■拍手御礼SS■

□勝てない
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美味しい夕飯の帰り道
磨き上げたレクサスで彼女を送る帰り道
君の瞳がとらえた赤いジムニー

涙がこぼれた
帰り道




「ねえサンジくん、帰りコンビニに寄って?」
「姫の仰せのままに」
愛らしい笑顔で言われれば断る理由なんてあっても消える。
小さな風をよけながらつけたタバコの火が、月に向かって上って消えた。
あたりはすっかり夜色で、天気がいいのもあって星は満天。
上機嫌の彼女は、コンポから聴こえる歌を口ずさんでいる。
「あの店、結構美味しかったろ?」
そう聞けば、最愛の彼女は満面に笑みを浮かべて
頼んだメニューの一つ一つをあげては、感想を述べ始めた。
幸せの時間。
素直な彼女の素直な感想は、料理人である自分も活かせる部分はあるのだろうけれど。
正直、その弾む声音に満たされた車内はそんな職業さえも忘れさせた。
久しぶりの逢瀬。
磨き上げたレクサスも久方ぶりの出番に意気込んでいるような気がした。
嬉しくてふかしたアクセルは、けれど改造もされていないマフラーのおかげで静かなものだ。
彼女が嫌いだから、車好きであるほうだけれど我慢している。
というか、むしろしなくても十分なのかもしれない。
不快な思いをさせないなら、数ある趣味のひとつくらいは封をしてしまえるほどに
好きだから。
なんて
柄ではあるけれど恥ずかしいそんな思考さえ過ぎってしまう。
けれどその幸福な時間は短く幕を閉じてしまう。
赤いジムニーが視界に入って、彼女に聴こえないように小さく舌打ちをした。
気づかなければいい、と願うけれど
それはいつもむなしくも散るのだ。
途切れた会話。
彼女は通り過ぎたジムニーに合わせて視線を動かしたのか、対向車線に縫い付けられたように首を動かす。
そしてあわてて反対側の窓を見つめて、うつむいた。

あいつだった?

そう聞ければ、この燻る胸のうちは少しは楽になるのかもしれない。
けれど、それだけは、聞いてはいけない。
だれよりも、それを恐れているのは彼女だから。
もう無意識なのだという。
俺の前に付き合っていた男の、同じ車種、同じ色。
その車を見てしまったらつい、ナンバーを確認してしまうのだと。
だけれど、彼女は
だから、仕方がないんだ、とは言わない。
ごめん
と小さく、うつむいてしまう。
罪の意識を、つい、の行為に余すほどに感じている彼女を
俺には責められない。
だけれど
簡単に許す事も、出来ずにいるのはまだ
俺が大人になりきれていないからなのだろうか。

しんと静まり返った車内で、彼女はおびえるように背を丸めた。
まるで俺に嫌われることを恐れるように、胸中で己を叱咤しているに違いない。
そっと、頭に手を置けば
びくりと肩をはねさせて
小さく

ごめんね

許す、とも
許さない、とも
言えない俺はただ彼女の頭を撫でて
すっかり短くなったタバコを、備え付けの灰皿に押し付けた。
ぎゅっと、
まるでこの胸中を無理やりに、押さえつけるように。
磨き上げたレクサスも
5年の思い出を共にした小さな赤いジムニーには勝てはしない。
未練があるわけでないことはよく知っているんだ。
それはこの体が、全身全霊で叫べるんだ。
だけれど


だけど!


赤信号で急ブレーキ


驚いた君の
思い出ごと支配したくて
噛み付いた唇に
涙が横切った


END---



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