■拍手御礼SS■
□花見
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「わっ!すごい、窓の外桜がすぐそこだよ!」
青い空に浮かぶ雲が、少しずつ大きくなっていく。
肌を裂くような冷たい風が、気づけば温かいそれに変わりつつあった。
「…おい、んなことよりさっさと片付けろ」
不機嫌そうな声が聞こえて振り返れば、来る前に購入したカラーボックスを組み立てているキッドが呆れたようにこちらを見ている。
頭に巻いたタオルが異常なまでに彼に似合っていて、分厚い板を片手で持ち上げるたびに盛り上がる筋肉が一々憎らしい。
けど好きだ。
…大好きだ。
「もうすぐ満開だね。その時はここでお花見でもする?」
「あー?…おー」
ダンボールを開けながらなので顔は見ていないが、おそらく彼もこちらを振り向かずに適当な返事をしているのだろうから気にはしない。
箱の中から出てきた気に入りの時計を、そっと棚の上に置いた。
今日は引っ越しの日。
春から念願の大手企業に就職を果たした私が、住みなれた街を離れて少しだけ遠い都会に一人暮らし。
必要最低限のものだけを買って、あとでこまごました物を揃えていくつもりなのだが
人一人が住むに必要なものは、意外と多くて驚いた。
一人暮らし歴が長いキッドは、「トイレットペーパーだけは絶対に買っとけ」と口を酸っぱくして言っていたが、何か苦い思い出でもあるのだろうか。
「おい」
「ごめんなさい!」
自分の想像に思わず吹き出しそうになった瞬間、後ろから声がかかった。
慌てて謝罪を述べてみれば、何を言っているんだと眉を顰められる。
「出来たぞ、本棚」
「あ、ありがと!えと、じゃあ…あ、そこに置いてくれる?」
女が持つには思いだろうカラーボックスを軽々と片手で持ち上げて、見かけによらず几帳面に向きを調整する。
満足行ったのか首をゴキリと鳴らしてからこちらを振り返った。
「大体こんなもんか?」
「うん、あとはこの段ボールだけ。あ、冷蔵庫に飲み物あるから飲んでいーよ」
「おー」
就職先を決めたのは、何も大手だからというだけではない。
確かにずっと憧れていた会社だけれど、支社がこの土地になければ受けてはいなかっただろう。
そう、ここには彼が住んでいる。
遠距離とは言えないけれど、電車で5駅も挟むともなると、意外と距離を感じるもので。
就職を機に一人暮らしを試みたのだ。
「あ、ビールはだめだよ!バイクどーすんの!?」
「あー?泊まりにきまってんだろ」
「泊まっ…」
「何赤くなってんだよ、ヤラシー奴」
ニヤリと悪戯に笑う赤い髪の恋人は、何の躊躇もなしにプルタブをひいた。
別に変な想像なんか…しては…いるけれども…。
「つかここ家賃いくらだよ」
「え、あー…確かキッドん所の倍くらいだったと思うよ」
「ハァ!?お前やってけんのか?」
「うん、大丈夫、一応お給料の3分の1だから!」
もったいねー、と呟くキッドはテレビのリモコンを拾い上げて電源ボタンを押す。
先ほど彼が調整してくれたおかげで、チャンネルはしっかり新聞通りだ。
最後の段ボールをたたんで隅に立てかける。
ふ、と息をつくと窓の外が薄暗くなっているのに気づいた。
「お腹空いたねー…今日は冷凍ものになるけど良い?」
「おー」
夕飯用にと買っていた冷凍もののパスタの作り方を読みながら、2つ買っている時点で期待にも似たものを持っていたのかと我ながら呆れてしまう。
テレビの音と、ビニールのすれる音。
生活音に満たされたそこが、なんだか暖かくて思わず笑みがこぼれた。
「いーこと思いついた」
「んー?」
キッドが言葉の割にローテンションな声音で呟いて、喉を鳴らしながらビールを流し込む。
新品の電子レンジに突っ込んだオレンジに輝くパスタを眺めながら返事を待つと、彼はコンと缶をテーブルに置いて気持ちよさそうに息を吐いた。
「俺もここに住むわ」
「…はい!?」
「家賃割り勘で丁度いいだろ、俺にとっちゃ値段は変わらねえし、おまえは半分だし。光熱費もちっと安くなるか?…あと一々会いに来るガソリン代浮くし、ヤれるし」
「いやいやいやいや!絶対最後のが目当てでしょアンタ!?」
「そこに食いつくのがヤァラシーよなぁ」
再びにやりと笑われて思わず口をパクパクさせてしまった。
あいた口がふさがらない、あっけにとられて言葉が出ないとはこのことか!
「ぜっ…
…チンッ
「お、出来たか?腹減ったー」
間抜けた機械音に気を抜かれ、往復して通り過ぎていくキッドを見送ってしまう。
フォークを取りに戻ってきたキッドが、直立して動かない私の顎をとって低い声で呟いた。
「仕事に支障が出ない程度に、励もうぜ?」
リップ音を響かせて触れるだけのキス。
表情に出さないくせして、どこか楽しそうにパスタのもとへ座り込んだ。
「何にだー!」
近所迷惑を顧みず放った言葉に臆することなく、男は麺をすするのだった。
憧れの一人暮らしが
憧れの同棲へと変わるのは
桜が満開になる
数日だけ前のお話。
*END*