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□白い月
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まるでお妙のようだ、とあなたは言った。
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毎日繰り返される男と女の駆け引き。
それは決して正しい恋愛の形ではなくて、一夜限りの仮想恋愛。
囁かれる甘い言葉も朝が来ればどこかへ消えて、また夜の帳が下りた頃に新しく生まれて。
そんな世界に身を置く私は人と同じ恋愛なんてできないんだと思っていた。
「お妙さん、君はいつも笑っているね。その笑顔はいつも変わらず僕を癒してくれる」
そんなことを言う人もいた。
いつの間にか張り付いた営業スマイル。慣れた手つきで作る水割り。さりげなくかわせるようになった誘い言葉。
私は、一体どこまでが私なのだろう。
昼間の私はどこまでで、夜の私はどこからなのだろう。
太陽が沈んだころに輝きだす私は、日の光が怖いのかもしれない。
「なんだよ、神楽と一緒か?」
めずらしく飲みに来た銀さんにそんなことをぽつりと話したら笑ってそう言われた。
「太陽に弱いのは夜兎族の特徴だもんな。しかもお妙は腕っ節も強いからなぁ。あーそっか。お前、ゴリラに育てられたんじゃなくて夜兎だったのか。そんなら全部説明つくわ、うん」
ぶつぶつとひとりでうなづく銀さんに一発入れて、溜息をひとつ。
「銀さんにはわからないんですよ、女心なんて」
「どこが女?男を一発で仕留める奴は女じゃなくてゴリラだよ?」
喧しい口におしぼりを詰め込んでみれば途端に店長が飛んできた。
「お妙ちゃんんん?!仮にもお客様だからね?そのへんわかってやってちょうだい!」
「店長、私調子が悪いみたいなので早引けさせてください」
「うん、帰ってくれたほうがいいかも今日は。銀さん、お妙ちゃん送ってってね」
「なんで俺」
「今日の分タダにしてあげるけど、どうする?」
「喜んで送らせていただきます」
はいはい、帰りますよー。なんて言いながら私の腕を引っ張って。
「ひとりで歩けます」
触れた手のひらが思ったよりも大きくて、少しだけ驚いた。
そうよね、銀さんは男の人なんですもの。今更意識する羽目になるとは思ってもみなかったけれど。
「たまには仕事休んでのんびり夜の街でも散歩しようぜ?」
ぽんぽん、と頭を軽く叩くその手は、小さい頃に感じた父上の手に似ていた。
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「風が冷たくなってきましたね」
この間までは夜でも熱気を帯びた風が吹いていたのに、ひとつきの間にすっかり秋の風に変わっていた。
いつもはお店の中にいる時間帯、休みの日なら家の中にいるのだからこんな時間に歩いていることは珍しい。
「そろそろ炬燵の準備しなきゃだよなー」
そんで蜜柑がカゴに入っててよ、半纏とか着てテレビ見るんだよ。
銀さんは半歩前を歩きながら冬の過ごし方を口にする。
「アイスも忘れないでくださいな」
「あー、一番いいよね。炬燵に入りながらアイス食うの。日本に住んでて良かったって思う瞬間だねありゃ」
くるりと振り返った顔は口角が上がっていてものすごく嬉しそう。
食べてもいないのに想像だけでこんなに幸せを感じられるんだわ、銀さんって。
くすくすと笑っていればずい、と顔が寄ってきて。
「何?どーせ銀さんはお手軽な幸せでいいわねーとか思ってんだろ」
「違いますよ。まるで今炬燵でアイス食べてる、みたいな顔するから」
「そんな顔してたか?」
ぺたぺたと自分の顔に触れて、あ、マジだわ。なんて。
「そういうお前の幸せは何だよ」
「私ですか?」
んー、と考えてみても。
「…炬燵でアイス、かしら」
「ほらみろ。お妙だって俺と同じじゃねえか」
つん、とおでこをつつかれて一瞬まぶたを閉じた。
閉じた、瞬間。一瞬だけくちびるに触れた温かい感触。
まぶたを開けてみれば銀さんの後ろ頭しか見えない。
「…今」
かりかりと頭を掻くのはあなたの癖。
あー、とかうー、とか呟いて。
「ん」
それなのにその一言だけ言って手を差し出した。
「耳、赤いですよ」
「嘘っ?!」
「嘘です、こんな暗いのにわかりませんよ」
繋いだ手は温かくて大きくて、ぎゅ、と握るとぎゅうっと握り返された。
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何も言わずに手を繋いだまま歩いて、家の前についたとき、見つめ合いながら銀さんが言った。
「お妙は、お妙じゃん?」
昼も夜も、俺には同じお妙だよ。
いつものちゃらんぽらんな銀さんじゃなく、まっすぐに私を見つめてそう言う。
心臓が、五月蠅い。
聞こえそうなくらいドクドク音を立てている。
きっと私の顔、赤いわ。
「月ってよぉ、夜しか出てないように見えて実は昼間も出てるんだぜ?」
青空に白く浮かぶ月、それは場違いなようでいてそうではないのだとあなたは言う。
「太陽は夜になると姿見せねえけど、月は違うじゃん?」
だから、お妙に似ている。
白い月も黄色い月も、同じ月。
だから、夜のお妙も昼のお妙も、同じお妙。
「わかった?」
「はい…」
こくん、と頷くとよし、と頭を撫でられた。
まるで子供みたい。
「銀さん」
「ん?」
「…もう一回。今度はちゃんとしてください」
少し上にあるあなたの顔を見上げれば、暗闇でもわかるほどに赤い耳。
「んじゃ、目、つぶってください」
そっとまぶたを閉じれば、甘い香りとともにあなたが触れた。
fin
20081029