06/19の日記

23:00
煤色(ヴォルフ)
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次の日は、金曜日だった。

結局ユーリとは一晩中連絡がつかなかったので、朝一でプロジェクト推進部を覗いてみる。
八時前の営業室は、電灯も半分だけ。殆ど誰もいない。

―さすがに早すぎたか。

ぼくは一旦席に戻り、PCのメールをチェックすることにした。

廊下でばったり会ったアニシナ課長に朝の挨拶をし、再度16階に向かう。
だんだん足どりは重くなる。最後は縺れる寸前に。

ユーリを捕まえたらとっちめてやるんだ。
人をこんなにも不安にさせて、何が楽しいのか、と。

情けないほど緊張で喉をカラカラに乾かせながら、ぼくはふたたびプロ推の扉を開けたのだ。



―まだ来ていない。

もう八時ニ十分なのだ、さすがに来ていないなんておかしい。有り得ない。
落ち着け落ち着けと胸の中で自分を宥め、コンラートが呼びとめるのも構わず、ぼくはホワイトボードに進む。

四角い枠の中、ユーリの名前の横には取引先の会社名と、〜11:00という時間が書きこまれていた。
南川さんの所は、何も書かれていない。
だが、彼女の姿もユーリ同様、どこにも見当たらず、PCも閉じられている。

ぼくの頭の中は、ほぼパニック状態だった。

「あ、ヴォルフラム。渋谷君ね、今日は取引先に直行してから会社に来るって、連絡があったよ」

傍目にも判るほど青ざめてしまったのかもしれない。
見かねたコンラートが、ぼくの隣に立って説明を始めた。

「そうか。・・判った」

ぼくはまだ聞きたい事があったけれど、惨めたらしいのが嫌で耐えた。
プライドがちゃんと残っているのは、我ながら驚きだった。

だがコンラートはカンのいい男だ。
ぼくが気にしない様に、あくまでもさり気なく、ついでのように教えてくれる。
産まれた時から傍にいるんだ、こちらの動揺なんて簡単に見透かされていることだろう。

「それから、南川さんはもうすぐ来るんじゃないかな。一本乗り遅れたって電話があったけれど、多分ギリギリ間に合いそうだって」
「ぼくは別に・・」
「用事があるかと思っただけだよ。じゃ、また後で。早く席に戻りなさい」
「コンラート」

確かに、ここに居ても何も解決などしない・・が。

「・・では、昼前にまた来るからな!」
「そうした方がいい」

仕方なく11時頃に、ここに戻って来ることにしたのだ。



果して、その時間帯に、ぼくはユーリと遭遇した。
営業室に入る寸前に、アイツの腕をひょいと掴まえてやる。

「ヴォルフ・・!何、痛いってば」
「煩いぞ、へなちょこ」

腕を掴み、廊下の隅の方に引き摺っていく。
一段暗くなった所で、正面から見据えてやった。

すると、面と向かいあった瞬間、彼は視線をふらり彷徨わせたのだ。

なんだ。居た堪れなくてもう逃げ出したいのか?
じゃあ、今何故居た堪れないのか言ってみろ。さあ早く。聞いてやるから。

まるで昼帯のドラマ的な展開だった。
暗くてぼんやりした視界の中、現実か夢か判別できない感覚に侵されながらも、出て来る言葉はスムーズなものだ。
遠くから流れるのはぼくの声じゃない。
この場合に一番ありそうな、台本を読んでるようで。

「言え!昨夜はどうしてたんだ!」

おかしな匂いでもついてないか、探る様な視線を投げてやる。
効果は絶大だった。

「え・・っと言わなかったっけ。昨夜は遅くまで南川さんと飲んでたんだ」
「だがな。電話したんだぞ。何度も何度も。何故電話を取らなかった」
「・・ごめん、鳴ってるの気がつかなかったみたいで・・。店が煩かったし」
「では、どうして朝にでも掛けなおさなかった。メールでもいいじゃないか」
「悪かったよ、ヴォルフ」

嘘をつくのは気が引ける。
嘘をつくならば黙って謝った方が、罪の意識は少なくて済む、という所だろうか。

「どうして言い訳の一つもしてこなかったんだ・・!」
「うん、本当にごめんな。言い訳は・・」

その時だ。
営業室から人が出て来た。
南川さんが廊下の隅に居るぼく達を見ている。

彼女はユーリの姿を確認すると、慌てた素振りで片手を頭上に持ち上げてみせる。
手には、携帯電話。
ブルーのそれは、ユーリが長年使っているものだ。

「渋谷さん、良かった!携帯、取引先から結構掛ってきてるようなんです」
「ああ・・え!?」

その時のユーリの表情は見物だった。
肩をびくんと揺らして、南川さんを振りかえる目や口元がひどく強張っていたのだ。

ぼくは当事者なのに、この状態の異常さに思わず笑いそうになってしまった。
陳腐な、安物ドラマそのものの展開に。

「ふん、そういう事・・か。成程成程」
「ヴォルフ!」

案外自分は有斗みたいな、役者に向いているのかもしれない。
ちゃんと言うべき台詞が、口からすらすら流れるのだ。


一夜の浮気をされた、惨めな男。
なんと、滑稽なぼくの役回り。


もっとも現実感が無いのは今だけで、頭の中で事情を整理した後が大変なのだ。それは判っている。

だって、これはドラマでは無い。

自分がどのような行動をとるのかなんて、ラストがどうなるかなんて・・全く想像がつかないのだから。

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