時少。

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『毎年この時期は学園中が甘いわね…』

2月も半ばになると、お菓子の甘い香りがどこからともなく漂ってくる。
世はバレンタインデー。一般とは隔離された学園においてもその一大イベントは変わらず、むしろアリスという不思議要素が加わることで壮大なイベントだった。とある男いわく、この学園のバレンタインデーはモテる男ほど地獄、らしい。
といっても朔那は一般のバレンタインデーを体験したことはないので、本などで見聞きした程度。この学園のバレンタインデーが常識である。
髪の毛や媚薬などを仕込むといった思考は理解できないが、お菓子を作って渡す、といったことだけでも女子には楽しいイベントである。

「朔那ちゃーんっ」

蜜柑が朔那のもとへと嬉しそうに笑いながら駆け寄った。
右手は蛍の左手と繋いでいた。

「朔那ちゃんもチョコ一緒につくろ!」

『そうね、せっかくだし』

「やったー!」

『蜜柑は誰に作るの?』

「え、えっと……みんなかなあ?」

即答で拒否った男子三名に憤慨する蜜柑を眺める朔那が横目で棗を見ると、雑誌を頭に乗せて目を瞑っていた。
これから彼も追われることになるだろうから暫しの休憩だろうか。
指で雑誌をあげてできた隙間から覗いた瞳と目があってしまい、先日の授業を思い出して思わず目をそらしてしまった。
気まずさで動けずにいると、蛍に腕をとられて調理室へと連れられたため棗と話すことはなく、蛍に感謝することになった。
調理室では買い出しにいった材料が広げられていたが、どこで見つけたのかと思うほどのものばかり。
幻覚チョコや女王様の砂糖や、蛍の10倍返しチョコにはなにも言えなくなった。

『蛍のチョコって…お返し目的のために作るようなものね…』

「蛍を止められんウチを許して…」

お返しを目当てにあげるのもバレンタインの醍醐味のひとつだ。
はりきって作業に取りかかっている蜜柑たちの後ろで、朔那はまだ何を作るか決めかねていた。

『本当はスフレを作りたいんだけど、すぐにしぼむから向いてないのよね…無難にクッキーがいいかな』

「朔那ちゃんってほんまに何でもできるなあ」

『お菓子は本をみてその通りに作ればできるし、科学みたいで楽しいわよね』

「科学…」

『本の通りに作れば失敗しないし、変にアレンジを加えなければそれなりに美味しいのができるはずんだけど…』

ちらりと調理室をみると、惨状が広がっていた。
特に技術系のアリスをもつものたちのチョコは義理でももらいたくない。
あれをもらうであろう岬に思わず同情してしまい、差し入れに胃薬を提供したほうがいいだろうかと悩んだ。





できた!と可愛らしくラッピングされたそれを手に、女の子たちは意気揚々と調理室を出た。
朔那はひとり取りかかるのが遅れたため、ラッピングするためにお菓子を冷ましているところだった。
行ってらっしゃい、と見送った朔那は暇潰し用にと持参していた雑誌と紅茶を手にゆったりとくつろいでいた。
ふと、何かの気配に気がついて天井を見上げていると、ガコンと通気孔と棗が落ちてきた。

『…何やってるの?棗』

「……」

ぱちくりと目を瞬かせる朔那は視線をはずす棗に一応尋ねたが追いかけてくる女子たちから逃げている途中であろうことは理解していた。
毎年大変だねと苦笑する朔那は椅子に腰かけた棗に紅茶を差し出した。
確かに調理室は作り終えれば用はない場所なので逃げるのには最適だろう。

「今年はこれか」

『え?あ、そうだけど…って食べちゃダメ』

冷ますためにお皿に並べてあったクッキーをつまもうとする棗の指から皿を遠ざける。
とたんに不機嫌になる棗にと違うと首を振る。

『棗と流架にはあとで別の作るつもりなの。これは違う人用』

「別…」

『うん、レシピ見てたらスフレ食べたくなっちゃって。スフレって出来立てじゃないと美味しくないからあまり作らないんだけど、棗と流架なら一緒に食べれるしいいかなって。あ、クッキーのほうがよかった?』

「……そっちでいい」

ふい、と顔を背ける棗の機嫌はどうやら直ったようだ。
笑みをこぼす朔那はポケットからはみ出るリボンに気がついた。

『……棗、それって蜜柑の…?』

「……拾った」

『落ちてたの?開いてるってことは食べたんだ…』

蜜柑のものだとわかっていて食べたのだということはすぐにわかった。
落ちたものを軽々しく口にするほど棗は無防備ではない。
顔をうつむかせると、棗の「おい」という声に顔をあげると口になにか入れられた。
思わず口を開けると押し込められたそれは袋の中身だった蜜柑のクッキーのようだった。
指についた欠片を自身の口で舐めとる様子に、棗の指で押し込められたのだと気づいたとたんに顔が熱をもった。
気をそらすために口の中を咀嚼すると、ぴたり、と動きが止まった。

『な、棗…!紅茶遠ざけないで…!』

すぐさまカップに手を伸ばしたが棗がひょい、とカップを遠ざけたため朔那は若干涙目になりながら棗に訴えた。
渡された冷めた紅茶とともに口の中のものを喉の奥へと流し込む。

「まずいだろ」

『分かってて食べさせたの!?』

「あとで流架のも処分する」

『止めはしないけど、私に食べさせたことを説明してほしいわ』

流架には食べさせないようにするくせに、と頬を膨らませると棗がふ、と笑った。
ここしばらく見なかった笑顔に朔那もつられて笑顔になった。
冷めたクッキーを簡単に個包装にしている最中も棗は傍にいた。他愛ない話をしていると、廊下からバタバタと忙しない足音が
聞こえてきた。
警戒して椅子から腰をあげたところで調理室の扉が勢いよく開かれ、棗の追っかけであろう女の子たちが数人入ってきた。
小さく舌打ちした棗は窓に足をかけてひらひらと手を振る朔那を一瞥し、飛び降りた。

「如月さん!棗くんどこ行ったの!?」

『何もしらないわ、ごめんなさい』

必死な形相で問い詰めてくる彼女たちは、居場所を知らせるアナウンスに調理室を飛び出していった。
今日はよく見送る日だと息をついた朔那は、アナウンスされた知人の名前に苦笑を溢して調理室を出た。




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