皇国テキスト

□不快な氷
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不快な氷


◇◆◇◆


彼の事が苦手だった。勝ち気でそれでいて相手を見透かすような鋭い目、相手を嘲笑うかのように薄く歪んだ唇。だというのに他者に不快感を与える事がない完璧な立ち振舞い。将家の男として保胤は彼を尊敬すべきであると分かっていた。 しかし保胤は彼にそのような感情を抱けずにいた。最初は年齢相応のどうとでもない羨望であると思い込む事にしていたが、次第にそれだけでは片付けられなくなっていた。それは保胤の知らない、気付かずにいた奇妙な感情の塊であった。しかし対処が分からない。純粋な嫌悪感ならば何とか誤魔化せたし、純粋な羨望ならばそれをひとつの尊敬として彼に接すれば良かった。だがそのどちらでもないのだから保胤は困惑した。そして彼は最終的に彼とさほど親しく接しないという形で解決しようと試みた。そうすればあの奇妙な感情に弄ばれる事はないのだから。けれど彼はそれを許してはくれなかった。

何故なのかは分からないが、適当な理由をつけて彼は保胤に話し掛けるようになっていたのだ。それは単純な人間観察のひとつであると保胤は判断していたがしばらくしてそうでない事が分かった。あしらう事は出来なかった。皇族でなければもう少しそっけなく振る舞えただろう。しかし彼の身分がそれを許さない。無礼などあってはならないのだから。保胤は出来る限り自分の感情が顔に出ないよう細心の注意を払いながら善良な笑顔で懸命に対応した。彼は満足そうな顔をして笑いかけてきた。それが嫌でならなかった。しかしどうしようもない。そして周囲はいつの間にかそんな二人を親しい関係にあると思い込み始めた。保胤は周囲に応えるようにさらに彼と親しくなるように振るわなくてはならなくった。今更、実は全て演技であったと気付かれてはいけないのだ。

そうしているうちに保胤は身動きがとれなくなっている自分に不快感を覚えるようになった。そして逃げるように酒を飲んだ。酔ってしまえばそんな自分から逃れられるから。だがそれはほんの一瞬。酔いから冷めてしまえばまたあの訳の分からない不快感と、嫌悪感と嫉妬が混じった奇妙な感情に悩まされるようになる。そのうちどうでも良くなり、酒すら飲まなくなった。適当に本を読んだりして適当に眠りにつくようになった。

そんな無意味な行為を繰り返していた矢先、彼は保胤を呼んだ。

◇◆◇◆

「今宵は良い日だ」

彼は楽しげに、そして愉快そうに保胤に言った。ツンと鼻につく酒の匂い。酔っているようには見えないが、機嫌が良いのは酒のせいかもしれない。保胤はそう思いながら部屋に何故自分以外の人間がいないのかを考えていた。

「はい、まことに良い日でございます」

保胤は彼に頷いた。確かに今夜は良い日であった。光帯と星が美しく彩られた夜空によって酒の味が美味くなる。保胤は上品な笑みを浮かべて窓の景色を見た。このように美しい夜空はなかなか見れない。もし一人きりならばどれだけ開放的な気分になるだろう。保胤はふと亡き母の事を思い出した。一度か二度だけ母と夜空を見た事があった。あの美しい夜空と、今目の前にある夜空どこか似ているような気がした。

「…お前はいつも面白い顔をしているな」

「面白い?」

保胤は視線を夜空から彼に戻した。彼の弓のように細長い瞳は保胤を射るように見ていた。保胤はその瞳が苦手であった。何もかもを見透かされているような気がするからだ。そういえば父も時たまこのような目をするな、と保胤は思った。

「表情が変わらなさすぎだよ、お前」

ピクリと保胤は眉を動かした。彼が何を言いたいのか分からないほど鈍感でないつもりだ。常に自分が何者かを演じている事、それについて言っているのだ。

「誰も彼もがありのままで生きるわけにはいかないでしょう」

保胤は静かな口調で答えた。演じている、それは彼も同じ事。どんな人間もその点においては同じだ。

「そういうわりには上手くないな。まあ、だから面白く思ったのだ」

薄く笑い彼は手にしていたグラスを置いた。美しい模様が施されたグラスに自分のやや強ばった顔がうつりこむ。それを見てハッと口を開けてしまった時、細い目をさらに細めて笑う彼と目があった。

「そういう顔は初めてだな」

「……」

彼は保胤の顔、表情の変化を楽しみたいがためにあえて言ってきたのである。それに気付いた保胤はこれ以上は弄ばれないようにと顔に備わるありとあらゆる神経を使っていつも通りの穏やかで深みのある甘い表情に戻した。外向き用の顔は幼い頃には出来るように訓練されていた。人前でこの顔を崩した事は一度もなかった。しかし意図も簡単に彼はそれを壊してしまった。彼の遊び心を満足させるためだけに。

「その顔は見飽きたよ」

「これが私の顔でございます」

「その人形のような顔が、お前の顔だと」

彼の目が妖しく光る。光帯の慈悲深い光とは違う、妖しく冷たい光であった。目をそらす事はせず、迎え撃つように彼の目を見る。ほんの数秒間ほど保胤と彼はお互いの目を見つめあった。睨みあうというべきかもしれない。他者が見たならばそう判断するだろう。

「顔に似合わず気が強いな」

気が強い。そういえば父にも似たような事を言われた事がある。そしてこうも言われた。その気の強さは命取りになるぞ、と。だからこそ自分を律し他人に知られないように振る舞ってきたというのに。保胤は唇を噛み締めた。屈辱であった。先程といいまさかこんな所で他人に、しかも彼に知られてしまうとは。

不快感で呼吸が出来なくなりそうだ。しかしそんな感情と遊んでいる場合ではない。そうでなくては彼に弄ばれるだけの存在になってしまうではないか!

「俺も同じだよ」

「…?」

不意をつくように彼が呟く。何が言いたいのか。何が同じだというのか。保胤は彼に尋ねた。

「…まことに失礼ではありますが、何が同じなのでしょう?」

彼は笑った。先程とは違う掠れるような笑い声。そんな笑い声をはじめて聞いた。しかしそれを口にしようとは思わなかった。

「見せる必要もないと思っていたのに、お前の前だと見せてしまうのだ」

「…は」

何を言っているのだろう。保胤は考えてみるが答えが見つからず何も口にできなかった。それは彼の前ではやってはならない行為。しかし彼はその事について何も言わなかった。

「分からないか?親族にすら見せずにいたというのに、何故だかお前には見せたくなる」

彼らしくない言葉だ。保胤の知っている彼ならばあり得ない。普段あれほど大胆でしかし計算高く振る舞う彼がこのような言葉を口にするはずがない。いや、口にして良いはずがないのだ。

「その顔も初めてだな」

「それは貴方が」

そんな事を言うからだ、という言葉を飲み込む。懐かしい感覚がした。かつて母とこうした言葉のやり取りをした事があった。しかしその懐かしい感覚を否定したくなる。許せないとすら思った。

彼は保胤の顔を眺めながら酒を口にした。カラン、と氷の音が耳に響く。心地よい音であるはずなのにとても嫌な音に感じた。何故なのか、それはもう保胤には分かっていた。分かっていたからうっすらと笑みを浮かべた。作られた笑みとは違う。それとは真逆の笑みを。

「お前はやっぱり面白いよ」

彼は嘲るように笑ってみせた。ああ、やはり彼が嫌だ。凄く凄く嫌だ。しかしひどく楽しい。

これは絶対に教えてやるまい、と保胤は誓った。


◇◆◇◆

こんなんじゃねえよ。こんなんじゃねえよ、実仁親王はこんな育ちの悪い言葉使わねぇよ。

…しかしどうする事も出来ずこんな、こんな、恥ずかしい作品に!!!

修正しても修正してもどうにもならなかったああ。

すいません。。

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