夏色

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下で行われているブルペンでのキャッチボールで投げる阿部曰く最低な投手という榛名の球は、良い音を発していた。
それだけで、あの人がどれだけいい球を投げるのか解る。
ならば、阿部が最低というのは人格のことか。


『あ、』


金属音のいい音を出して先頭が出た。加具山サンじゃ無理があるだろう。
飲み物を注ぐついでに反対側のスタンドを見る。結構色々なところが偵察に来ているようで、榛名が投手としてどれだけ注目されているのかがわかる。
榛名が再びブルペンに来た。
いい音をさせて数回投げたあと、捕手を座らせた。本気とまではいかないが、本番と同じように投げるのだろう。見ものだ。


『………ッ、』


榛名が放って、ミットに収まる。収まる瞬間の音は大砲のような音を鳴らしていた。化物か、こいつ。
久々に鳥肌が立つ感覚がして、ぶるりと背筋を震わせた。


「狭霧君、どうかした?」
『……いえ、何でもありません』


背中を丸めるような姿勢で口元を抑えている蜜弥の様子に百枝が声をかけると、間を置いたが普段通りに戻った。
その背中を見つめながら、百枝は先ほど見てしまったものを思い出しながら嫌な汗が流れるのを意識した。


「(何でもないっていう目じゃなかったけどねえ…)」


まるで野獣の目だった。ギラギラと照らつかせながら今か今かと待っている、飢えた野獣のような。
千代に話しかけている蜜弥の姿を目に、百枝は静かに息を吐き出した。


『千代、対戦表持ってるか?』
「うん。はい」


礼を言いつつ受け取って眺める俺を、花井達が呆然としながら見ている。
どうしたんだと尋ねると、示したのは俺の手の中にある対戦表。合点がいき頷いた。


『千代特製の3年分の対戦表だ。点差まで書いてあるから便利だぞ』
「へ、へえ…」
「私のより蜜弥君の方がすごいでしょ?点差どころかスコアまで取ってるんだから」


嘘!?というような声が聞こえた気がする。嘘じゃないと否定すれば何でと詰め寄ってくるのが鬱陶しい。


『趣味?』
「そんな趣味のやついるか!!」
『目の前にいる俺は全否定かよ』


溜息をつくとオペラグラスを覗いた千代が見て見てと服の裾を引っ張ってくるので、俺も似た形のそれを取り出した。
途端に花井達から再び動揺の声があがる。


「すっごく可愛い子がいるよ!」
『うん?』
「ネット真ん中へん、上着もズボンも灰色っぽい制服で…」
『千代、男の情報を俺に聞かせてどうしたい』
「分かち合いたい!」
『………』


もう何も言うまい。
そういえば野球場に来ると千代の性格は少し変わるんだった、と今更思い出す。
野球好きなんだと見ていて感じるその姿勢は好ましいが、度々カッコイイ人が、可愛い子が、とどれもこれも男の情報を寄越すのは勘弁してくれ。
女の情報をもらってもどうしようもないのだが。


「試合の予想スコア!4回が始まったら集めるよ!そろそろ書き上げてね!」
「狭霧!書いた!?」
『書いたけど、見せないぞ。
一応俺とお前らの勝負だからな』


俺が一位なら練習メニュー五倍という約束を思い出し水谷が頬を引きつらせた。
まあせいぜい頑張れとエールを送ると嫌味だ!と言われた。何故。
栄口が「榛名が最低の理由が気になる」と言っているのがふと聞こえた。
気が付けば皆の口が閉じられていて、聞き耳を立てていることが伺われた。

盗み聞きが趣味じゃないんだが……俺としても最低と言われる理由は少なからず興味があったので目は試合へ、耳は後ろへと意識をやると阿部が大きめの声で俺を呼んだ。


「狭霧!」
『…何だ?』
「お前、シニアで投手やってるとき球数制限してた?」


いきなり何だと言うといいから、と促される。


『前にも言ったけど、シニアでは試合出ても本気出さないし俺の本職はトレーナーだ』
「じゃあ、球数制限しててぴったりそれでマウンド降りるってのはあったか?」
『あるわけないだろ。そんなやつがいれば俺が10発ほど殴ってる。それにうちの監督が許さない』


何様だそいつ、と呟くと「だよな」と阿部達三人が頷く。話の内容からしてそれは榛名のことだろう。
あれぐらいの球を投げるならまあ…許されそうな話だ。
怪我をしたってことは、あの性格からして落ち込むどころか腐ってそうだな。

怪我をすれば自己防衛本能が働くのは当たり前だが、それでも野球を続けたなら自分だけがよければ、なんて考えは捨てるべきだっただろう。


「あいつにとってはオレ達チームメイトは"練習道具"でしかねえんだ」


どこか遠くを思い浮かべて語る阿部に、目を丸くした。
最低だなんだと言いつつ、結局は引退まで組んで違う次元で野球をやっているという榛名をスゴイとも思っている。
でもそれをチームのエースとして、最低だとも思っている阿部にふっと笑いが漏れるとぎろりと睨まれた。


「んだよ」
『いや…何だかんだで認めてたんだなと思ってな』
「ああ゛!?」


カッ!と火がついたようにムキになる阿部を鼻であしらっていると三橋がへなへなとうずくまった。


『(三橋は結構、色々鋭いからなあ…)』


きっと阿部も気がついていない本心に気がついたのだろう。
阿部が彼のことを誰よりも認めていて、一緒にスゴイところへ行こうとしていたことを。

むくりと体制を起こした三橋に向けて、キョドる癖を直せと阿部が言う。
まあ、投手がおどおどしていたら不安にはなるが、ここのやつらはもう諦めてるともいえるだろうけど。


「マウンドでは……そうねェ…無表情もいいけど……やっぱ笑顔がいいね」
『ッ…』
「何笑ってんだよてめえ!」
『お前ほど満面の笑みが似合わないやつを俺は初めて見た』
「真顔で言うなッ!」


つい笑ってしまうと、せっかくの阿部の笑顔があっという間に崩れ去った。
見せるための笑顔は似合わねえと思うんだよな。


『ま、阿倍の言うことは一理あるな。
笑ってみろよ、三橋』
「笑顔だとバックは安心するし相手はむかつくし。やってみな。こうニイッと」
「あ、う、」


するとまさかの自分の頬を引っ張って無理やりつくる三橋に笑いを抑えきれない。
栄口も阿部も腹をかかえて笑っている。


『さて、栄口。今の話みんなにもしてやろうか』
「そだね。いい?阿部」
「は?」


途端に肩を盛大に揺らすそいつらに笑いを噛み殺す。
盗み聞きしてたから内容は伝わっているだろうが、話を合わせるにはこう言っておくのがいいだろう。


『阿部、今もその時のこと気にしてるのか?』
「…別に。もう2年も前の話だ」
『ならいいけどな。
お前はもう西浦の捕手だよ。いつまでも引きずんなよ』


百枝に呼ばれた蜜弥は阿倍の頭を軽く数回叩いてその場を離れた。
顔を真っ赤にした阿部につられて同様に赤面している栄口は小さく呟いた。


「狭霧ってさ、無自覚なタラシだよね」
「……同感だ」





試合を見終わり、帰ると言った百枝に狭霧は少し離れてもいいかと許可をもらおうため告げる。
少し渋られたが何とか承諾をもらった蜜弥は一人別行動というのは正直気が引けたため、なるべく早く戻ろうと迷うことなく足を進めた。



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