07/18の日記

21:10
インスティンクト
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さよなら、と言われた時―。

おかしな話だけれど、俺はお前に見惚れていたんだ。
ああ、俺の恋人はこんなに綺麗なひとだったんだなあ、って。

煙草の煙を避けるように睫毛を伏せ、蜂蜜色の髪が淡い影をつくる。
ゆっくりと瞬きをすれば、透明に膜を張った瞳が、鏡のように俺を映すんだ。


俺はお前にとっていい恋人では無かったのかな。
お前は幸せじゃ無かったのかな。

ほんのちょっとでも・・?










「渋谷お帰り。ジェネウス開発から電話なんだけど。出られるか?」
「はい、出ます!」

貴社して早々。
ホワイドボードの外出先を消していたら、駄粕さんが目敏く俺を見つけた。
俺は急ぎ席に戻り、保留ボタンを解除する。
今日あたりに、提案している協調融資案件の返答がある筈なのだ。

だが、話はじめてすぐ、俺の高かったテンションも低空飛行を始める。

「はい・・。準備期間が短かったですもんね。次は是非。新しい提案をさせてもらいます」

ひとしきり礼文さんと話をして、受話器を置いた。
隣では駄粕さんが心配顔で結果を待っている。
この俺の、打ちひしがれた声で判れっての。

「どうだった?例の」
「・・・落ちました。多分シマロンに流れてっちゃってますね」
「何それ。ジェネウス開発は超シンマ寄りだったじゃないか!何その裏切り、しんじられねー!」

駄粕さんはまるで自分が裏切られ、数字を取りこぼしたかのように天を仰いだ。
ジーザス、なんて。

俺は肩を竦めて見せる。

「ある程度、予測はしてましたけどね」
「何悟っちゃってんだよ。酷いじゃないか。お前も怒れってば」
「はあ・・まあ、でも」

駄粕さんに言われるまでもなく、最近のシマロンのやり方は酷い。
南川さんだけでなく、とうとう俺の取引先にまで手を廻してきた。
熱心なプレゼンだけでなく、夜の接待もガンガン入れているらしいし。金の掛け方も違のだろう。

だが、元々の信頼関係の上に胡坐をかいて安心していたのは俺たちなんだ。
向こうだって、仕事。
より収益があがり、リスクが少ない契約に流れていくに決まっている。

「俺も甘かったんですよ」
「だけど渋谷、お前目標数字に足りてないじゃん。大丈夫なのか?」
「大丈夫ですよ。下期でばっちり巻き返しますって」
「渋谷!」
「はい」
「お前な。辛い事があったら愚痴っていいんだぞ。最近のお前はなんか痛々しい・・!」
「はあ。気にして頂いて・・有難うございます」

いたたまれず、袖を捲くった剥き出しの肘を、ごしごしとこすった。
勿論寒い訳ではない。寧ろ節電の為の冷房は28度設定で、外出帰りには暑いぐらい。

どうでもいいんだ。
カッコよく見えるかなんて。
清潔感は大事だけど、おしゃれに見えるかとかは全く興味が無くなってしまった。

ほんと、最近の俺は終わってる。

ただ、平日は仕事をして、社食かコンビニ弁当で夕飯を済ませて、寝て。
休日は、野球をやって、食って、寝て。
痛みが早く消えるようにと、兎に角時間が流れる事だけを願っていたから。

終電のドアに、縺れる足で転がり込む毎日。
ただがむしゃらに頑張ったって、契約がとれるわけでもないのに・・。







「渋谷さん、お帰りなさい。はい、回覧」

荷物を置いた瞬間、南川さんがニコニコと挨拶をしてくれた。
回覧物にビーレフェルト・ヴォルフラムという文字を見つけ、目を逸らしてしまう。
この字は俺にとって特別になりつつあった。

懐かしく、甘く。苦しいものの象徴。


「・・ただいま、南川さん」
「外、暑かったんですね」

外出先でもノータイの俺を見て笑う。

やはり気が抜けてるようにみえるんだろう。

最近はスーパークールビズとかで、服装には緩くなっている日本の夏だ。
さすがにアロハは着ないけれど、俺はノータイの上、ウニクロで買った三枚5000円位の白シャツばかりを着ていた。

クールビズと言う名の、最大の言い訳だ。



ヴォルフラムに別れを告げられてから、はや一か月。


恋愛を忘れるには、次の恋愛をすればいいと、世の女性達は言うけれど。
目の前の彼女と付き合うのが、一般的な流れなんだろうか。
南川さんは、最近妙に積極的だ。

たとえば、こんな風に。

「それから・・凛爾が久しぶりに渋谷さんとキャッチボールがしたいって言ってるんです。今週末の御都合はどうですか?」

男と女の差なのかもしれない。
俺の心は、次の恋をするにはまだ、生々しい傷が治ってはいないのだ。

「うん、今週末だったら、いいよ」

凛爾君の相手をするだけだ。
下心などある筈も無い。

「わあ。有難うございます。お昼も食べていって下さいね。弟も喜ぶから」

笑って、いそいそと手帳に予定を書き込んでいる。
花のシールを貼ったりして、可愛い。

彼女はもしかすると俺とヴォルフラムの関係に気付いていたのかも、なんて勘ぐりすぎかな。

それから手帳を書き終えて。
やっと落ち着いたらしい南川さんは、俺の姿をもう一度チェックした。
何かを、言うべきか言わざるべきかで迷っているようだ。

だが、やはりうーん、と一つ唸った後に、口を開いた。話す事にしたようだ。

「今日ですね、偶々お昼に同期の子と一緒になって。で、話題になってたんですけど・・」
「ふーん同期かあ。どこの部署?」
「預金課です」
「てことは、窓口受付の子かな」

窓口受付の子ははきはきとしっかりしていて、綺麗な子が多いよな・・。
そんな愚にもつかない事を考えていたら、南川さんの爆弾発言に我に返った。

「預金の方が今大騒ぎなんですよ。来るって予告があったそうです」
「ひえ、銀行強盗でも来るの?」
「まさか!もっと大変です」
「銀行強盗よりもっと大変なものって・・・」

南川さんは興奮冷めやらぬ手で、手帳を机に乱暴に置いた。
なめし皮が結構な音を立てて、俺は思わず怯んでしまう。

「み、南川さん・・?」
「有斗が口座を作るらしいです。今誰が接客するかで大騒ぎなんですよ。まあ、おそらく応接室行きでしょうけど」
「・・・・・」
「渋谷さん?」
「・・・・・へえ。なんかみえみえっていうか」
「みえみえ、ですか?シンマバンクのキャラクターとして素晴らしいじゃないですか」

俺は思わず笑った。
牧那有斗の行動が、雄の求愛行動と重なったからだ。

メスの気を引くために、獲物を貢ぐオスの本能に。

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