接吻
□頬なら厚意
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今日も極上の香りがリビングを包む。
それに合わせて腹の虫が盛大になった。
チチがいて、チチが作る、うまい飯。
いつも通りの腹の虫。
いつも通りの変わらない食欲。
ただひとつ、いつもと違うのは。
「チチぃ、オラもう腹ペコで死にそうだぞ。」
そう言ったオラの前に、ゴン、と鈍い音を立てて置かれた皿。
いつも通りの食卓は、変わらずどれも美味そうで、湯気に乗って良い香りを振りまいていた。
「どうぞ。」
いつもより低い声で短く言われた言葉に、ほんの少し焦りを感じながら、いつも通り振る舞ってみる。
「うっひゃー!!いっただっきままーす!!」
ガツガツと胃袋におさめていく傍ら、チラリと彼女をのぞき込んでみると。
こちらには見向きもせずに、黙々と箸を進めていた。
何か機嫌を損ねるような事をしただろうか。
この妻は嵐のようにコロコロと機嫌が変わるのだ。
順調に夕食を平らげ、普段と変わらない一日であったと思いながらも、考えれば考える程に、心当たりが増えていく気がした。
特に会話も出来ず、味気なさを感じた夕食も終わってしまう。
「ごちそうさま、でした。」
食べ終わった頃には、チチの読めない機嫌一つに気圧されていて。
「お粗末さまでした。」
かちゃりと箸を置いて、さっさと皿を下げていく彼女の後ろ姿には何の感情も見えない。
せめてもの機嫌取りに、片付けを手伝おうかと思ったが、以前皿を運んだ時に、ことごとく粉々にしたことを思い出して、やめた。
そっと席を立つ。
後ろ姿のチチには、いつもの華々しさはなくて。
華奢な肩は酷く凍えて見えた。
ふわりと。
ゆっくりと、腕の中にチチを閉じ込める。
「…っ!ごくうさっ…。」
上擦った声に重ねるように、唇を耳たぶに寄せる。
「チチぃ…オラ…なんかしちまったか…?」
小さくチチが震えた。
「機嫌直してくんねぇか?チチが笑ってねぇとオラどうしていいかわかんねぇ。」
「悟空さ…。」
柔らかい頬に、優しく口付けた。
凍えていそうだと感じた先程とは違い、ほんのりぬくもりが感じられる。
「…違うだよ、悟空さ。」
腕の中でふるふると首を振る。
「どうしたんだ?調子悪ぃのか?」
思わず小さな肩を緩くさすってやる。
「そうじゃないだ。すまねぇだ悟空さ。」
「チチ?」
「最近、ちょっと情緒不安定なんだ。」
「じょうちょ?」
聞き慣れない言葉をオウム返しした。
「んだ。気持ちの浮き沈みが激しいだよ。」
「なんでまた…。」
デリケートな問題、というやつなのだろうか。
どうしたらチチの気分を晴らしてやれるのか、皆目見当がつかない。
抱き締めた腕に少し力を込めた。
「…悟空さ、驚かないで聞いてくれるだか?」
「なんだよ、改まって。」
何を言われるのか。
一抹の不安が心を掠めた。
今となっては、チチの笑顔や温もり、美味い飯はなくてはならない。
なくなる事なんて、考えられない。
だからこそ、次のチチの言葉を待つ僅かな時間に、固唾をのんだ。
「赤ん坊が、出来ただ。」
「………へ?」
「悟空さとオラの赤ちゃん、出来ただ。気分の浮き沈みも妊娠した時に良くある事だ。思い当たる事が他にもいくつか…。」
「……ホントか!?ホントにオラ達の子が産まれるんか!?」
「んだ。」
少し照れたようにうつむき加減で話すチチの事は、もちろん疑いようなんてない。
「産んで、くれるんか…?」
「勿論だ。オラ達の子だもの。」
そう言って、凄く幸せそうに笑ったチチを見て、オラも笑う。
なんだ、チチが笑顔になるのは簡単な事じゃねぇか。
更に熱を持ち始めた頬にもう一度口付けを落として呟いた。
ありがとう、と。
(終)
12.12.28 脱稿