その他版権小説

□嫌がらせを君に贈る
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僕の住んでいるアパート前には、電柱と街灯がセットで立っている。

鏡創士は初めて会ったその日以来、毎日その間で僕の帰りを待ち伏せするようになった。

だからと言って、本人曰く好意ゆえのストーカーというわけではないらしい。
じゃあ一体何なんだ、そう僕が聞くと、鏡はいつもにやにや笑って「嫌がらせだよ」、と、のたまうのだ。

嫌がらせ――確かに顔もコミュ力も良い鏡の存在が、劣等感の塊である僕の視界に入ることは苦痛以外の何物でもない――まあ、本人としてはつきまとい行為こそが嫌がらせなのだろうが。

でも、鏡のことだ。自分の容姿が僕のコンプレックスを刺激していることにはとっくに気付いているだろう。あいつはそういう僕の内面の触れてほしくない部分をかぎ取るのが実に巧い。
そしてそこをつついてほじくって掻き回し、僕の嫌がる顔を見てはほくそ笑む――きっとその瞬間、射精と同様の悦びを感じているに違いない。

精神レイプ魔。そんな引用病に並ぶ、鏡の新しいあだ名を思い付いた所で――例に洩れず、鏡は僕の前に現れた。


「――やあやあ、遅かったじゃないか」

待ち合わせなどしていないのに遅いも糞もあるか。

僕は歩みを止めず、その嫌になるくらい友好的な笑顔を無視して通り過ぎた。

「つれないねぇ、なんだいその反応は。もう少し嬉しそうな顔を見せてくれたっていいんじゃないかい?『・・・・・・お兄さま、お兄さま、お兄さま。なぜ、御返事をなさらないのですか。あたしがこんなに苦しんでいるのに・・・・・・タッタ一言、タッタ一言・・・・・・御返事を・・・・・・』」

「黙れ引用病。しかもその引用に合わせたら僕は返事をしないことになるぞ?」

僕は言って振り返った。

もっとスルースキルを身に付けろとお叱りを受けるかもしれないが、
いつもこちらの知らない引用を使って人を小馬鹿にし、反論させる隙すら全く見せない鏡のめずらしい言いそこないだったので、これはぜひとも皮肉の一つでも言っておきたいと思ってしまったのだ。

しかし、街灯に照らされた鏡の顔は、してやったりな表情だった。

「でも、あなたはこうして反応してるじゃん」

「・・・・・・」

はめられた。鏡と絡み合う視線がいたたまれない。

「文学に疎いあなたでも流石に夢野久作ぐらいは読むんだね。あ、それともお兄さまって言葉に揺らいだのかな?」

「・・・・・・なあ、なんで僕につきまとうんだ?何が目的なんだ?」

鏡は持っていたデジカメを構えた。

「嫌がらせだよ」

からかうように言いながら、カメラのフラッシュがたかれる。

世界が一瞬白くなり、光が僕の目をつき抜けた。つーか、痛ぇし。

「何なんだよ、本当にっ!」

僕は目を擦りながら怒鳴ったが、鏡は忽然と消えていた。

「・・・・・・何なんだよ、本当・・・・・」


嫌がらせ。

僕は鏡に嫌がらせを受ける覚えなど、一切ない。一体僕が何をしたって言うんだ。

踵を返し、アパートに戻る。

早く帰って、紘子とメールをしよう。そしてこの屈折した気持ちを落ち着けてもらうんだ。


***


紘子――僕の愛すべき、メル友。

僕は、笑われることを承知で言えば、出会い系サイトで知り合ったその女子高生に見事なまでにはまっていた。

テスト前でやばいやばいと言っている紘子、頭髪検査に引っ掛かった愚痴を言う紘子、好きな音楽について語る紘子、好きな異性のタイプについて語る紘子――そんな、なんてことはない世間話のメールをしつつ、その延長線で、お互い恋人が出来ないことを冗談めいて嘆きあい、その度にお互い冗談めいて自分がいるじゃん(笑)と、ぬるま湯のようなメールを繰り返す――

しかし(笑)とは、なんて便利な言葉なんだろう。真に迫ることなく簡単に擬似恋愛ができるのだから。

僕は家に入るなり早速パソコンを立ち上げ、紘子からのメールをチェックする。

《こんばんは〜。
早速眠いです(笑)そろそろお蒲団の準備しないと。
しっかし今日は天気がよかったね〜。
絶好のレジャー日和!なのに、限りなくインドアな二人(つまりあたし達二人)。

>朝四時に起きるとは、お年寄りだねー。
本当に最近は、病気じゃないかって思うくらいに眠るんだよ。
絶対危ないよ。キてるキてる。

あ、あのね〜。
実は・・・・・・明日、大学生4人と合コンするの(爆)。
あ、お兄ちゃん泣かないで(笑)
結局、何もないと思うから、その大学生達とは。
恋には発展しないっしょー。
うにー。眠いので今日は短めです(笑)
それじゃあ☆》


***


その三日後、紘子はその合コンで出会った大学生の一人と付き合うことになる。


***


――「   」


鏡はあれから僕の前に姿を現さなくなった。

喜ばしいことではあるが、不思議な感じもする。

積み重ねは驚異だということを紘子とのメールのやりとりで学んでいた僕だったが、まさか鏡の待ち伏せにまでそれが適用されるとは驚きだ。

そして紘子からのメールは彼氏の話や彼氏に対する想い、極めつけは今自分がどんなに幸せかという、僕には耳を塞ぎたくなる(この場合は目を覆いたくなるか)ような話ばかりになっていた。

さて、ここで問題だ。この苛立ちと空虚な気持ちをどう処理すればいい?

僕の辿り着いた答えは、新しい‘紘子’を探すことだった。

僕は出会い系サイトに数打ちゃ当たる戦法でメールを出しまくった。だが、どれもこれも大した手応えはない。新しい紘子は見付からない。
ないない尽くしだ。

ちくしょう。世の中どこか間違っている。

通り過ぎた女子高生が僕のことを笑った気がする。

コンビニ前のたむろっている男達が「何あいつ、ダサ」と、指を差している気がする。

服を買ってショップから出たあと、店員達が「今の男、自分であの服似合うとか思ってんの?服じゃなくて鏡買えよ超キメェ」と言っているような気がする。

僕の顔はダメですか。
僕の声はダメですか。
僕の服はダメですか。

何かした所でただしイケメンに限る。ですね、解ります。

誰か僕に銃をください。
ウージーを乱射させてください。
僕をバカにした奴をバババババって。乱射。乱射。乱射。やらせろ糞女。


――以前から僕の内側を我がもの顔で闊歩していた被害妄想が、ここ最近更に強くなってきた。
被害妄想。そう、これは妄想なのだ。誰も僕なんかを見てはいないし、気にかけてもいない。自意識過剰もいいとこだ。落ち着け落ち着け落ち着け落ち着け。

僕は至って正常だ。

だからそんなさげすんだ目で僕を見るな。


***


――それから数日間、家ではパソコンに届く紘子からのノロケメールに適当に返事を書き、外では次第に強まる被害妄想に悩まされるという、いかにも僕らしい低迷路線な日々が続いた。

それはなかなか――緩やかな自殺を試みるような、そんな退廃的な日々だった。


***


「いやいや申し訳なかった」

確認もせずにドアを開けるものではない。ドアを開けると、そこにはしばらく見掛けなかった鏡が立っていた。

っていうか申し訳ないって何がだよ。

「ちょっとトラブルが起きてね、しばらく実家に戻ってたんだ。俺の不在は寂しかったかい?」

「帰ってくれ」

鏡と僕のちぐはぐな会話のキャッチボール。

「そんなこと言わずにパーとやろうよ」

言って鏡は手にしていたビニール袋を胸元まで持ち上げた。
中にはビールやおつまみが入っているようだったが、生憎、宴会などやれる心境ではない。

「黙れ未成年。そして帰れ」

僕はドアを閉めようとしたが、鏡の足がそれを阻止した。

「少しだけならいいじゃない」

顔は笑っているが、語気は強い。それにドアへと挟んだ足を退かす雰囲気も無さそうだ。

僕は、いつもと違う鏡の気迫に少し躊躇した。

今までも、家に入れてよ、とは冗談っぽく言うことはあったが、こんな力任せのような無理矢理なことは一度もなかった。

つまり、今回は本気で家に入ろうとしているらしい。

そして残念なことに、僕は本気の相手には年下だろうがNOと言えないか弱き日本人だ。


「お邪魔します」

陽気な声で鏡は言った。

僕は、部屋に入ることを許してしまったのだ。


***


その後、僕らは二人で酒を飲み交した。

鏡の家族の話を聞いたり、僕の女関係のダメ出しをされたり、なぜか柿ピーの投げ合いまでした。


・・・・・・何だこれは。これじゃあまるで友達同士みたいじゃないか。

友達なんていらない僕には鏡なんていらない。

「何睨んでるの」

「睨んでない」

「かなり酔ってるね」

「酔ってない」

「無理しなくていいよ」

「無理なんかしてない」

「顔が真っ赤だよ」

「うるさい死ね」

酔った僕は無敵だ。

鏡はふぅっと軽くため息をついた。

それでも缶ビールのプルタブは開かれる。

「僕は正常だ」

体が揺れる。

意識が揺れる。

なんだか上下左右解らなくなってきた。

鏡はどこだ?

いた。

鏡は笑っている。
笑う。
僕を笑う。

笑うな。誰も僕を見るな。

「――あんたは」

鏡が女のような唇を開く。

「あんたは、自分が大好きなんだ。だから自分が嫌いなんだろ」

意味が解らない。

僕は口を動かそうとしたが、あうあうと震えるだけで、思うように動かなかった。

その間に鏡はデジカメを手に取り、こちらに向けてシヤッターを切った。
今回はフラッシュはついていなかった。

「――あなたは自分が好きと言うより、理想上の自分が好きなんだよね?今の僕は本当の僕じゃない、本気を出せば僕だって、ってか?
自分の写真を見てカメラ写り悪いとほざく自意識過剰なブスと同じさ。もっと現実を見ろよ」

「うぅっ、うるらさい・・・・・・。げ、げんじ、なら、ちゃんとみてる」

「どこがだよ。あなたは現実も見てないし、『しかも困ったことに、彼の夢は人生を圧服するほど強力なものではなく、弱虫の子が人にいじめられては逃げ込む小さな物置の隅のような場所にすぎなかった』。あんたは現実も未来も見ていない。過去しか見ていない。そのくせ過去の一番きつい所からは逃げている」

「な・・・っ・・・あ?」

言葉が追い付かない。
ろれつが回らない。

鏡は何が言いたいんだ?

瞼が重い。

「もうおねんねかい?見栄を張って酒に弱くない大人な俺を演出したところで、こんな結果じゃ無様だね。いや、無様もここまでくると逆にかわいいとすら思えるよ」

「かっ、かが・・・・・・み・・・・・・?」

「まあ何だっていっか。それじゃあおやすみなさい“星野広明君”」

初めて鏡が僕の名前を呼んだ。名前。名前?何か違和感のような、しっくりこない気持ち悪さを感じる。

「か・・・かが・・・」

僕の手は宙を掴み、視界は鏡の笑顔から天井に変わっていた。後のことは、覚えていない。
僕は、深い眠りに落ちた。


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