沖田がその暗く重い一室から退室し、既に三時間を超えていた。江戸の中心に聳え立つコンクリートの塊の一室では、今も尚、会議という名の浅はかな嘲笑と愚弄が繰り返されている。



息苦しい。

その息苦しさは、まるで監獄に閉じ込められているようでさえある、閉鎖的な苦しみだった。
魂だけは高潔に、侍であり続けたいと言う真っ直ぐな男の願いを人一倍感じ取り、また人一倍に同じく望む男に付いて来た自らを恥じるわけでも、付いて来たことを後悔しているわけでもないが、この場の息苦しさは拭えずにいた。沖田の心は清らかな子供のように歪んでおり、多くの大人のように欺瞞を抱くことが出来なかった。

呼吸を奪うような絶望的な支配に、誰よりも進んで縛られる男の安否を気遣い、沖田は室内を覗き込むような気持ちで窓から下界を見下ろした。
苛まれる男を身篭もる箱に口がなかったからだ。盆に返らぬ覆水で溢れかえる箱は汚い大人の掃き溜めだ。覗く術を持たない子供は、留守を任されたように代わりの窓を眺めることしか出来ない。監獄にも似た箱から眺めた外の世界はあまりに雑然としていて、コンクリートの寄せ集めでしかなく、やはり薄汚れた自由しかないように思われた。


「…土方さん、だんだん、雲行きが怪しくなってきやしたぜ」


全てが絆故だというのならば、沖田には悩むことなどない。
背中を任せて欲しいと、命を預けて欲しいと切に願うのはただ一人だけだ。護りたい、共に在りたいと唯思うのはただ一処だけだ。忘れないと誓うのはただ一人だけだ。
しかし、


「目障りですねィ、いい加減」


嗚呼、アレは「青」だ。
どんな意味でだって。沖田は舌を打った。

本来、「青」とは灰色がかった白色のことなのだそうだ。
古代日本語では固有の色名はアカとアオとクロとシロしかなく、アカは明、アオは漠、クロは暗、シロは顕を原義としていたらしい。色は溢れていたが名はない為に現代とは異なった意味や価値があったのだ、と沖田の愛する風流好みの男が言っていた。

見下ろせば不快な「アオ」が人を待っているのが見えた。待ち人は「アオ」が、沖田が愛する、あの男に間違いはないだろう。
灰色がかった白が現代の青を袖に染み込ませ、待ち人の帰りを見越して立っている。「アオ」の意である「漠」そのものとも感じられる広々として何もない、とりとめのない、そんな霧散した存在感を纏わせた「アオ」い男が沖田の愛する男を待っている。



不愉快だ、と唇を噛んだ。









「総悟、戻るぞ」
「、土方さん」


ぎり、と強く噛んだせいで、薄らと血が滲んだ唇は愛する男の名を紡ぐ。誰よりも高潔な愛すべき男が息苦しい箱から漸く解放されたのだと確認し、緊張を解けば、自然と詰めていた息が洩れ出た。
そんな沖田に男は、土方は困ったように微笑う。


「愚痴こぼしたかっただけみてぇだったから、近藤さんに知らせなきゃいけないような面倒事もねぇし、組に障りはねぇよ」


心配すんな、と沖田の髪を撫でる土方の優し過ぎる眼差しに、沖田の表情は更に曇り、気遣われることを恐れて俯いた。
違いますよ、土方さん。あんな烏共なんかこれっぽっちも気にしちゃいねぇんです。あんなんじゃなくて、


「…、「アオ」が」
「青?」


零れ落ちた言葉を咄嗟にいえ、と濁したが、生真面目な土方が聞き洩らすはずもなく首を傾げてみせる。それから、沖田の濁した言葉を探るように周囲を見回す。
窓の外を、「アオ」を見付ける土方を想像し、沖田は軋む心ごと拳を握った。




「あぁ、雨か。こりゃ酷ぇな」


俯いていた顔を上げれば窓の外を見ている土方が見えたが、沖田の嫌悪する言動は一つも生まれなかった。少しの思考の後、土方の発した言葉の中に答えを見付け、沖田は唇に昏い笑みを乗せた。
雨が降れば「アオ」は消える。スクーターよりもパトカーの方が遥かに雨を凌げることは赤子にでも分かることだ。自らの勝手な愛の為に対象に風邪をひかせるようなことをする程、アレは青くない。


「総悟、」


低く優しく、心地好い音が名を紡いだ瞬間に、沖田は醜く歪んだ笑みをしまい込んだ。ゆるりと視線を合わせようとすれば、愛おしい人間の愛おしい容が吐息が感じられる程近くにあり、胸が躍る。


「疲れたのか?今日だけは帰ったら直ぐに休んでいいぞ、今日だけならな」
「はい、帰りやしょう」


素直過ぎる沖田の返事は小さな歪みであり、非日常であったが、土方は余程疲れているのだろう、と解釈し言及しなかった。
 
愛おしい男は何処までも漆黒で、桎梏だった。誰のモノにもならず、闇を抱く光だ。不自由で盲目的で狂信的な感情を抱かせる、綺麗な人間だ。
帰るぞ、と翻った黒が沖田の手を引く。もう引き返せはしないのだろう。


「…、“未熟者”」


喉の奥で吐き捨てた言葉が誰に宛てたものかなんて、誰も知らなくていい。

ただ、穢らわしいまでに、高潔でありたい。我々は、ただそう願い続けている。









「獄窓から眺めた青は、あまりにも」





















 

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