耳鳴りのような、命の声が夏を寄せる。
淡く擘く、命の音が、



空に墜ちた。









旦那、と甘い声が宙に溶ける。今の季節には甘過ぎる、舌に残るような、喉を灼くような甘さに氷が欲しい、等と存外風流な戯れ言に溺れる。流し見た青年の横顔は甘過ぎる声を高尚な美術品に仕上げる程の爽やかさを翳し、とろり、と琥珀色の視線だけを投げた。
蜂蜜色の髪がさらさら、と零れた。甘い、甘い、縋り付くような甘さを孕んでいる。


「心臓自体には痛みを感じる神経がねぇんだそうですよ」


じわり、と滲み、背中を伝う汗に夏の重みを感じながら、青年の唐突な発言について考えてみる。
目蓋を閉しても、馴染む斜光がぐらぐら、とした熱を伝える。頭上に頂く天高き御人の微笑みがギリギリ、と生命を削っていく。それは、正しく夏の鼓動である。銀糸からはたり、と流れ落ちた汗がそう呟いた。


「つまり本当に心臓が苦しくなる時ってのはァ…、」


ぐるり、冷え切った夜の音を待っている風鈴が硝子を引っ掻き、ちりちり、と呻く。幼き日に姉の膝を枕にした庇の影の中の己は、胎児に回帰したように寂しくて堪らなかった。そんなことを青年が言っていたことを思い出す。夏の恩情に振り回される身体は軋むように火照り、ぐるりぐるり、と思考が這い回る。


「恋をした時だけってことでさァ」


窶れた顔で青年が微笑ったのを、男は眺めていた。風がちら、とも吹かない、じりじり、と暑い日だった。
男は懐郷の念にも等しき頭痛に苛まれながら考えていた。甘さ、とは時に頽廃的だ。


己自身で完全無欠、生きるだけには困らない、愚かしくも万能な独立した生物であるはずなのに、他者に依存して、他者の何かを奪って生きることしか出来ない。
なんと無神経で図太く、珍妙にも不様な生物なのか、夏の温情たる焚刑を今か今か、と待ちわびるより他、仕方がない。


「教えて下せぇよ、旦那」


視界の隅で垣根に腕を回す蔓が見えた。橙色が眩く弾ける草の脆弱な蔓が、まるで青年のようだ、と男には思われた。


「愛」ってヤツは、
いったい何処にあるんです?


重ねて、青年の問いかけが夏の終期わりの、命の抜け殻のようだ、と思ったことは、己の独り善がりに違いない、と男は蒼い蒼い穹を仰いだ。

青年と男が愛した夜は、まだ当分帰っては来ないだろう。





















 

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