しく、真っ直ぐでなければならなかった。
しかし、人間らしさと侍らしさは全く異なった生き方だと、俺等は知っていた。
「土方君、今夜は…、そっか。ん、大丈夫だって。心配し過ぎだよな、土方君って可愛い。馬鹿じゃねぇよ、たくっ、口が減らないお姫様だな」
電話が間抜けな音をたてて切れた瞬間、冷めた夕餉をしまおうと考えたが、その行為が今更ながらに寂しさを煽るだろう、と当然のように想像出来、脇目も振らずに寝室に籠もった。
薄っぺらい痩せた布団は、寝具としてぎりぎりの柔らかさを残しており、何とか成人男性一人分の重さを受け止めた。なんだ、実は慰めてるつもりかコノヤロー。無機物への八つ当たりが一層惨めだ。
愛しの恋人は今夜も残業らしい。電話越しのワーカーホリックな恋人の申し訳なさげな声が耳に残ったまま眠るのが忍びない。付き合いたての男には寂しい夜だ。寂しい夜だが、それこそ仕方のないことを愚痴に変えるのは潔くない。
潔く潔くと唱えながら目を閉じれば、じわりじわり、と夜が沁みていく。眠れもしない身には夜に身を浸す感覚が耐え難い。
冷たい夜、散らばる、温かい紅。
乾いた空、重なる、不確かな熱。
沈殿する冷えた泥に身を浸す感覚が蘇って来る。
積み重なった躯は恐くない。その山に、何時か自分も積み上げられるのだ。知っているから、怖くなどない。幸福などあってないようなものだ。守り切れたらそれでいい。護り切れたら、それでいい。
冷たい夜、散らばる、温かい紅。
翳された手、軋んだ、煌めく刃。
沈澱する温かな泥に身を浸す感覚が甦って来る。
重みを増した躯は恐くない。その身に宿った感情は、とうに精算がついているからだ。知っているから、怖くなどない。幸福などあってないようなものだ。責めてくれたらそれでいい。責めてくれたら、それでいい。
冷たい夜、散らばる、温かい紅。
震えた体、切ない、忘れた記憶。
忘れるものか。何時までも何処までも背負って生きなければ、誰かがあの躯に続かねばならない。その誰かは自分でなければならない。
冷たい夜、散らばる、温かい紅。
嘆いた君、泣き出す、鮮明な俺。
骸が呼ぶ。呼んでいる。往かねばならない。何時までも何処までも、決して許されなくとも、決して赦されなくとも、往かねばならないのだ。
免罪符など、世迷い言だ。
身腹から引きずり出された赤子のように、胎児で無くなった子のように、飛沫した哀しみが、
積み重なって、死に絶える。
生きなければ、命が尽きるまで。
生きなければ、魂が枯渇せぬように。
零れた雫が染み込んだ上着が夜風に翻る。
帰る場所等、君だけだ。