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□僕の妹がこんなに病んでるわけがない
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鞠絵
【白の狂気、赤い狂喜】
***
しゅんしゅんと、火にかけていたヤカンが沸騰を告げ、鞠絵は、予定通りその側面に己の手の平をべったりと押し付けた。
「うああああああ・・・・・・っ」
うめきながらも鞠絵は。
しかしながらも鞠絵は。
恍惚の表情を見せ、愛しい人の名を愛おしく呼ぶ。
「あ、兄上様・・・・・・」
***
鞠絵は、他の十一人の姉妹のことが羨ましかった。
鞠絵は、自分自身のことが妬ましかった。
――どうして、私だけが病気なのですか?
他の十一人の姉妹はいつでも好きな時に兄に会えるのに、自分は兄がお見舞いに来ないと会えないジレンマ。
「兄上様・・・・・・」
会いたいです。寂しいです。話したいです。悲しいです。触れたいです。切ないです。触れてもらいたいです。泣きたいです。
「・・・・・・ミカエル、私はいつ退院できるのかしらね・・・・・・?」
ミカエルは、主人の感傷を読み取ったのか「くぅーん」と、かぼそく鳴く。
そして励ますようにベットに前足をかけ、鞠絵の手をちろりと舐めた。
「ふふっ。ありがとうミカエル」
愛犬に元気をわけてもらった鞠絵は気を取り直し、「そうだミカエル、お散歩に行きましょうか。
今日は体調もいいし、中庭ぐらいだったら行けそうです」と、ベットから立ち上がろうとした。
その時。
不意の目眩で視界と重心が歪み、鞠絵の体は床に大きく叩きつけられた。
腕は受け身を取るどころか、ベットの脇にある棚に当たり、鈍い痛みがじんじん走る。
「うっ・・・う・・・」
無様に床に伏す肢体。
その目の前で、写真立てがひゅん、と落ち、割れた。
棚の上に置いていた、兄の写真が入った写真立てだ。
それが割れた。
パリン――
鞠絵の中の何かも、同じ音を響かせ散った。
「あっあっ・・・・・・」
写真自体は無事ではあるが、写真立ては兄に買ってもらった大切な宝物。
「どうして・・・・・・」
鞠絵は問わずにいられない。
どうして、私はこんな体なのですか?
不可抗力。
自分の力ではどうしようもないものに自分の人生を潰されている圧迫感。
それとも、それを含めての人生なのだろうか――
怒りではなく、悲しみと情けなさが鞠絵を支配する。
鞠絵は泣いた。
飛び散ったガラスの破片を広い集めながら、泣いた。そして。
ぼやけた視界。
ガラスの破片。
意図せぬ偶然に当然ながら、鞠絵は指先を少しだけ切った。
***
その次の日。
鞠絵の病室に兄が訪れた。
「兄上様、どうして・・・・・・!?」
「うん。メールを読んだらなんかちょっと心配になっちゃてね――ちょうど土曜日で学校が休みだったし」
と、そこで兄は何かを思い、言葉を一旦区切った。
「あのさ、驚かせようと思って突然来たんだけど、もしかして迷惑だったかな?都合が悪ければ今すぐ引き返すけど・・・・・・」
そこで鞠絵は兄が病室のドアから一歩も室内に足を踏み入れていないことに気が付いた。
「あっ・・・・・・」
「いや、なんというか、鞠絵だってもう年頃の女の子なんだし、小さい時と違って、突然俺が来たら困るかなって――今頃気付く僕も遅いけど」
言って兄は、照れた頬を掻きつつ、小さくごめんねと頭を下げた。
「そ、そんな」
そんなことはありませんと、鞠絵は慌てて首を振る。
「私、兄上様が今こうして目の前にいることがとってもとっても嬉しいです。
だって、ずっと会いたかったんですもの、兄上様」
「本当?なら良かった」
優男、草食系、そんな類に位置する兄は柔らかく笑い、一歩一歩、鞠絵のベッドに歩み寄る。
「で、指の方は大丈夫?」
「指、ですか?――あ・・・・・・」
その言葉に、鞠絵は昨日の夜に送ったメールの内容を思い出した。
確か――
「メールで写真立てを壊してしまったお詫びと、指を切ってしまったことを書きましたが・・・・・・」
「だから心配になったんだよ」
「でも、ほんの――かすり傷程度のもので、お恥ずかしいです」
「どんなに些細な怪我でも、鞠絵に怪我があったら心配なんだよ」
「兄上様・・・・・・」
「あとプレゼント」
「え?」
兄の鞄の中から出された物は、可愛らしい写真立て。
「うわあ・・・・・・」
鞠絵は手渡されたそれを両手で大切に抱え込むと、顔をはち切れんばかりに綻ばせた。
「前のは壊れたって言ってたからさ」
その兄の何気無い言葉に、鞠絵はふっと、表情を暗くさせた。
「壊れたのではありません。壊してしまったんです」
せっかく兄上様に頂いた物なのに。
弱々しくそう言う鞠絵は、今にも消えてしまいそうなほどに心ともない。
兄はそんな鞠絵を気遣い、出来る限り明るく振る舞うことにした。
「いーっていーって!物なんていつかは壊れるもんなんだから」
「兄上様・・・・・・」
「そういえば写真立てに何の写真入れてたの?ミカエル?」
「それは秘密です」
鞠絵はふふっと控えみに、でも楽しそうに笑い、兄もその笑顔に一安心し、鞠絵の病室は久しぶりに笑いに満ち溢れることとなった。
***
怪我をしたら、兄上様は来てくれる。
ヤカンで火傷をした週の日曜日も、兄上様は来てくれた。
だから私は。
鞠絵は階段を登り終えると、背を向け瞼を閉じた。
黒い闇に、写真立てが落ちて割れた映像がスローモーションで映し出され――そしてふわりと、鞠絵も落ちた。
他の十一人の姉妹が兄上様にいつでも会えるのなら、私は私のやり方で会うまでだ。
終わり
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