04/14の日記

12:49
人付き合いは時代をこえて私を落ち着かせる
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私は間違っているのかもしれない

私には漠然とした、
それでいてとても圧迫力のある、
恐ろしさがあった

今まで読んでくれた人がいたら
何となくわかると思うけど
やっぱり「人」の話です

でも「恐ろしさがある」と思い込んでいたのかもしれない

私の周りで起こっていたことは
私に原因があるということは考えていた

でもやっぱり人間の難しさの力も強いんだということも考えてた

新しい環境、
日々必要になることがある仲間づくり

その一つ一つが恐ろしくて怯えてたんです

流架は特に恐がってる人間だと思う

もちろん流架より人間不信な人もいっぱいいると思う

流架なんて全然軽症だと思う

でも流架はその人間不信な「誰か」じゃないんです

流架は「流架」なんです

苦しいとか悲しいとかつらいとか
実際に感じられるのは結局自分一人なんです

流架は流架自身の感じ方で感じるから、
他人と比べてどうとか言っても
結局変わらない部分は多いと思うんです

だからただの自分の主観だけで見ると
流架は怖がりです

流架は人が恐いです

見た目には全然出さないけど
人が怖いって人もいると思うけど
私はそれでも平気そうに見える人は
羨ましいです

自分の主観で見る中ではぃぃなと思えるから

前はそう思った

確かに今の私もそう思っています

でもある時
親戚が学生の時友達ができなくて困ったって話聞いたんです

自分に合いそうな人がいなくて
話は合わないけど
グループに入って何とかなったという話

その人はもちろん1まわりも年上だから
年代てか時代てかが違います

「何とかなる時代だった」
と、そう言ってしまえば
終わりな話なんです

「時代」っていうのは
確かに大きく左右する1つだと思います

親戚の話をときたま聞いても
「やっぱ今と違うな」って思うんです

でもそう言い切っていいのかなとも思ったんです

流架は今まで自分が辛くないように
話のできる友達を広げようとしてきました

そして少しは今までより達成できているし
自分の悪いところも少しずつ自覚できてきて
直してるつもりです

まだまだあるだろうと思いますが
努力はしてみてるつもりです

今度は今まで塞いできた
自分自身を客観的に見る目を
もっと持っていこうと思っています

でもやっぱり人を恐がっていることは
自然と後退りしてる部分につながったりしてて

どこかやっぱりあるんですよね、
閉じこもってしまいたい気持ちが

それが自分を悪くしてたのかもしれないなって
思ったんです

案外何とかなるのかもしれないなって

重く考えすぎてたのかもしれないって
思いました

でもだからといって
深く考えすぎないで人付き合いをすることは
私にはやっぱりできないんです

前にも何度も
マイナス思考になりがちな自分を
ポジティブに考えるようにしたら
うまくいくかもしれないと考えたことがあります

もちろん実行にも移しました

でも今まですべて裏目に出てしまうんです

だからそう簡単に楽観的になれません

重い鎖を引きずっている方が安心するんです

そうとはいえ
今日せっかくこのことに気付けたのだから
少し気楽にいこうと思います

あっ、文の初めに書いたことは
やっぱり撤回します

「間違っていたのかもしれない」ではないですね

間違いも正解もないんですよね

人それぞれの感じ方なんですよね

私はまだ自分にとって
正解か間違いかわからないけど
間違いというわけではない気がします

「間違い」というものは
常識的な考え方から考えたものの中には
きっとないのでしょうね




これは半年前に考えてメモしてとっておいたものです

すごく大作っ

今は旅立ちの季節だしちょうど良いと思いました

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