時少。

□39
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「はい、これが今月の分ね」

『ありがとう』

中身の詰まった紙を数個受け取る。
これでしばらくはもつだろう、とバレないように息を漏らす。

「いつも言うけど無茶も無理も禁物。本来なら君は…」

『わかってます。病院に迷惑をおかけしているのも重々承知してます』

「迷惑とかじゃなくて…」

『これは私の我が儘です、葉山センセ。
だから申し訳なさそうな顔をする必要ありませんよ?』

眉根を寄せる葉山の表情は険しく、それに対して朔那は穏やかな笑顔を浮かべる。
このやり取りも、もう何度しただろうか。考えるのさえ面倒だ。
見た目は20代だが実年齢30代後半という若々しい容姿をもつ葉山はこめかみを押さえて深く溜息を吐いた。

『要の具合はどうですか?』

「ああ…ちょっと良くないね。君のおかげでなんとか持ち堪えてるけど…」

『そうですか…』

葉山から渡されたブラックコーヒーの入ったカップを傾けると、葉山は苦虫を潰したような顔をした。

「よくもまあそんな苦いものが飲めるね」

『意外ですか?』

「ちっとも」

『葉山センセは甘党なんですね』

「医者は糖分が大事なんだよ」

たっぷりのミルク、スティックシュガー3本入れてその横にはチョコレートという、医者がそれでいいのかと言いたくなる葉山はくすくすと笑う朔那に言い訳じみた反論をしていると、慌ただしくナースが部屋に入ってきた。

「先生!要くんが…!」

「すぐに行く!」

『私も行きます』

「だけど君は…」

『いないよりはいいでしょう?』

状況は葉山に反論の余地を与えない。
ぐっと歯噛みし、"すまない"とは言わず"ありがとう"とありったけの感謝を込めて告げた。無力な自分への至らなさは胸に秘めて。

「え…朔那ちゃん…!?」

翼に容態が悪いと聞き、いてもたってもいられなかった蜜柑は、ガラスの向こうに横たわる要の隣に座ってじっと要を見つめる朔那の姿に瞠目した。
看護師に聞いたところ、今は面談禁止のはずなのだ。なのに彼女はどうして中にいるのか。

「どうだい?」

『今は安定してるわ』

「そうか…ありがとう、もう十分だ」

『大丈夫、もう少しだけ』

「ダメだよ。それ以上は君が…」

言おうとした言葉は口から出る前に喉の奥で引っ込んだ。朔那の強い目に気圧され、何も言えなくなってしまった。
肩をすくめ承諾しても、葉山の目からは心配の色が消えることはなかった。
感謝の意を込めてふわりと笑うと、ふとガラスの向こうで心配と驚愕に彩られた蜜柑と蛍がいた。
外に出ると二人は駆け寄ってきた。

『二人とも、どうして…』

「翼先輩に要先輩の具合が悪いて聞いて…朔那ちゃんは何で…」

「彼女は定期検診に来てるんだよ」

蜜柑の疑問には葉山が答えた。
「やあ今井さん」と横にいる蛍に笑いかける。
そういえば彼はZ事件で撃たれた蛍の担当医だったか、と思い出した。
ぺこ、と一礼する蛍に対して面識のない蜜柑に朔那は軽く紹介する。

『こちらは葉山先生。腕のいい要の主治医。見た目は若いけど実年齢とのギャップで女性に引かれて現在彼女なしの超甘党。
だけどとてもいい人よ』

「どうして君が僕の恋愛事情を知っているのかすごく疑問だけど、悪意のこもった紹介をどうもありがとう」

『どんな情報でも持っておけばいい切り札になるんですよ、センセ』

そこだけブリザードが吹雪いているかのような笑顔の応酬。
おずおずと要の容態を尋ねた蜜柑を安心させるように、朔那は笑った。

『大丈夫。葉山センセは私が信用している人だから。
それに、今はベアの方が心配ね。自分が弱れば、なんて馬鹿なこと考えてなかったらいいけど』

朔那の言葉に二人は顔を見合わせた。
二人が帰ったあと、窓から外を見てみると傘をさして立っている数人を発見した。
何をしているのかと思えばベアがじっと病棟を見つめているのだ。
予想が当たったか、と息をつくと翼がベアを殴りそのまま連れ帰るという荒業に小さく笑みを零した。

「如月さん」

『要がどうかしましたか?』

窓の外を眺めていた朔那は難しい顔をしている葉山に身を乗り出した。
そうではないと首をふる葉山に安心し、首を傾けた。

「本部から…」

言いにくそうに口をつぐむ葉山に合点がいった朔那はすぐに承諾した。

「君はどうして……君ならここから簡単に抜け出せるだろう」

『"どうして"…ですか……さあ、どうしてでしょう』

何も知らなそうな透き通る琥珀の瞳は、反して想像を絶する世界の闇をいくつも見て、葬ってきた。
それを知っている葉山は、音を鳴らして歯を食いしばる。

『昔は多分、どうでもよかったんですよ。ここにいようがいまいが、私の存在意義なんて変わりやしない。外に出たってまた大人の醜さを目の当たりにするだけだって。
だけど今は、守るものがたくさんあって……困りますね』

葉山はハッとした。そう言いながらも朔那の顔には嬉しそうな笑顔が浮かんでいたのだ。
行ってきます、という少女に葉山は行ってらっしゃいと見送った。




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