■拍手御礼SS■
□風邪とつぶやき
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「風邪ひいた…」
ズキズキするこめかみを押さえながら、左手の手のひらに転がしている錠剤を見つめる。
ふうと一つため息をこぼしても、そんな微風に答えることなく2粒の錠剤は手のひらの溝に納まっていた。
こめかみから手を退けてコップを取り出す。
抑えていたところが再び妙な脈打ちを開始して、眉間に皺がよった。
コポコポと篭った音を立てながら飛び込んでいく水たちは、そう時間もかからないうちに水平線を描くのに、どうにもこの頭痛は脳内で暴れまわることを止めてくれそうにない。
やれやれともう一度ため息を零して、錠剤を水で流し込めば
特にスッキリするでもないのに、達成感と異物感だけが胃に残った。
こんなことなら、昨日の恋人の忠告を守っていればよかったのだ。
そう思って、脳内にかすった薄茶色の髪(ハニーブロンドとでも言うのだろうが、何だか今はとても忌々しい)に口を尖らせた。
「私が悪いんじゃない、あいつの言い方が悪いのよ」
タン、と通る音をたててコップを置けば、答えるようにインターホンが鳴る。
今日は平日。
発熱で仕事を休んだ自分を訪ねるものなど、ないはずだった。
カメラつきのインターホンに視線を投げてみれば、そこには無表情なハニーブロンド。
何しに来たのだろうと一瞬だけ疑問に思うけれど、ああ、と納得して返答もせずにオートロックを解除した。
「昨日の段階で、私が熱を出す確立は何パーセントだったの?バジル」
いらっしゃい、とかどうしたの、とか。
そんな言葉はもはやこの人物には必要ない。
扉を開けるなりそう聞けば、長いハニーブロンドを揺らす端正な顔の持ち主はフッと短く息をついた。
「97%。…だから言っただろう、海になど行かずに家で大人しくしていればよかったんだ。」
「そこに海があるからいけないのよ」
どこの登山家の言葉だと思ったが、彼は突っ込まない。
言ったところで無意味だし、彼のキャラクターではなかった。
「何か食べたのか?薬は…飲んだようだな」
「うん、たった今。…でも眠たくないんだよね」
「寝たほうがいい。そのほうが30%早く直る確立が上がる」
「はいはい」
しぶしぶと寝室に入れば、彼はなにやら持ってきていたらしい果物を冷蔵庫に入れてベッドの横に腰掛けた。
眠たくはないのだが、予期せぬ恋人の来訪に実は嬉しさも高まっている。
それを表情に出すまいと必死なのだが、目の前の恋人はさらなる無表情でこちらを見下ろしているのだからたまらない。
風邪をひいて心配だ、とか。
予定以外にも会えて嬉しい、だとか。
ないのか、この男には。
「…なんだ?」
「ベツニ」
ぶうたれた表情を隠そうと布団を持ち上げる。
が、その隙にするりと伸びた手が額を覆った。
冷たくて、少し気持ちいい。
「38度2分といったところか…コレでも貼っておけ」
果物の入っていた袋から小さな箱を取り出して、中から貼るタイプの冷却材を取り出した。
「バジルって便利だね」
「人を小間使いのように言うな」
「そうじゃなくて。体温計いらずだし、風邪ひく確立とかもわかっちゃうし。…自分の将来とかもわかるんでしょ?」
ぴたりと貼られた冷却材が気持ちよくて、ゆっくり、深く深呼吸をする。
薬の副作用からか、少しずつ眠気が襲ってくるのがわかった。
「ああ、わからないとは言わないが…」
「…あらま、珍しく言葉を濁すわね」
ゆっくりと下がり始めるまぶたから逃げるように、なんとか彼を視界に納めようとするが
努力空しく、視界はあっという間に闇へと染められた。
その向こうで聞こえた、小さな声が
夢だったのか、現だったのか。
「わかってはいても、結局お前を苦しめることになるのだから…
あまり便利だとは思わないがな…」
優しく髪を撫でる手が大きくて、あたたかくて
深い、深い夢の世界に落ちていった。
秋がすぐそこまで来ていて。
冬の足音が聞こえ始める。
ハニーブロンドの困り顔
それが見たくて
今日も私は
あなたに逆らう小さな悪魔でいようと思う。