05/22の日記
23:02
錆鼠(ヴォルフ)
---------------
何度掛けても繋がらない。
5コール後には、必ず留守番電話サービスに接続されてしまう。
普段のユーリは、携帯は肌身離さず持っている主義だ。
学生の時は、携帯を持たないといった古臭い価値観に、自分らしさを見出していたようだけれど。
社会人になって通用する訳がない。
仕事の電話が容赦なく掛ってくるのだ。
さすがに食事中に携帯を弄るような事はないが、時折思い出したように着信チェックをする。
だから、ぼくが電話を掛けてこれほどまでに繋がらなかったケースは今まで無かった。
直ぐ出なくても、ちゃんとメールで今出られない旨の連絡をしてくる。
いくらなんでも、この時間だ。
さすがにおかしい、と不安にもなってくる。
今夜ユーリは南川さんと飲みに行っている筈で―。
数日前、グリ江から聞かされた話を思い出した途端、背中が一気に熱くなり、嫌な汗が流れ落ちた。
「ヴォルたん閣下、ちょっといいですかね」
廊下を歩いていた所を呼びとめられ、奥の給湯室へと連れていかれる。
ぼくとグリ江は偶に給湯室で世間話をする仲になっていた。
あいつは会社内の人間関係に案外敏い。
普通に仕事をこなしているだけではなく、要はシンマバンクという世界を興味を持って眺めているらしい。
家政婦は見た、ならぬ、清掃係は見た、というところだろうか。
今回もあらかた社内の他愛無い噂話だろうと思っていた。
「見ちゃったんですよね、オレ」
グリ江はパチン、と電灯を全部点ける。
給湯室の電灯をつけて置けば、こっそりサボろうという輩は近寄って来ない。
本当に来客があった場合は別だが、ある程度の効果はあるようだ。
「一体何を見たんだ」
「・・・・あんまいいたくないんですけど」
「なら言わなくてもよいだろう」
ぼくは呆れた表情を浮かべ、給湯室から出ようとした。
だが。
「ちょっと待ってくださいよ!」
グリ江はまるで通せんぼでもするように、手をまっすぐ横に伸ばした。
「・・・まあ、言いたくはないけど、耳に入れて置いた方がいいと思ったんです」
ぽつりとつぶやく声。
なんだか重苦しい空気が、この二畳程の小さな空間に充満する。
ぼくは焦る心を押さえ、素直にグリ江の言葉を聞くことにした。
「・・・陛下と、後輩の南川さんだっけ。なーんか危なっかしいなあって」
「どういうことだ?」
「あの子、この前、陛下の隣の席でずっと泣いてた。陛下はずっと悩みを聞いてやるカンジで傍にいてあげてました」
「―それは、ユーリの仕事の立場上からじゃないのか?」
「陛下はそうでしょうけどね。女の子の方は・・普通辛い事があったってあんな風には泣かないでしょう。だって、ここは会社だ」
グリ江がいうには、辛い事があって涙が毀れてしまったとしても、あんなにべったりと席には居ない筈だというのだ。
トイレに行ったり、ロッカーに行ったり。
一人で自分の高ぶる感情にケリをつける。
だけど、南川さんは席を立つ事もなく、ずっとユーリの隣でぐずぐず泣いていたというのだ。
指導するべきコンラートは電話の後すぐに外出したし、とグリ江は溜息をついた。
「・・・無意識なんでしょうがね」
「そうなんだろう、多分。彼女はまだまだ新人なんだ」
「無意識に陛下の気をひきたがってるんです」
「大丈夫だ。ユーリは彼女には特別な感情を抱いていない」
「そうですけど。陛下はお人よしですからね。ほだされないとも限らないんですって」
つまらなそうに、鼻をふんと鳴らす。
「・・そんな、ユーリに限って」
「そりゃあ陛下は閣下の事だけが好きだと思いますが。・・まあいいや。とにかくオレは、仲のいいあんたたちを見るのが好きなんでね」
本当にこんな事言いたく無かったんだけど、おせっかい。
言い訳をするように、グリ江は何度も同じ言葉を繰り返した。
ぼくはぼんやりと訊ねる。
「・・・だが。正直どこまで頑張ればいいのだろうか」
「閣下?」
「最近よく・・判らなくなってきたんだ」
区切りが、という言葉は呑み込んだ。
ぼくはこの関係を長く続かせる事が、如何に難しいかを知っていた。
同性同士の社内恋愛。
嫌なモノも目に入り、疑心暗鬼に駆られる。悋気に苦しめられる回数も、社外より確実に多い気がする。
そんな事の積み重ねが、恋愛の寿命を縮めてしまうのだろう。
見えもしないゴールに向かって走り続けなければならないのだから。
だが燃料が減って、走り続けるのがキツイと判断したら・・。
リダイアルのボタンを押す。
毎晩の習慣も手伝って、ぼくは三度目の電話を掛けてみることにしたのだ。
だが、留守電サービスのアナウンスを予想していたぼくの耳には、また別の言葉が流れて来る。
『お客様のおかけになっている電話は、電源が切れているか、電波の届かないところに・・』
前へ|次へ
□ 日記を書き直す
□ この日記を削除
[戻る]