皇国テキスト
□過去からの憎悪
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初めて声をかけてみた時の事を、彼は鮮明に覚えていた。興味からである。理由は他にない。ただ、興味だけが意味もなくそこに存在していた。何時からか、それは分からない。ただ、彼がその興味に気付いた時、既に視界に入っていたのだ。
古めかしい本をいつも持っていた。とても、子供が読む本には見えない。
大人であったとしても、読もうとする者はいないであろう。しかし、そんな本をいつも持って読んでいたのだ。
彼と同い年である。しかし、出身は怪しげだ。故郷はおろか、名前すらあやふやな少年。だというのに、駒城の預育という卑しい肩書を持っていた。
−あいつ、百姓の子供なんだってよ−
−母様が言ってた。貴族でもないのに駒城に住まわせて貰ってる添え物の百姓だって−
−生意気だな。百姓がここにいるなんて−
初等教育を受けたあの場所で、彼はいつもそんな話を耳にしていた。百姓である事は知っていた。もちろん、内乱の孤児であるという事も、それとなく父から聞いた事があった。
戦争で全てを奪われ、そして駒城に拾われた彼と同い年(正確にはそう定められただけであるが)の少年。
対する彼は、裕福な家に生まれ、何不自由なく生きてきた。戦争など知らない。
同じ時に生まれ、同じ月日を生きながら、彼と少年はあまりにも対照的であった。ただ、生まれ場所が違うだけで、彼と少年の間には果てしなく遠くて近づく事の出来ない境界線が引かれていた。
そのためか、彼は少年と一度も話した事がなかった。理由は簡単だ。少年は誰からも好かれてはいなかった。義姉(あね)とされる年上の少女一人を除き、その少年は孤立していた。だから、話す事はしなかった。父からも百姓と話すなと言われていた事も原因であったからかもしれない。
誰とも話さず、打ち解けず、ただ静かに少年は部屋の片隅で本を読んでいた。たいして分かりもしないであろう本を、何かに縋るように読み続ける姿はどこか悲しげに見えた。しかし、残酷なほど冷たくも見える。
そして、それがカンに障った子供達は異質に存在するその百姓の少年を敵視するようになっていった。
−百姓のくせに、なんて偉そうな態度だ−
最初こそ彼はただ聞き流していたものの、子供達の少年に対する悪意が次第に心を征服していった。それが強く心を掴むようになっていく。
−あの餓鬼とは話すな。奴はお前とは育ちが違う−
父の言動が彼に拍車をかけた。百姓という身分はそれほど嫌悪の対象になりうる事に対して、彼は悪い事だと思わなくなった。いや、これは善悪の問題ではないのだ。これは単なる価値観の問題だ。価値観において悪意は単なる飾りでしかなかった。
そして、次第に彼は少年に興味を抱き始める。
良い意味ではなかった。
−百姓のくせに、ここで施しを受けるなんて、生意気だ−
全くの悪意から生まれた興味が彼を少年へと引き付けていく。それは偶然であったのだろか。それとも必然であったのか。いずれにせよ、この二人の交わりが後にあの惨劇を発生させる要因になった事を、当時の人々は知るよしもない。当然か。何故なら本人達ですら気付かなかったのだから。
×××
「お前、東洲の百姓の孤児なんだってな」
彼が初めて少年に言った言葉は、侮蔑と軽蔑とそして価値観による悪意を含めたものであった。
あからさまに伝わるその感情は、小さな子供でも感じる事が出来る。人間には元来それを察知する事が出来るのだ。
子供故の無垢な邪気の色が見え隠れする瞳で彼は目の前にいる少年を見た。天候は雨。ジメジメと不快な湿気が空間を支配している。少年はその片隅にいた。空気のようであった。しかし、必ずそこにいるという、ある種独特の雰囲気が少年にはある。
「父上が言っていた。お前、拾われた孤児だと。本当なら、此処にいるべき人間ではないと−−」
少年は本を読んでいた。いつもそうだ。決まって片隅で本を読む。そうして周囲との接触を極力避け、ただ一人の価値観からなる世界に篭る。まるで、何かを拒絶するかのように。
もちろん、大人になった今だからこそ分かる話で、当時子供であった彼にそれを察するほどの観察力はなかった。
単に澄ました顔しているだけの、生意気な百姓の子供にしか見えず、それが彼の心を激しく揺さぶっていた。
「おい、本当なのか?」
「……どうしてそんな事聞くの?」
少年の瞳は世話しなく読めるはずもない本の文章を追っていた。しかし、突然何の前触れもなくその目は泳ぐように動き、彼の顔を見た。
彼は初めて少年のその目をマジマジと見る。有り体に美しいとは言い難い。寧ろその逆。全く反対のように思えた。ひどく嫌な気分になる。少年は、ただ彼を見た。彼も少年を見た。
ゴクリと唾を飲み込む。彼の視界は一瞬だけ歪む。けれど世界は壊れる事はない。
「百姓は此処にいてはいけないと父上が言っていた。お前が百姓の子ならば、此処に相応しくない」
「…大殿様は此処にいて良いと言っていた…」
「それは、たまたまお前が若殿に拾われたからだ。本来なら、お前は此処にいるはずもない百姓の子だ」
−お前と俺では育ちが違う−
身分について、彼は今でもそう思っている。例えば町で見かける町娘達、工場で働く男達、衆民と呼ばれる人々を目にする度、無意識に彼は貴族という身分を再認識している。自分と彼らでは育ちが違う。だから住む世界が違うのだと。悪意はなかった。価値観による常識として彼の意識にある。そう、悪意なんてないのだ。でもそれが厄介なのだ。
少年は一瞬だけ、迷うようなそぶりをみせた。何かに悩むような、苦しむような顔をした。でもすぐに戻した。
「……そうだね。君が嫌なら、それでいいと思うよ…」
「え?」
少年は頷いた。驚く。彼は、必ず少年が反論してくると思って身構えていた。しかし、期待は外れた。少年に、その気などないのだ。そして気付く、彼は目を見開く。たった今分かった事がある。
少年は再び目を、彼から本に移した。そして先程と同じように本の文章を追いはじめる。静かに時間が流れ始めた。
まるで、最初から彼に関心なんてなかったかのような態度。
彼はそれに気付いたのだ。
彼がこうして少年に話しかけたその時から既にどのように遇って彼を追い払うか考えていたのだろう。そして、彼の意見をあえて否定せず肯定して話を打ち切った。
大人同士の会話ならよくある事だ。しかし、子供同士の会話となれば別だろう。幼さ故にぶつかり合う。反論し、攻撃する。しかし、少年はその全てを拒絶した。どう切り返せば良いのか、幼い彼には分からなかった。ただ、少年の前で立ち尽くすしかない。
「ねえ」
少年は再び顔をあげた。
「いつまでそこにいるの?」
「−−−−っ!!」
カッと頭に血が上る。そこからはあっという間であった。
少年の持っていた本を投げ飛ばす。呆気にとられ、何の反応も出来ずにいた少年の肩を掴み思いきり床に押し倒した。少年は抵抗しなかった。いや、抵抗する気なんてさらさらなかったのかもしれない。
ガタンッ
床から肌に鈍い音が伝わる。彼は少年の上に覆いかぶさった。
「百姓のくせに、生意気なんだよ!」
高ぶる感情を押さえ付ける術を彼は知らない。感情のままに、理性を無視して少年を動かないように押さえ付けた。ようやく、そこにいた周囲の子供達が事の異変に気付き、集まり始めた。止める者は誰もいなかった。誰もが少年を快く思っていなかったのだ。
「東洲に帰れ!お前は此処にいていい人間じゃない!」
彼は少年に向かって言った。少年は何もしない。ただ彼を見ているだけ。言葉すら発しない。見ている。それだけで、彼は次第に彼の態度を見て、一人相撲をしているような気分になる。不快。
「おい、何とか言ったらどうだ…」
「…なんだ」
「…え?」
少年はその目を、投げ捨てられた本に向けた。
「それ大殿様の本なんだ」
「………!!」
少年は彼など相手にしていなかった。少年にとって重視すべきものは、床に置いてある一冊の本。それだけである。彼などどうだっていいのだ。
「−−−バカにするなっ!!」
怒りと共に、彼は自分の拳を思いきり少年の顔目掛けて振りかざした。
そして−−−−。
×××
その日の事を彼は今でもはっきりと覚えている。その日、彼は少年に大きな傷を与えた。彼もまた少年に大きな傷を受けた。しかし、後悔などなかった。あるのは強い憎しみだけ。今でも変わらない。
「−−あの時と同じだ」
かつて起こした出来事を思い出しながら、彼は静かに言った。今はもう大人である。そしてあの少年も大人になった。互いの憎悪を理解しあいながら。
「気分はどうだ…新城?」
部屋には二人しかいない。彼と、そして今では新城と呼ばれているかつての少年。天候は雨。ジメジメと不快な湿気がその部屋を包み込む。
彼は新城を押し倒し、その上に覆いかぶさっていた。新城は全く抵抗を見せなかった。小柄な体ではどうする事も出来ないからか。それとも他に理由があるのか。
「………」
何も答えず黙って彼を見る目。彼は薄ら笑った。あの日と同じなのだ。
「新城−−」
名前を呼ぶ。憎しみをこめて、そして愛おしげに。否、彼は新城を愛おしいとさえ思った。それを超越したものが憎しみである。彼はそっと顔を近づけた。
「逃げ場はない。諦めろ。俺を見ろ。俺の名を呼べ。俺に屈服しろ」
「−−−−…」
「そして死ね」
彼は静かに新城直衛の頸を締めた。
××××
意味不明だ〜〜
とにかく、子供時代の佐脇と直衛が書きたかったのです(汗)
もし、二人にそんなエピソードがあったなあと…f^_^;
なんて…スイマセン!!自重します!