だめなものはだめ



高校に上がる前に買い換えたベッドが狭い。身長が180センチに届いたわけでもないのに、なぜこんなに狭いのか。寝返りを打ったら、何かに当たった。それはなんだかあたたかい。
「………?」
やわらかくて、あたたかい。ゆっくりと目を開くと、こちらを見ているふたつの瞳とかちあった。瞳は黒々としていて、大きい。ぱちぱち、と瞬きをした。その中に自分が映っている。
「やっと起きたの、桃先輩。」
「……えちぜん?」
「もう昼っスよ。」
越前はベッドの中から伸びをして、首を左右に動かした。すこしクセのある黒髪がさらりと揺れる。見れば、俺の紺色のスウェットを着ている。
「あぁ、……えーと。」
そうだ、昨日越前はウチに遊びに来てそのまま泊まったんだった。冬休みで、昨日が今年最後の部活の日だったから。部屋でテレビを観ていて、もう寝るか、ということになって、それで…。
寝た。
寝たのだ。
越前と。いや、つまり、した。服は着ているが、これはした後に着なおしたもので、下着はつけていない。記憶は鮮明だ。
「………なんでそうなったんだ。」
俺は頭を抱えた。酔っていたからという言い訳もできない。(そもそもが未成年だ)
越前はしかし少しびっくりしたような表情で、
「したかったからじゃないの。」
などと、しれっと答える。いやいや、なんでお前はそんなに冷静なんだ。
「わかさ?いきおい?かんちがい?どうよ?」
「往生際が悪い。強いて言うなら、雰囲気。」
そう言い捨て、ついでに、はあーっと、ため息をつかれた。その重さに、俺は何も言えなくなる。瞳が揺れた。
「後悔とか、してるんスか。」
「そういうわけじゃねえ。」
後悔なんかしてはいない。どちらかというと、それは俺が聞きたい。身体的につらいのは越前の方だったんだろうし。俺が知りたいのは、なぜこんなことになったのかということだけだ。
「ならいいんじゃん。」
越前はくすりと笑って、擦り寄ってきた。黒髪が肩に広がる、くすぐったい。条件反射で背中に腕を回す。すると、あいまいになりかけていた昨夜のぬくもりが一気に思い出されてくる。あたたかい、熱い、やわらかい、熱い。
なんだかんだと理由をつけても、事実はひとつしかない。確信犯だったのか無意識的だったのか、いずれにしても俺は越前と寝た。
寝た、と頭のなかで繰り返したところで軽い心臓発作なんじゃねえの、と思われるくらいの息苦しさとめまいを感じる。どきどき、とか、わくわく、とか、そんな甘くてかわいらしい表現では表せない。ちょっと、心身共に悪すぎる。頭が痛い。そして快感だ。
彼女と抱き合ってもこんな風にはならない。女性特有の、甘ったるさはまったく悪くないのだけれども。
「どうしろっつーんだ、よなぁ。」
思わずこぼれたつぶやき。
「そんなこともわかんないんスか?」
間髪入れず返って来た越前からの言葉。顔を見ると、まだ笑顔だ。機嫌は良いらしい。
「だって先輩、俺のこと好きでしょう。」
「んだよソレ。そんなの、なんでわかるんだよ。」
「まぁね…。」
越前のそれは返答になっていない。双眸は閉じてしまった。口元はまだゆるんでいる。
「桃先輩あったかいよね。夏は暑苦しいけど冬はけっこうイイ。」
「人をカイロみたいに言うな。」
「あ〜、それ、いいっスね。人間カイロ。」
「ぜんぜん良くねえ。………っ、?なに、」
布団の中で越前の手が、空いている方の俺の手を絡めとった。指と指の間に越前のそれが入り込む。皮膚と関節が擦れてそこからまた熱が生まれる。
これはいわゆる、恋人つなぎというモノでは、と俺がなんとなしに思っていると、越前はぱち、っと瞳を開いて言った。あ、そうだ、と。
「とりあえずさ、桃先輩、今から彼女に電話して。」
「はっ!?なんでだよ?」
「電話して会って、2、3発殴られてきたら?」
なんだそれは、という顔をしているに違いない俺の言いたいことは、越前にはわかっていたようだ。
上目遣いで視線を逸らさない。
「まさか先輩、俺を選ばないってことがあるの?」
などと、あっさりと言ってのけた。
俺は、えー、とか、ないだろ、とか、えらぶってなに、とか、思った。
今付き合っている彼女は10月から始まったばかりで、つい数日前もクリスマスデートをしたのだ。毎日メールや電話をするし、喧嘩だってしたことがない。肩までのさらさらなストレートヘアーの、目がぱっちりとした、優しくてかわいらしい、同い年の女の子。俺がテニス漬けでデートの時間がなかなか取れなくても文句のひとつも言わない、性格のとても良い、イイ子なのだ。
「待てよ。よくわかんねえけど、や、わかるっちゃわかるけどよ…選ぶとかそういうのはちょっと。」
「ちょっと、なに?…ていうか、こんな状態で、そういうこと言えるアンタってある意味すごいと思うけど。」
最低、と呟いて、けれどなぜか越前は楽しそうだ。その楽しみ方は相当意地が悪い。
こんな状態。
ひとつのベッドで抱き合っていてそれが気持ちいいな、と感じている状態。
腕枕の中で、越前は器用に首を傾げた。
「先輩が最低じゃなかったら、この世の誰が最低なんスか?」
「…。」
そんな台詞を吐いて俺の腕の中で笑っているお前じゃねえの、と俺は思った。…思ったが、ため息と共に口から出たのはこんな言葉。
「お前って…、俺のこと好きだったんだな。」
「好きじゃないって言ったことあったっけ?」
越前の返事はやはり答えにはなっていないけれど、頭をぐいと引き寄せられて、唇に軽く口付けられると、もうそんなことは瑣末な問題だ。
心臓が工事現場で使うドリルの様な音を立てていて、とてもうるさい。
心なしか顔が熱い気がする。目の前の越前の頬もなんとなしに色づいているような、その顔は無表情を装っているように見えるけれどそれでも隠し切れないなにかが見える。かわいいとか一瞬でも思った自分が信じられない。
「う、わ〜〜〜…っとに、どうすんだよ、やばいだろ!イイ子なんだって、マジで!」
頭を振って、冷静になれと自分を叱咤する。越前は男で、後輩で、彼女とは比べられない。
「ふーん。先輩は、イイ子が好きなんスか?」
機嫌を損ねた様子もなく、越前は心底不思議そうにそんなことを言った。その吐息が、首筋に当たる。薄い皮膚のそこは刺激に敏感で、一瞬ぶるりと身体が揺れた。それに、越前はふふ、と笑った。
「桃先輩、ここ弱いよね。」
「誰でも弱ぇだろ!ったく、なんでそんなん知って、……あー、いいなにも言うな。知ってるよなそりゃそうだ。」
越前の口が「きのう」、と形作る前に自己完結しておいた。なかったことにするつもりは毛頭ないが、言葉にされるのは恥ずかしい。それに俺も、越前のそういう場所を知っているのだから、お互い様だ。火照った身体や、声や、しめった肌や濡れた瞳…鮮明に覚え過ぎていて、記憶を直視するとまた反応しそうだ。あーもーなんだこれ、この、コントロール出来ないこの状態。だってちっとも腕の中のモノを手放そうとか思えない。正気じゃない、もう選んでるとか、…選んでた?とか。
「ねぇよ……。」
こんなに好きだった、とか、彼女とは比べられないほど、とか。あり得ない。全部。
多分ひどく情けない顔をしている俺を見て越前はどう思ったが知れないが、とにかく、と、言った。
「さっさとインドウ渡してよね。」
枕元に放って置いた、俺の携帯電話を俺の胸に突きつけて笑う越前は、案外嫉妬深いんだろうか、知らなかった。そんなことを考えながら携帯を受け取って、着信履歴から彼女の名前を出す…昨日の夜から7回残っている不在着信を見ると、なんとも言えない心持ちだ。別に嫌いになったわけでもないので、尚更だ。元々そんなに好きじゃなかったらしい、というだけで、なんていうのはどうなんだろう人間的に、とは思っている。
越前は俺をじっと見ている。
「電話する?」
「………おう。」
「じゃあ、俺シャワー借りていいっスか。さっき桃先輩の家族、買い物出かけちゃったみたいなんで。」
「え、マジで?」
どうやら俺が寝ている間にそうなっていたらしい。そういえば年末だから色々と必要だと母親が言っていた気がする。
「それじゃ、まあ、ごゆっくり。」
そう言い残して、越前は出て行った。
その動きはいつもとなんら変わりがなかったので、俺は一瞬、寝た、という事実を疑う。
…疑う余地もないのに、確かに俺は往生際が悪い。悪すぎる。
ふと思い立って、携帯の発信履歴を見てみる。
そして吹き出してしまった。この1週間で、越前リョーマ、その名前が3回続いているときがある。電話したことすら覚えていない。用事なんてあったっけ。越前リョーマはそれほど日常だっただろうか。
本気で最低だろ自分、てか、最悪つぅの?と思いつつ、俺はもう一度着信履歴に戻った。彼女からの着信。昨日の夜はメールもおざなりだったから、電話をしてきたのだろう。彼女のことを思うと胸が痛い。
新着のメールも、彼女からのものが3件。ほかはクラスメイトと英二先輩から。取り急ぎ、彼女以外のものに返事を出す。
すばやく文字を打ち込みながら、電話したくねぇなあ、と心底思う。それから、越前早く戻ってこねぇかな、とも。
勿論、戻ってきたときに電話を終えていなかったら大変なことになるとわかってはいた。



From/英二先輩
sub/はつもーで

 3日11時!!


sub/Re:はつもーで

 了解っス(^0^)晴れるといいっスねー




END


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