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□永遠の恋敵
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斎藤には最近少しだけ不満なことがある。
それは不満と言うにはあまりにも贅沢な、そして幸福なもの。
そのことを斎藤自身もよく分かっていたから、ひっそりと胸の奥に閉じ込めておこうと思っている。
『永遠の恋敵』
「――ただいま」
その日斎藤が家に帰ると、いつものように、家の中は喧騒に包まれていた。
泣き叫ぶ赤子の声とぱたぱたと走る鈴花の足音。
間もなくして、赤子を抱いた鈴花が目の前に現れた。
「おかえりなさい。ハジメさん」
「ああ」
斎藤と鈴花の間に子供が生まれて三ヶ月になる。
出産前はいくらかふっくらしていた鈴花もこの三ヶ月ですっかり元の体型に戻り、それどころか最近は随分と痩せたような気さえした。
一人の子を育てるということは、それだけ体力と気力を消耗するのだろう。
斎藤は出迎えた鈴花の頭を撫で、それからその胸に抱かれた我が子の顔をのぞき見た。
息子である。
顔立ちはどちらかというと母である鈴花に似ていると斎藤は常々感じていた。
先ほどまで泣き喚いていたというのに、今は気持ちよさそうに眠っている。
「ごはんも出来ていますよ。あ、でも先にお風呂ですか」
そう尋ねてにっこりと笑む鈴花を斎藤はそっと引き寄せた。
赤子を挟んでいるから二人の体は密着することはなかったが、それでも鈴花は甘えるようにその頭を斎藤の胸に押し付けた。
「あまり・・・無理をするな」
真剣な声音でそうつぶやく斎藤に鈴花は微笑む。
「無理なんて。ハジメさんと私の赤ちゃんですよ?毎日大変だけど、毎日楽しいんです」
そう言って鈴花は慈しむように胸で眠る赤子を見つめた。
「・・・そうか」
斎藤は鈴花の額に一つ口付けを落とすと、そっと手を伸ばした。
「・・・?」
首を傾げる鈴花に「俺が見ている」と告げると鈴花はますます首を傾げてみせたものだから、斎藤はため息を吐いた。
「俺がみているから、たまにはゆっくり風呂でも入って来い」
そういうと鈴花はやっと得心がいったようで赤子をそっと斎藤に預けて、上目遣いに斎藤を見た。
「お言葉に甘えていいですか」
斎藤がこくりと無言で頷くと、鈴花は嬉しそうに風呂場へと駆けていく。
その足音を耳にしながら斎藤はまたため息を吐いた。
斎藤の胸の中に眠る我が子。
その小さな体。
小さな足、手、顔。
とてもいとおしい存在。
とても幸せな日々---。
けれど自分の内にひっそりと根付く不満。
−−−幸福な、不満。
独占していた鈴花を取られてしまったような、そんな感覚。
そんな感情をまさか愛しい自分の息子に抱いてしまうなど−−−斎藤は想像もしていなかった。
鈴花の斎藤に向けられる愛情が減ったわけではない。むしろより深い愛情を感じている。
鈴花の愛情の対象が一つ増えただけなのだ。
家族が増えるとはそういうことなのだろう。
斎藤自身も我が子を深く愛しているのだ。
−−だからこれは、幸福な不満。
−−−幸福な嫉妬。
自分でも良くわからない感情を口下手な斎藤が鈴花に伝えられるわけがなく、伝えたところで呆れられるのは明白であったから、己のうちに秘するしかない。
斎藤は眠る赤子の手をそっと握った。
ぴくり、とその小さなまぶたが動く。
「あまり、母上を困らせるな」
小さく呟くと、赤子は目を開いて斎藤の姿を確認すると、にっこりと微笑んだ。
あまりの愛らしさに、斎藤は頬を緩めそうになったが、それは辛うじて表情を引き締めて。
わずか三ヶ月の息子に斎藤は至って真面目な表情で呟いた。
「お前に言っておくことがある。お前がこれから先いかに大きくなり、いかに強くなろうとも・・・母上を守るのは、この父だ。覚えておくがいい」
自分でも何を言っているんだ、と思ったがそれでも、はっきりさせておくに越したことはない。
幾分かすっきりした斎藤であったが、胸の中の我が子が突然顔を歪ませたのに気づいて。
「いや・・・違う」
慌てて笑顔を作りあやしたが、時すでに遅し。
父が怒っていると勘違いしたのか、大声で泣き出した息子に、斎藤は苦笑を漏らした。
「・・・これは長い戦いになりそうだな」
と、小さく呟いて、斎藤はその可愛らしい永遠の恋敵を高く抱き上げた。
〜END〜
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