創作

□背中の妹
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こうして、式は無事に終わり、僕らの生活から祖母がいなくなった。

同時に、母は笑顔を見せるようになった。

父と離婚しなかったのは、祖母が死ねばこの家はうまくいくと希望を抱いていたからなのかもしれない。

僕も淡い期待を抱いた。
これでもう、亜子の生活を脅かす者はいない。

そう思ったのに。

亜子が、祖母の幽霊が見えると言い出したのだ。

黙ってこっちを見ていると言うのだ。

亜子は壁に指を差しては『ほらっ、あそこだよ!あそこにいるよ!どうしてお兄ちゃんには見えないの?』と、涙声で僕に訴えるのだ。

その度に僕は『幽霊なんていないんだよ?』と、呟き、亜子の目を両手で覆った。

両親も亜子の幽霊話を否定した。
それどころか母は亜子を激しく叱りつけた。
早く祖母を忘れたいのだろう。

そしていつしか、亜子はそのことについて何も言わなくなっていた。

幽霊なんていない。

もしいるのなら、真っ先に僕のもとへ化けて出て来るだろう。

でも僕は未だ祖母の幽霊には出会っていない。

亜子が祖母の幻影を見るのは、祖母の印象が強烈だったからだと僕は思う。

トラウマが産み出す幻影。

会いたくない気持ちが大き過ぎて見える幻。
でも逆に会いたい気持ちが大きくても見えるとも思う。
どんな想いだろうと、想いが強ければ強いほど、そういった幻影が鮮明に映像として瞳に現れるのだと。
まあ亜子は前者だろうが。

そこまで考えると、僕は過去から現在にチャンネルを還た。


現在、僕と亜子は夏祭りの帰り道。
懐中電灯の灯りを頼りに、夜の農道を歩いている真っ最中だ。
横には墓地が広がっていて、暗闇の中、ひっそりと墓石の輪郭が浮かび上がっている。

「――なあ亜子」

僕の呼び掛けに、ん?と亜子は上目使い。

「お前、今でもお婆ちゃん見るのか?」

「――、」

亜子が口を開いて何かを言いかけた瞬間――ドテ。

亜子が転んだ。

僕はふにゃあと緊張感なく立ち上がった亜子の両膝に懐中電灯を照らす。

膝はすりむけていて、ライトに照らされた血が赤く煌めいた。

「痛い・・・・・・」

亜子は頭をうつらうつらさせながら、ポツリと呟く。きっと疲れているのだろう。

「仕方ねーなー」

言って僕は目を擦る亜子をおんぶする。

しかし、小学一年の女の子と言えど結構重い。
その上、亜子の足と絡まった僕の腕は、懐中電灯で上手く前を照らせない。
僕は一歩一歩を確かめるように、ゆっくりと前進するより他なかった。


***


ポタリポタリと汗が顎から靴の先へと流れ落ちる。
靴は汗をすいとっているかのように重くなっていく。

やがて、亜子は僕の背中で寝息を立て始めた。
生暖かい息が耳元に当たる。

亜子がいるのに、一人になってしまったような錯覚。

暗い夜道に一人っきり。

そう思った瞬間、空気が変わったような気がした。

針を刺せば破裂してしまいそうな張りつめた空気。

誰かに見られている――

僕の意思とは関係なく、ドクドクと鼓動と脈が早くなる。
これは焦りか?
これは怯えか?

僕は自分の体内にある酸素を全部吐き出した。

落ち着け。

周りには誰もいない。
墓しかない。
誰もいない。
幽霊なんかいない。

僕は大きく息を吸う。

そしてまた一歩一歩、足を踏み出した。

きっと、僕も疲れているんだ。

だから今は何も考えずに、亜子を落とさず歩くことだけを考えろ。
あらゆる感情を殺すんだ。

僕は鉛のように重たい足を、引きずるように前に出す。

「――うあっ」

しかし上手く上がらず、つんのめって転んだ。

僕は亜子と懐中電灯を落とし、懐中電灯は地面にバウンドし、消光した。

辺り一面に広がる闇。

「お兄ちゃん、どこ?」

目が覚めたばかりの亜子は、訳が解らないといった調子でそう言った。

「今懐中電灯探すから待ってろ」

何の光もない暗闇は、無言で僕らにプレッシャーを与える。
僕は手を地面に当てながら、トリフを探す豚のように懐中電灯を探した。

だが中々見付からない。
僕は四んばいのまま進んで行き、畑の柵にぶち当たった。
このまま探していてもらちがあかない。
僕は一旦止まり、目を凝らして辺りを見た。
次第に暗闇に慣れた目が、畑の中に転がっている懐中電灯の輪郭を映し取った。

「あった・・・・・・」

僕は柵の中に侵入し、懐中電灯に手を伸ばした。

そしてスイッチを入れ振り返ると、懐中電灯以上の光がそこにはあった。
その眩しいくらいの光は、勢いよく僕らが歩いていた道を爆進している。

・・・・・・まさかこんな狭い農道を高速で走る車がいるとは。
さすがは祭りの夜だ。

僕は呑気にそう思った。

ガウン――

光は鮮明に跳ね飛ばされる亜子を映した。

同時に、一匹の猫が笑うように哭いた。

暗くて何処にいるのか解らなかったけど。
鳴き声は、響いた。


そこから先は、覚えていない。


***


夏休みも終わり、始業式。

ランドセルではなく手さげの僕は、妙に目立っているらしく、周りの奴らがチラチラと見てくる。

「××くん、おはよう」

その中に交じって、校門で亜子の担任が僕の肩を叩き、低くよどんだ声で挨拶をしてきた。

せっかくの始業式なのに、何だその暗さは。

「・・・・・・おはようございます」

僕は怪訝に思いながらも頭を下げた。

「亜子ちゃんのこと、大変だったね・・・・・・。でも君が気に病むことはない。だから――」

「大丈夫ですから」

僕は最後まで聞かずに会話を終わらせようとした。

「僕は大丈夫だし、亜子も車にひかれましたが無事だったし、何も心配するようなことはありませんよ」

「無事って・・・・・・」

亜子の担任は口をモコモゴさせた。

かっこいいことは言えても言いにくいことは言えないのか。

「もうなんだって言うんですか?ほら、亜子も黙ってないで挨拶しろよ」

僕は背中におぶっている亜子に注意する。

「・・・・・・そういう風に思うのも分かるけど・・・・・・亜子ちゃんは亡くなったじゃないか・・・・・・。
きちんと認めて、亜子ちゃんが天国に逝けるよう祈ってあげなきゃ・・・・・・。
それが亜子ちゃんのためにも、君のためにもなるんだよ?」

・・・・・・天国?

何を言っているんだろうこの人は。

亜子は死んでなどいないのに。

現に亜子はここにいるじゃないか。

じゃあこの亜子は何だ?

幽霊だとでも言うのか?
幻だとでも言うのか?


・・・・・・なんだってどっちだって構わない。


気付かなければ、傷付かない。
気付かないフリをしていれば、傷付かないフリができる。

亜子は確かにここに居る。

けたけたと笑って。

僕の背中に。

なあ?亜子。


――――『お兄ちゃん』



終わり。
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