皇国テキスト

□それでも花は咲かなかった
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ただ一人の主人と過ごした時間。あまりにも短かいものでした。しかしその時間は私の人生を逃すまいと暗く小さい箱に閉じ込めたのです。たったの半年ほど。その殆どは戦地に赴いていたから会えないも同じでした(時たま私宛ての手紙は届きましたがそれは事務的な内容でした)。しかし私の人生は大きく変わってしまったのです。

再び忠練院へ舞い戻った際、同族は私と主人の関係について誰も聞こうとしませんでした。聞けなかったのではありません。生存のために磨きをかけた知性と元来備わる直感力を備える同族がそんな事をするはずがないのです。ああ、けれども私は例外です。たった一人の主人に満足させてあげる事すら戻ってきたのですから(主人は人様からすれば最悪としか言いようがない最期を遂げたのです)。

同族からすぐに戻ってくるだろうと思われていました。そもそも私は忠練院の外へは出られないと思われていましたし。あまりにも成績が酷かったのです。何より並以上の美貌と完璧な肉体を備える同族達と比べると私の容姿は幼く小柄でした。一生を忠練院で過ごすであろうと思っていたのですが、どういうわけか駒洲公陪臣格筆頭である主人、佐脇俊兼さまにお仕えする事になりました。

初めてお会いしたのは兵部省の人務部で。眉目秀麗で堂々たるものでした。美丈夫という言葉が最も適していると思います。<皇国>陸軍が求める軍人らしい立ち振る舞いに私は恐縮してしまい上手く俊兼さまと言葉を交わす事は出来ませんでした。俊兼さまは知らされていなかったのでしょう。ひどく驚いた顔をして部長を問い詰めていました。もしかしたらお断りされるかもしれないと思いました。そう思った途端に恐くなりました。顔に出ていたのでしょう、俊兼さまは気付かれたように目を細めてこちらを見ていたのです。品物を見定める、そんな風に思えました。貴族特有の冷たい瞳とでも言うべきでしょうか。おそらく無意識に身につけたものでしょう。ひどく慣れきっているように見えましたから。冷たいながらも悪意を感じ取る事は出来ませんでした。しかし俊兼さまはお断りする事はありませんでした。本当に驚きました。ひょっとしたら何かを焦っていたのかもしれません。あの北領の英雄となられたあの人が原因でしょう。今となっては全てが分からずじまいですが。俊兼さまがその時私をどう思って見ていたのかはもう分かりません。

ただ私の敬礼は気に入らなかったようです。俊兼さまがその事を最初に注意されていましたから。それ以上は、何も。


◇◆◇◆


俊兼さまからしたら私はあまりにも欠点の多い個人副官でした。欠点が多すぎて何から注意して良いか困っていたに違いありません。私もその事についてどう話せば良いか分からないほどです。ええ、本当に。これでは俊兼さまの面目が丸つぶれになってしまうと私なりにどうにかしようとしたのですが、その欠点が改善される事はありませんでした。きっと何度も忠練院へ送り返す事を考えたに違いありません。

最初に断りを入れなかったのは…やはり幸運と言うべきでしょう。それはいまだに私の謎です。ですから一度だけでも受け入れてくださった俊兼さまに感謝していたのです。それだけが私にとっての幸福でした。例え送り返される事になったとしても受け入れようと決めていました。けれど俊兼さまは結局私を送り返す事はありませんでした。それも私の謎です。毎日私を叱り付けながらそれだけは口にしませんでした。どうしてなのか。私はあれほどまでにご迷惑ばかりおかけしていたというのに。それは一生分かる事はないでしょう。答えを知る俊兼さまは、二度と私の前に現れる事はないからです。

私は無能な個人副官でした。捨てられないだけでも幸せ者なのです。ですから、俊兼さまの婚約者の典子さまにどのように言われても(これは文字通りの意味です)、私がそれに対し憎しみを抱く事は出来ないのです。ふてぶてしいにもほどがあります。それこそ俊兼さまの面目が丸つぶれです。典子さま可憐な婦人でした。俊兼さまは愛していらっしゃいました。だからこそ俊兼さまは典子さまが私にどのような事を知っていても叱ろうとはしなかったのです。間にすら入らなかったのは当然であると無意識に考えていたからでしょう。それこそが俊兼さまの愛情だったのです。将来を約束した婚約者への。ああ、もちろん俊兼さまは貴族のお方です。そうであるがために冷酷な思考は当たり前のように存在していましたし、その思考を私に向けた事は何度もありました。叱ろうとしなかったのはそっちかもしれません。

仕方がないのです。いえ当然と言うべきでしょう。俊兼さまが生きられていた世界はそうでなくては生き残れなかったのです。きらびやかで華やかな世界に見えるかもしれませんがその内部はどこまでも深い闇に包まれています。ごく自然にそういった非情さを俊兼さまは身につけたのでしょう。だからこそ私は俊兼さまのお傍にいたいと願いました。送り返されるその日まで。

典子さまには勘違いされたままになってしまいましたが、私と俊兼さまの間には何もありませんでした。個人副官の任務には主人への肉体的な奉仕も含まれますが、本当に何もなかったのです。そこまでの関係を築く時間などありませんでした。欠点が多かったという理由も含まれるでしょう。だからこそすぐ送り返さなかったのが不思議なのですが。俊兼さまほどの方ならすぐに美しく有能な同族を副官にする事など容易かったというのに。

俊兼さまが私にどういった感情を抱いていたのかは分かりません。嫌悪していかもしれません。けれども私は違いました。例え無能な個人副官であったとしても私は両性を備える生物。主人に愛情を抱かずにはいられませんでした。一度主人の傍に仕えれば離れられなくなるのです。離れる事が恐怖なのです。この生物だけの感覚とでも言うべきでしょうか。命が契れるほどの痛みを感じるのです。ですから俊兼さまが典子さまと寝室に行かれる際は、どうしようもなく典子さまに羨望を抱きました。いいえ、これは嫉妬です。ごめんなさい、これだけは嘘をつけないのです。本当に悲しかったのです。だからこそ私は消えてしまいたかった。

他にも俊兼さまと深い結び付きをされている女性は何人かいらっしゃいました。例えば長く屋敷に仕える女中。直接言っていたわけではありませんが、何となく気付いてしまいました。俊兼さまが私を女として見ていなかったのは明白。きっとそうなのです。面倒を起こす部下だったのです。ただそれだけ。それ以上ではなかったのです。


はい。ですから本当に…本当に申し訳ありません。典子さまに叱られてしまいますが、何も、何もなかったというわけではなかったのです。ただ一度だけありました。俊兼さまにとってはたわいもない事かもしれませんが、私にとっては本当に幸せな事です。忘れる事など絶対にない大切な思い出です。その一つだけは誰にも(それこそ典子さまにだって)奪われたくないのです。これだけは、私の物にしてしまいたいのです。とすれば何もなかったわけではありません。典子さまが思われるような深い関係になる事はありませんでしたが、確かにあったのです。


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某呟きサイトで、フォロワーさんとお話ししたネタです。
佐脇に副官がいたら直衛のように可愛がる事はしないだろうなぁと。エヘヘ。

後半2ページは、来週あたりにアップ出来たら…良かとです!
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