※史実表現有
 沖→土









届くことなど望まない。
アンタが微笑っていられるこの世界に、少しの不満でも抱こうものなら、俺は自分を…、





絶対に許したりなんかしない。















「…、ゲンジンってなんですかィ?」


土方さんは俳句なんていう辛気くさいことが好きらしい。空き時間を見つけては一人、部屋で句帳を開いて詠む。
そして今日も、俺はアイスを片手に其れを見ている。気のない振り等今更過ぎて、ただ傍に居る程度では土方さんも構いやしないが、声を掛ければ応えてくれる。


「…うつせみ、って読むんだよ」


口に出して詠みながら、厭に綺麗な文字を紙に流した句に奇異を感じて口を挟めば、応えてくれはしたが仕方なさ気に答えられた。大方、無知の具合に呆れているとか、風流心云々の問題なのだろうが、疑問の一つも抱きたくなる。
うつせみと詠んだはずなのに、手元に残された文字には、現人と綴られていたからだ。


「ウツセミ?それって、空の蝉でウツセミじゃないんですかィ?」


隠すことも無く溜め息を洩らしながら、それでもちゃらんぽらんな俺が最低限の知識があって安心したのか、句に興味を示したのが嬉しいのか、口元に少しだけ微笑みをのせて答えが返される。


「空に蝉って書く空蝉っていうのは元からの現人に対する平安時代以降の当て字で、新語だよ」
「へぇ、じゃぁ、どんな意味なんですかィ?」


土方さんの微笑みはいつだって整った容に合う綺麗な笑みで、本当ならばずっと見ていたいと思う。だから、何時だって興味がない振りをしつつも、何時までも話を続けている。誰にも邪魔されたくない。
そんな俺の気持ちを知ってか知らずか、土方さんはいつだって文句を言わず、話を続けた。


「現人ってのはこの世界に現存、生存する人間のことだ。他に現世そのものを表したり、世間の人間を表したりもしている」


お堅い説明なんかには興味はないが、土方さんの声音は心地良い。自然と内容が流れ込んでくる。お偉いさん方々もこんなんだったらちゃんと最後まで話聞いてやってもいいのに、名は体を表すなんて言うが、漢字そのままの意味なんだな、とかぼんやりと思いつつ、やはり興味の薄い振りをして聞き続けていた。


「それから、新語の空蝉ってのは蝉の抜け殻や蝉そのものを表す」
「空っぽな蝉ってことですかィ?」


だろうな、と土方さんは頷いた。
 

「現人が空蝉に当てられたのは分かる気がしねぇでもないが…、あんまり嬉しいことじゃねぇなぁ」


微かに浮かべられた口元の弧が厭に儚く歪んで見えて、空の青さに溶けいる声は土方さんが消えて無くなるみたいで…、

なんだか遠くて淋しい。


「相変わらず土方さんは根暗で困りまさァ。あれだけ腹いっぱいに鳴き喚いて死ねるなら満足だろィ。それともアンタはまだ何か欲しいんですかィ?」


土方さんの視線は漸く俺を捉えた。
強くて綺麗で儚い漆黒の、闇色の瞳が陽の光を受けて潤んでいる。それから、

そうだな、ともう一度、微笑んだ。

当然だろ、アンタは蝉じゃない。
他人の為に強く綺麗に真っ直ぐに生きて、綺麗過ぎて儚く散るアンタは蝉なんかじゃない。青い空に咲き誇る揚羽だよ。その凛とした艶やかさにみんな集まって来るんだ。あんな地味な色して、喚くことしか出来ねぇ蝉がアンタなわけない。蝉は…、


俺。


数年かかって漸っと成虫になって、漸く出逢えた現人と一週間でお別れ、なんて…、


「儚い恋ですねィ」


唐突な言葉に土方さんは不思議そうに、怪訝に眉を寄せる。


「…、何でもないですぜィ」





ウツセミ、空蝉、蝉の抜け殻。
それは空っぽな俺の恋心に似ている。喚くことでしか愛するモノに自分を示すことが出来ない、空っぽな俺の恋心に似ている。








届くことなど望まない。アンタが微笑っていられるこの世界に、少しの不満でも抱こうものなら、俺は自分を…、





絶対に許したりなんかしない。























 

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