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□ホワイト・プランA
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洋一の通う中学校の登校時間は通常八時四十分だが、今日は七時となっている。修学旅行のスキー合宿として、バスで長野に行くためだ。

「ふひひひひ・・・・・・」

現在時刻は六時三十分。

洋一は洗面所で髪をとかしながら笑っていた。

「ふひひ。いつもは朝起きた瞬間からついていない僕だが――いや、寝ている間さえもついてない僕だが、今朝からはまだついていないことが起こっていないぞ。
ありがた迷惑を具現化したようなパパとママだってまだ熟睡中。だから余計な真似をされる心配もないし――ふひひ!今日の僕はついてるぜ!」

言って満足げにくしを置き、ワックスのCMよろしくセットされた玉ねぎ頭を軽くつまむ。

「バスの座席はみっちゃんの隣だからな。ビシッと身だしなみを整えないと――」

整えたところで鏡に映る顔は残念ながら残念な顔立ちなのだが、本人は意に介さず流し目をクールに決める。まるでナルシストだ。

――でも違う。

洋一は自分の顔の不出来さをきちんと心得ている少年だった。普段は冴えない自分の面に嫌気をさしている。のだが、今はただ単にハイになって気にならなくなっているだけのこと。
独り言の長さもその結果だ。

「僕は雪国生まれでスキーは得意!みっちゃんにかっこいい所を見せた所でゲレンデであのラブレターを渡せば――ふひひ、ラブレターもいつもと趣向を変えてデコって可愛いくしてみたし、これならみっちゃんだって・・・・・・」


洋一はそこで言葉を区切ると、鞄に仕舞ったラブレターを頭の中に思い浮かべた。

封筒も便箋もデコで飾り、あまつさえ文字すらもデコで書いてある、宝石を散りばめたようにキラキラ光る、デコラブレター。
その出来栄えはまさに玲瓏。
徹夜して作成した洋一の苦心の一作であり一品だ。

「はっはっはっ!今日は、今日こそはついていない人生の例外日にしてやるぞ!」

そう声高らかに叫ぶと、洋一は映画のワンシーンのように華麗にターンを決め、洗面台に背を向けた。
キュキュッと、気持ちの良いフローリングの音が鳴る。
そして一歩、足を踏み出すと――

「うわああああっ!?」

踏み出して、踏み外した。

たまたま落ちていた石鹸。入れ替わる床と天井。
後頭部に衝撃。
遠のく意識。


――こうして、洋一の修学旅行幕開けは、幕を閉じるように始まるのであった。


***


「あら洋ちゃん。こんな所で寝ちゃったら風邪ひくわよ?ほら、早く起きて」

「・・・・・・ん。あれ?マ、ママ?」

洋一が目を覚ますと、母親である伊八代が笑顔で迎えてくれた。
その顔に近付けるよう上半身を起こす。と、床に転がる石鹸が目に入った。
そして後頭部に残る痛みの響き。

これまで幾度もついていないことを経験している洋一は、この二つの事柄から現状をすぐに把握することができた。

「はあ・・・・・・。今日もやっぱりついていないのか・・・・・・」

洋一のやるせない呟きは、伊八代の耳に入ることはなかった。
なので伊八代は歌うように言葉を続ける。

「も〜。てっきり家を出たと思っていたから、努力ちゃんと目立ちゃんが洋ちゃんを迎えに来て驚いちゃったわ〜。
本当、チャイムが鳴ってくれて良かったわね。でないとパパとママ、洋ちゃんに気付かないで昼まで寝ていたところよ」

「・・・・・・僕も驚きだよ」

まさか気絶してしまうとは。

洋一は重たい腰を上げ、自身が踏んだであろう石鹸を拾い洗面台に返す。

それを見届けると、伊八代は洋一の背中をぐいぐいと押し出した。

「ほらほら、洋ちゃん。食卓に急いで?二人がお待ちかねよ」

「食卓?玄関じゃなくて?」

伊八代の言葉に洋一は問う。

「ええ。食卓よ〜」伊八代は笑顔で答える。
洋一からは伊八代の表情は窺えないが、いつも伊八代は笑顔なので今も笑顔だろう。と、洋一は思う。
そして伊八代は背中を押しながら続ける。

「あのね〜、二人ともお腹ペコペコのぐーぐーだったから、朝御飯を食べてもらってるの〜」

「ふーん」

説明を受け、特にめずらしいことでもなかった洋一は何でもないように相槌を打つ。
しかし、心の奥底ではそういった母親の優しさが好きであり誇りであった。

伊八代本人と言えば、自分が優しいことをしているという自覚はない。腹が減っている者にご飯を分けるのは当たり前のことであった。心が豊かな女なのである。

「――あ、師匠!おはようございます!」

「おう洋一、邪魔してるぜ」

洋一が食卓に着くと、努力と目立が台所に食器を下げているところだった。

「ああ。努力、目立、おはよう」

努力が迎えに来るということはまだ時間は大丈夫なのだろう。

洋一はのんびりと手を上げ、時計を目に遣る。

集合時間の、七時だった。


***


「きりきり走れ!ぐんぐん走れ!びゅんびゅん走れ!」

「師匠ー待ってくださいよー」

「うぇっぷ。食ったあとに走ったら胃が・・・・・・」

三人は洋一、努力、目立の順で走る。

本来なら洋一より努力の方が走るスピードは速いのだが、

「バス、みっちゃんの、隣、バス、みっちゃんの、隣、バス、みっちゃんの、隣――」

今の洋一の欲望は、努力の鍛練を超越していた。

「さっすが師匠!見事な走りっぷりです!」

洋一に私淑している努力は、尊敬の眼差しを惜し気もなく背中に送り、後に続く。

「みっちゃんみっちゃんみっちゃんみっちゃん――」

「私も師匠に負けずに努力するぞ〜」

「だからちょっと待ってってお前ら!うぇっぷ」

思い思いのことを叫びながら驀進する三人。

その自分達を、校門を抜け昇降口に向かう姿を、屋上から鳥瞰している人物がいることには三人とも気付くことはなかった。


「はあっはあっ、遅かったか・・・・・・」

一年生のクラスのある階は人影がなく静かだった。

それでも一縷の望みをかけて教室のドアを開ける。

たが――

「・・・・・・誰もいない」

「師匠、仕方がないですよ。バスは諦めて、変身して飛んで行きましょう」

がっくりと肩を落とす洋一に、努力は励ますよう明るく声をかける。

「うう。せっかく、せっかくみっちゃんの隣だったのにい〜!ついてね〜!」

「まあまあ、あれ?師匠。机の上に何かが――」

言いながら努力は教室に入り、洋一の机に向かった。

見れば、茶色い机の上から色を四角く切り取ったように、くっきりとした白色が浮かんでいる。
それは、破かれたノートの切れはし。

「――なになに?“屋上に来てね、待ってるわ。チュッ”・・・・・・だと!?師匠、果たし状ですよ!」

「果たし状にキスマーク残す奴があるかよ!」

と。洋一は結構大きな声で突っ込んだのだが、その声は隣の男の怒号によってかき消された。

「おおお屋上だとお!?」

「うわっ、何だよ目立。突然大声だしやがって」

驚く洋一に目もくれず、怒りでふるふると肩を震わす目立。彼は続ける。

「くそっ、屋上で目立とうとしている奴はどこのどいつだ!屋上は俺様のテリトリーだっつーの!」

言って、駆け出す。光の速さで。音の速さで。

「ちょ、目立!?」

止めようにも、既に廊下の先にその姿を移し、階段に通じる曲がり角へと消えていく。

「あーあ。行っちまった」

ドアにもたれかかり呟く洋一に、努力が歩み寄り首を傾げる。

「全くあのボウフラは・・・・・・。どうします?追い掛けますか?」

「んー。別にいいんじゃない?屋上に居んのはどうせです代だろーし」

キスマークを贈ってくれる人物など他に想像できないからね。
と、言って洋一は努力から嫌そうにノートの切れはしを譲り受ける。

「!?」

その筆跡は、紛れもなくみっちゃんのものだった。


***


世の中に平等はない。

産まれ持った才能。
産まれ持った環境。

自分が自分である時点で。自分の親が自分の親である時点で。

世の中に平等は絶対に有り得ない。

だからこそ。平等でないからこそ。社会は平等になるよう制度と制御に勤しんでいるのだ。

「小学生にだって解る、簡単な凸凹構造だわ」

彼女は思う。

平等に不平等を生む才能と環境。

どちらも自身の意図と関係なく持つこととなるモノ。

ならば、親の作り上げた環境はその子供の才能の一つと言えるのではないだろうか?

ならば、親のお金を使うことは自分の才能を使うこととも言えるのではないだろうか?

ならば、何が悪い?

自身の才能を使うことの何が悪い?

「自分の稼いだお金でなくとも。自分の培ったお金でなくとも。私はフルに利用し使用し消費するわ。負い目も引け目もなくね――あら?」

彼女は口を閉じ、三日月型に緩ませる。
その目には校庭を走る三人の少年の姿が映り――三人の少年はと言うと、彼女に気付く気配は全くない。

なぜなら彼女は屋上にいたからだ。

そして屋上からその中の一人の少年をうっとりと見つめるその構図は、まるで天使が人間に恋をしているかのようでもあった。

――きっと彼はノートの切れはしを見て、今にここにやって来るわ。

そう思うと心が跳ねる。
それを思うと心が踊る。

「ふふふ」

彼女は三人が学校へ入り姿が見えなくなると、独り言の続きを呟いた。

「――でも、感謝はするわ。お礼もするわ。後者は大人になったらだけど」


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