時少。

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柚香が花姫殿に受け入れられてしばらく経った頃、泉水の交際説が流れた。
女子生徒の阿鼻叫喚が響く中、柚香はショックを受けて凍っていたそうだ。

『泉水、こんな噂知ってる?』
「噂?いいんじゃねえの、好きに言わせときゃ」
「じゃ、先生本当に付き合ってんの?」
「いや〜〜?」

特力の教室で、泉水と朔那と馨は、そういえば、で話題にしていた。

「良かったやん朔那、まだ先生取られないで」
『からかう気満々だね馨…まあいいけど』

にやにやしている馨の声色に、朔那は苦虫を嚙み潰したような表情で紅茶の入ったカップを傾けた。

「俺が誰かのものになったら寂しいか朔那?」
『うん寂しい』

泉水もからかうつもりで投げかけた言葉にさらりと素直に答えられてしまい、逆にこちらが照れてしまった。

「朔那は素直でかわいいわ〜」
『なにそれ……泉水、誰かと付き合うときは教えてね?』
「おお。ま、当分ないだろうし……これを機会に他の男にも目向けるだろ」
「あらら?それ誰か特定の人に向けての言葉?」
「さあな」
『………』
「…なんだ、朔那」
『……何でもない。そもそも付き合ってないのに何で噂流れたの?』

ぽつりと呟いた泉水の横顔を見つめる朔那。その視線に気がついた泉水は居心地が悪そうに身をすくめた。
そして素朴な疑問、という朔那の質問に泉水の動きがギシリと止まる。

「あ〜〜……いや、それはだなあ…」
『…?馨わかる?』
「おっと、飛び火した」

言いつぐむ泉水に首を傾げ、質問を馨に変えた。
生徒であり家族である朔那に答えにくいことを聞かれた泉水の状況を楽しんでいたのに、こちらに聞かれるとは思わなかった。

「そうやなあ…再現してみたら分かるかも?」

馨の手つきや瞳が艶めかしく動き朔那の首元のリボンをしゅるりと解いた。
あまりに鮮やかな手つきに言葉が出ない朔那に代わり、泉水がおい!と止めさせた。

「朔那にまで手出すなっつの!」

馨から距離を取らせるように泉水から抱きしめられた朔那は察しがついてしまった。

『……泉水、サイテー』
「いやっ!朔那…!男には据え膳というものがあってだな…!」

娘同然に愛する朔那から冷たい視線をもらってしまい、泉水はあたふたと慌ててしまった。

「そういえば先生、この前引き合わせた地下にいるあの子…」
「あ!ああ!色々世話になってすまなかったな!」

馨の助け舟にこれ幸いと話を変えた泉水。
朔那は何のことか分からず泉水を見上げた。

「朔那、今度お前にも会ってほしいやつがいる」
『わかった』

神妙な顔の泉水の言葉に即答で頷く朔那に、馨も泉水も驚いた。

「ちょっとは警戒しろよ…」
『泉水と馨が知ってる子なんでしょ?私がその子に会えば二人の力になれるならいつでも会うよ』

全幅の信頼を寄せてくれる言葉を浴びせられ、二人は嬉しくもあり恥ずかしかしくもあり…何とも言えない気持ちになった。







『今度は柚香と志貴の婚約の噂かあ…』
「あっという間に流れたなあ」
「誰のせいですか誰の!」
「はーい、私と姫様のせいでーす」

頭を抱えて悩む柚香をよしよしと撫でる朔那の横で悪びれもなくはーい、と手をあげる馨。
婚約の噂を流したのは、姫宮との関係が強いと初等部校長へ表明する目的のためだったのだが、予想外なことに、志貴が柚香に対して本気になったのだ。

『志貴、柚香に会ってから少し雰囲気変わったからね』
「あ、そっか…朔那と志貴先輩って知り合いだっけ」
『姫様つながりでね。2年くらい前からだけど』
「その頃は志貴と朔那が噂やったなあ。結局兄妹みたいな雰囲気やからすぐ収まったけど」
『そうだね、志貴とは兄妹っていうのが近いかなあ』

境遇も似てるしね。と笑う朔那。
確かに、血縁関係はともかく、お互いにそれぞれの校長の身内で年も近い。
おまけに二人の雰囲気はどこか似ていると柚香は心の中で思っていた。
静かなのに、瞳から強い想いが伝わってくるのだ。

「志貴といいあのフェロモンの子といい…」

杏樹の名前が出たが、柚香は首を傾げた。
まさか、と馨は杏樹が柚香に想いを抱えていることを告げた。

『……言っちゃうんだ、馨』

柚香はそんなわけないだろう、と言いつつ杏樹が所属するA組へ行こうとする。その背中を眺めなら、朔那は心配そうにつぶやいた。

「ダメだった?」
『んー…こういうのは本人から言ったほうがいいかなあと思ってたんだけど……まあいいか。最近の杏樹にはいい薬だよ』
「朔那は優しいのか厳しいのか分からんな」

ケラケラと笑う馨はため息をつく朔那を見やった。
遠くを見つめる琥珀色の瞳が美しい。
正直に言うと杏樹が柚香を好きになるのは意外と言えば意外だった。近くに朔那という人タラシがいるのに。

だが、杏樹にとっての朔那はある意味特別なのだろう。
特別だからこそ、恋愛感情という俗世な感情を朔那に向けることができなかったのだろうと思った。

それほどに、朔那はどこか神秘的だった。







朔那は馨と別れた後、自分の部屋に戻っていたが、ふと顔を上げ窓の外を見つめると、部屋着に上着を羽織り、外へ出た。
朔那の部屋は一般生徒たちの寮ではなく、高校長と同じ棟にある。
本部近くのため、一般生徒が中々入ってこない場所だ。
それなのに、金色の髪をもつ生徒が一人迷い込んでいた。

『杏樹』
「………」
『柚香と会ったんだね』
「…っは…何でもお見通しなんだ……ねえ、どうしよう、おれ…」

泣きそうな瞳ながら、涙を零さない杏樹は迷子のように不安げにうつむいていた。
朔那は何も言わずにそっと杏樹を抱きしめた。
すっかり身長が伸びた杏樹を腕に収めることは難しくなってしまった。
それでも、頼りなげに縋ってくる手に仕方がないなあ、と甘やかしてしまう。

『とりあえず、冷えるから私の部屋いこう』
「は?それなら帰る…」
『いいから。私が寒いの』

いくら人通りがない場所とはいえ、このままずっとここにいるわけもいかない。
手を引っ張ると、焦り出した杏樹が帰ろうとするのを朔那は問答無用で連れて行った。

「……あんたさ、いくら何でも部屋に簡単に入れんなよ…」

渋々部屋にきた杏樹は、朔那の警戒心の無さに頭を抱えた。
好きなのは柚香とはいえ、特別に想う彼女の部屋に入って緊張しないわけがない。
しかも親である高校長も泉水もいないという。

『何で?』
「……俺も男なんだけど…」
『さっきまで泣きそうになってた子に言われても何とも思わないし、何かしたとして返り討ちに合うの分かってるでしょ』

そう言われて思い出すのは初等部の頃のこと。何かやってはやり返された記憶しかなかった。
力でも頭でもアリスでも、この人には何も勝てなかった。

「慰めてくれるから連れてきたんじゃないのかよ…」
『タバコ吸うような不良じゃなければもっと慰めてあげたんだけどね』

そこを突かれると何も言えない。
そもそもオーバーワークとも言える胸糞悪い任務の憂さ晴らしにタバコを吸いだしたのもすぐ見抜かれ、警告も忠告も無視していると、その内会いに来てくれなくなったのを思い出した。

『タバコの匂いより、元々の杏樹の匂いのほうが好きだよ』
「…っ!」

ソファに座った杏樹は横に座る朔那の左手を握りしめ、肩に顔を埋めた。

『杏樹、最近寝れてないでしょう。ここにいるから、寝るといいよ』
「……そう言って、またどっか行くんだろ…」
『私の部屋なのにどこに行くって言うの。起きるまでいるから……おやすみ』

あやすように髪を撫でられ、その温かさに、優しさに揺られるように眠りに落ちた。

遠くにあったブランケットをアリスで引き寄せ、すー、と寝息を立てる杏樹に静かにかけた。
肩から伝わる温度に朔那もほっと息をつく。

眠れていないのは朔那も同じだった。
ここ最近、寝たとしても嫌な夢で起きてしまうため、高校長や泉水のベッドにもぐりこんでいるのだが、今日は二人とも不在になってしまった。
杏樹の為を装いつつ、自分の為にしていることに、朔那は嫌気がさした。

それでも、杏樹の温度にウトウトと眠気に襲われ、そのまま眠ってしまった。





『そういえば…杏樹ってば柚香のこと襲ったの?まあ、それで気まずいっていうのはしょうがないから我慢じゃない?』
「……慰めてるのか傷を抉ってるのかどっちだよ…」

杏樹が目を覚ましてみれば、目の前には朔那の顔。美しい琥珀の瞳は瞼に隠されて見えないが、それでもきめ細かい白い肌と形のいい唇が目の前にあることに杏樹はぎょっとしたが、すぐに夜の出来事を思い出した。
動いた杏樹に気がつき起きた朔那が、寝ぼけながら杏樹にアドバイスと言えるのか不安な言葉を伝えたのだった。

『杏樹は…柚香が好きな人分かってるんでしょ?それでも諦められないのは…どうしようもないよ』

朔那の穏やかな言葉がストンと胸に落ちた。
慰めでも励ましでもない、ただの事実の言葉。
どうしようもない、誰にもどうにもできないのだ。
それならば、このまま抱えているしかないではないか。

「……朔那さんは、好きな人いるの?」

妙に実感のある言葉に、つい尋ねてしまったと同時に後悔した。

『……知りたい?』

落ち着いた琥珀色の瞳が妖しく光った気がした。
春の穏やかな日差しのような雰囲気なのにどうしてこんなにも怖いのか。

「やっぱりいい」
『ふふ…後から教えてほしくても知らないよ』

くすくすと笑う彼女の空気が戻ったことに無意識にほっと息を吐いた。
だってこれは、俺のわがままだから。
好きなのはあの人なのに、貴女の隣にもいたい自分のわがままだから。

窓から入る朝の光に照らされる彼女が特別眩しく感じた。
光がキラキラと反射して、とても…とても美しい光景だった。



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