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□心の檻
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檻の中は空っぽ。
それでも頑丈につけられた鍵が外されることはない。


***


老若男女の区別は人がつけたもので、運命はそんなことは関係なしに若い女の私にも降ってくる。


「ぎゃー!ついてねー!!」

兄の悲鳴とリズムの良い連続した衝撃音。
きっと彼のことだ、階段から転げ落ちたりでもしたのだろう。毎度のことだが不憫な兄だ。

「・・・・・・一日でも良いからお兄ちゃんにもついている日が来ればいいのに」

ついていない星の下に産まれた子供と両親は言うけれど。

「ついていない星ってなんだっつーの」

それはただの言葉のアヤで――ないものは壊せない。

だから、私達兄妹がついていないことは、どうしようもないことなのだ。

そう。あきらめたわけではなく、認めただけ。

「あ」

そこまで考えた所で、学生鞄につけていたポーチがなくなっていることに気付く。「ついていないやぁ・・・・・・」

お決まりの口グセを条件反射で呟いてしまうものの、しかしそんなにショックではない。
付けていたのは百均で買ったシンプルなポーチで、思い入れも何もない物だからだ。
周りの女の子達はかわいい雑貨屋さんで選んで買ったキャラもののポーチやチャームを付けているというのに。自分ときたら。

「・・・・・・私だって」

でもどうせなくなるのなら、お気に入りの物なんて作らない方が良い。

分かってる分かってる。

「自衛あるのみ」

私は学生鞄を掴み、家を出るため階段を下りた。


***


「で。そのまま兄と同様、階段から落っこったと」

「はい――」

私が肯定と謝罪の意味で頭を下げると、自然、修正先生が私の膝をペタペタと筆で撫でるのが目に入る。

「・・・・・・お手数をおかけして、申し訳ないです」

「あー。いーっていーって。それが俺の仕事だし」

修正先生の言う仕事、それはこの学校の保健医だ。
しかし、それを言うなら学校外で起きた怪我は範疇外であろうが――それでも嫌な顔一つ見せず治療してくれている修正先生は、毎日生傷が絶えない私にとってありがた過ぎる存在だ。私はもう一度頭を下げた。

「本当に、いつもすみません」

「だから気にするなって」

口端をクイッと上げて、修正先生は器用に笑った。
そして、「でも、まー・・・・・・。怪我だけじゃなく、不運も治せりゃ良かったんだけどな」と、ぽつり、インクの蓋を閉めながら呟いた。

どうやらこの短い会話の中で、すっかり私の傷は修復されたらしい。

私は自分の膝を撫でながら、「傷を治してもらうだけで十分です」そう答えようと口を開くと、私の声より先にノックの音が響いた。

「失礼します」

入ってきたのは偶然にも同じクラスの男子生徒で。
体操服を着ている所を見ると、部活の朝練で怪我でもしたのだろう。
私は修正先生の前方を譲るため、すぐさま回転椅子から立ち上がった。

「あ、俺、ただ絆創膏貰いに来ただけだから座ってていーよ」

そうは言われても、治療はもう終わっているのにまた回転椅子に座るのも何なので、私は無言で頭だけを下げ、男子生徒と修正先生の会話が終わるまでそのまま自分の上履きだけを見ていた。

無愛想極まりないと、自分でも思う。

というか、私は治療が終わったのだから保健室から出て行くべきだろう。
だが、まだ修正先生にお礼を言っていないことが引っ掛かり、出て行くことが出来ずにいる。
しかし、そんなことを気にしてここでつっ立っているのもそれはそれでウザいかもしれない。

さてどうしたものか。

まあ、いろいろと考えた所で答えは修正先生の心の中にあるのだから、私の頭の中で答えが出るはずもない。

ならば答えを考えるな。
ならば最善を考えるな。
最悪を回避することだけを考えろ。

とかなんとか、それっぽいことを考えつつ実際は何の具体策も考えつかない間に、男子生徒は去っていった。

私は顔を上げ、修正先生を見る。
なぜか、修正先生は猫のような目を細め、にやりと笑っていた。

「なあなあ。お前、あいつのこと好きなのか?」

どうしてそうなる。

「人類としては好きです。でも個人としては何の感情もありません。私が過度に無愛想なのは、関わり合いたくないからです」

「何の感情もないのに関わり合いたくないって何故に?」

「だって、関わって好きになっちゃったらどうするんですか。私は人を好きになりたくないんです」

修正先生が何か言いかけたが、聞きたくなかった私は言葉を続ける。

「修正先生だって知っていますよね?うちの兄とみっちゃんさんとのこと」

兄はみっちゃんさんが秘書をやっている会社に入れて喜んでいたけれど、そこで不運に失敗ばかりをし、更に嫌われる運びとなっている。
それでもめげずに一途にみっちゃんさんにアプローチを続けている兄はすごいと思う。かっこいいと思う。だけど、

「私はあんな風にはなれない」

好きな人がいない状態と好きな人に嫌われている状態。どちらの方がきつくないかの消去法。

――私は、前者を取った。

「好きな人に嫌われる不運がある限り、私は誰のことも好きになりたくないんです」

漠然とした人類愛。それだけあれば心は穏やか。
世界が平和でありますように。みんなが幸せでありますように。

「修正先生、みんな違うんだから、みんな違う生き方があるでしょう?
何が前提の生き方か、みんなそれぞれ違うでしょう?私は私の生き方に確信を持って挑んでいます」

使い減らされた感情が、私の口を乗っとったように止まらない。

「なので修正先生、できれば何も言わないで下さい。正論は切れ味が良すぎです」

「優しい正論なんてありゃしねえよ」

修正先生は少し不満そうに鼻をならしたが、そういやと、

「でも俺とは関わってんじゃん」

「修正先生は歳離れてるし、先生だし、っていうか宇宙人だし、恋愛対象外です」

「フラグどころかルートすらないのかよ」

「当たり前です。それじゃあ治療をして下さりありがとうございました」

私は保健室を出ようと、学生鞄を掴んだ。

「なんだ、ずいぶん女子中学生の鞄にしては静かな鞄だな」

「そうかもしれませんね。一応昨日まではポーチが付いていたのですが、なくしてしまいました」

「なくしたのか。あー、そうだ確か前に――」

ぶつぶつと独り言を呟きながら、修正先生は自身の鞄の中をごそごそと掻き回す。

「なんですか?」

「ちょっと待て、あ、あったあった」

修正先生が取り出したのは、「ウサビッチのポーチ?ですか?」

「ああ、ずっと前にゲーセンで取った」

修正先生がゲーセン。

「意外です」

「ナイスマンの音ゲの付き添いだよ」

修正先生は肩をすくめ、ほら、とポーチを差し出した。

「これやるよ。どうせ使わねーし」

「いいです。どうせなくしますから」

「それでもいいよ。
なくすまで持ってろ」

「・・・・・・ありがとうございます」


受け取ったポーチはふかふかしていて、とっても気持ちよかった。


***


「歳離れてるし、先生だし、宇宙人だし・・・・・・。
大丈夫だと思ったんだけどなー」

廊下を出た私は、笑顔で保健室を振り返る。

このままじゃいけない。
このままじゃ好きになる。

だから、

「さよなら」

もう二度と、保健室には行かない。

私は涙が溢れ出ないように、上を向きながらポーチを握りしめた。


無理に笑うことぐらい、誰にだってできること。



終わり
 

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