接吻

□瞼なら憧憬
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いつだって、君に抱く。


憧れという不釣り合いな感情―――。








「傷、見せて。」


「大した傷じゃない。治療はいらん。」


「いいから。」




不貞腐れた様に溜め息を吐いた飛影の手を取って、くるりと手のひらを上に返した。

日に焼けていない腕の内側が、ザッと裂けている。




夜風に紛れて不意に俺の部屋に来る時の飛影は、大抵傷を負っている時で。
いつからか、彼が顔を見せる度に今みたいなやり取りが普通になっていた。




傷があると俺の所に来るくせに。

いつも自分から傷を見せようとはしない。




「しみる?」


少し顔をしかめた飛影に、作業を止める事無く聞いた。


「……そう思うならもう少し繊細な手当てをしろ。」


消毒薬を含ませたガーゼを持って、遠慮なく傷をなぞった。


「血も止まってるし、貴方の回復力なら痕も残さずすぐ治るでしょう。」


新しくガーゼを当てて、テープで止める。
その上からくるくると包帯を巻いてやった。


俺の手が動く様を、飛影はただ眺めている。

飛影が入って来て、開け放したままになっていた窓にあるカーテンだけがふわふわと揺れていた。



「はい、いいですよ。」


ぱたんと救急箱を閉めると、飛影はまじまじと手当てを施された腕を見ていた。


「包帯、キツい?」




消毒薬のにおいが、夜風にまかれて部屋中に広がる。

勉強机には、先程までやっていた課題が広げられたままだ。


床にペタリと座り込んだままの飛影の黒髪も、風にふわりと揺れた。




「毎回不思議なんだが、なぜお前は人間どもの手当てをする。」




消毒薬のにおいを、すん、と嗅いで、飛影はまた微妙に顔をしかめた。


「郷に入れば郷に従えってヤツですよ。」




「……魔界の薬草ならいざ知らず。俺達には無意味な治療だな。」




ぎろりと、鋭い視線で睨まれる。

相変わらず目付きが悪い。




「だって、勿体ないでしょう?」


クスリ、と笑って見せた。




だって、俺に会うために怪我をしてくるなんて―――




本当は、飛影が言ったとおり、治療なんて必要ないのに。




思いのほか高い、人間の体温を感じた時の、少し安心したような彼の顔が、妙に心地好くて。
この身体でいる事も悪くないと思えた。



それと同時に、懐かしい妖怪の冷めた肌に触れて、自分がまだ魔界と少しでも繋がっている事に、居場所を得た気がした。




故郷へ帰れない。

そんな焦燥が、飛影に会う度に膨れつつあって。


自由に魔界と人間界を行き来する飛影を、少し羨ましく思う。




「あ。」


「なんだ。」




俺の声につられて、不意にこちらを見た深い漆黒の瞳に、記憶に遠い景色が重なる。






なんて、懐かしい。







ちゅ。


小さく音を立てて、反射的に閉じた瞼に唇を寄せてみた。


少しだけ感じた、魔界の味。




「…何しやがる。」


膨れ上がる飛影の怒気なんて気にもとめない。


「うん、憧れちゃってね。」




にっこりと微笑んでみれば、彼はうんざりと言った顔になった。




吹き込む風にさらわれて、消毒薬の匂いはもうしない。

代わりに、ほんの少しだけ、懐かしい空気が部屋にたゆたっていった。




(終)

12.1.18 脱稿

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