↑new ↓old
□笑うようにコンパスが狂った
1ページ/1ページ
僕は他人に関心を持たない方だし、関心を持ってもらいたいとも思っていない。
しかし、こちらが望もうと望まないと関係なしに関係を持とうとしてくるやつもいたりする。
「師匠!おはようございます!」
もううんざりだ。
これ以上、僕を荒らさないでおくれよ。
***
と。
いつも現実で聞こえる努力の声が僕の夢の中で聞こえ、現実の僕は目を覚ました。
無論目を覚ました所で辺りを見渡した所で勿論僕の部屋に努力がいるわけもなく、代わりに遅刻ギリギリ、一分一秒を争う時間だと時計の針は告げていて。
「努力・・・・・・?」
つまりそれは。努力が僕を迎えに来るいつもの時間をとっくに過ぎている。ということだ。
「・・・・・・って、どういうことだよ!」
頼んでいたわけでもなく向こうが毎日勝手に来ていただけだけど、だけど、そう毎日迎えに来てたらアテにしちゃうってのが人間じゃね?
怠け者でさーせん。
悪いのは寝坊した僕。
解っちゃいるが、苛々は消えない。
消えないなら隠すしかない。
拭えないなら覆うしかない。
僕は怒ってなんかいない。ただちょっと戸惑っているだけさ、なんて。
他の感情のフリをするんだ。
「洋ちゃ〜ん?起きたの〜?」
僕のドタバタと身支度をする音を聞き付けてか、部屋の外からママが声をかけてきた。
「ああ、今起きたよ!」
僕は、叫ぶ。
努力のnot迎えとは違う苛々の感情。
そしてそれは平然と表へと押し寄せてくる。
「――ってかさ、どうして起こしてくれなかったのさ!おかげで遅刻しそうだよ!」
きっと僕の大嵐はママにとって水溜まりの上を蝶々が羽ばたいたと同等。彼女はペースを崩さず、らんらんと愉しげに言う。
「え〜、だって努力ちゃんが来なかったから、今日は学校お休みかと思って〜」
この親にしてこの個あり。
僕はワイシャツのボタンをとめながら、そんなことを思った。
***
驚いたことに、僕の家の前の路地に、努力は居た。
――居た。
正しくは言えば、塀に寄りかかりながら歩いていた、なのだが――その蟻にも抜かされる程度の進行速度では、ちっとも、まったく、動いているようには見えなかった。
「――努力!」
迎えに来てたのかよ!
そう僕は続けたかったが、一旦止めた。
努力の名を呼ぶ声が、思う以上に弾んでしまったからだ。
なので僕は意図的に一回咳払いをし、意識的に声のトーンを落とし、できる限り普通に、何も嬉しいことなど起きていないよう、改めて口を開いた。
「・・・・・・努力、そんな所で何やってんだ?」
「あ・・・・・・師匠・・・・・・」
僕の演技もむなしく、第一声どころか、今の今まで僕に気付いていなかったらしい。
「努力――」
「・・・・・・師匠、ぉはょう・・・・・・ござぃます・・・・・・」
所々に声量に弱い箇所があって聞き取りにくい。
しかも、
「いやいや、僕はこっちだから」
僕は通りすがりのラッキーワンに向かって頭を下げている努力の肩を、後ろから軽くこづいた。
「・・・・・・っ!!もっ、申し訳ありません師匠・・・・・・」
「いや、ま、別にいいけどさ・・・・・・」
威勢こそ良いものの、大慌てで謝る努力の顔色はお世辞にも良いとは言えない。
僕とラッキーワンを間違えたのも、意識が朦朧としてのことだろうか。
さすがに素ならへこむ。
僕はラッキーワンにおはようと頭を撫でて、掌をそのまま努力の額に移動させた。
「熱はないな、腹でも痛いのか?」
「いえ」
努力は力なく首を振り、
「巷で24時間マラソンという話を聞きまして」
「もういい」
僕は話の先が読めたので、嘆息をしつつこめかみを抑えた。
「どうせお前のことだから、字面の通り徹夜で24時間ぶっ続けで走り続けたんだろ?」
観客も声援もない道をたった一人で。
まあ、チャリティーではなく個人のトレーニングなのだから当たり前だが。
「はい・・・・・・。パトロールも兼ねていたのですが、町は事件、事故、何事もなく平和で、私も無事、走りきりました・・・・・・」
言って、努力の赤い瞳が柔らかく細くなる。
何がそんなに嬉しいのだろう。
僕には解らない領分だ。
――あれ・・・・・・?
と、そこまで考えた所で僕はふと疑問が生じた。
一人で走った、ってことは、
「お前、給水とか――」
「水は・・・・・・飲んで・・・・・・いません・・・・・・」
マジでか。
「そして・・・・・・ゴールの公園に着いたら、だ、断水で・・・・・・」
・・・・・・ここ最近、雨降ってなかったからなぁ・・・・・・。
しみじみと僕は努力に同情した。
「じゃあなんだ、今はとりあえず僕の家で水分補給だ。いいな?」
「いえ」
「っ、は?」
いいな?と訊きつつ、断られるとは思っていなかったので、僕は言葉に詰まった。その反対に、努力はつっかえつっかえ言葉を紡ぐ。
「いえ・・・・・・。水が貴重な今――ならば雨が降るまでいっそ努力して給水を絶とうと思いまして・・・・・・」
いやいや。
「努力してどうにかなる問題じゃないだろ」
僕はかぶりを振って応えた。
しかし努力も引き下がらない。
「努力してどうにかなる問題じゃないなら――努力してどうにかなる問題になるよう努力します」
扱い易くて扱い辛い。
努力は本当に厄介なやつだ。
僕は努力に背を向け歩き出す。
「勝手にしろ」
努力が何をしようと努力の勝手。
なら、僕だって何をしようと僕の勝手だ。
「はい。・・・・・・私と一緒だと・・・・・・遅刻してしまいます。師匠は、どうぞお先へ・・・・・・」
どこぞの戦場カメラマンのような喋り方を背中で受け、僕はすたすたと一人、先を歩んだ。
***
塀にもたれながらフラフラと歩いている努力は、前を見ずに下ばかり見ている。
なので、僕が家に戻ったことには気が付いていないようだ。
そう。庭と門の間。僕はそこで努力が来るのを待っている。
そう。何をしようと僕の勝手なのだ。
「えい」
僕は、門の前に努力の姿が現れると、ひゅん、とホースの先をそこに向けた。
「ひゃあ!?」
水の勢いは最大。努力はあっという間にびしょびしょになる。
「師匠!何をするんですか!!いや、その前に何でまだ家にいるんですか!」
「見て解るだろ。庭の水まきしてんだよ」
僕はホースを親指と人指し指でつまみ、更に勢いをつけて努力に発射。
「ちょ、やめ、やめてくださいよ師匠!」
努力はあたふたと両手で水を防ごうとしているが、たいした効果はない。しっかりとたっぷりと水分を吸収している。
「こんなもんかな」
三点リーダーも無くなったし、もうそろそろいいか。
僕は庭に向き直り、蛇口を止めるためホースを手離した。
ドクドクと、努力があれだけ必死に絶っていた水が無駄に地面に流れ、いくつもの線を作る。
「師匠」
努力は透明なしずくをポタポタとたらし、その線から僕に視線を移す。
「師匠。これは古来より日本で伝わる、水まきで気温を下げるエコ活動ですね!しかも水を絶って参っている私にさりげなくかけてくださるとは・・・・・・!くぅ〜、さすがです!師匠!」
「・・・・・・」
水を大切にしろ、と怒られるかと思ったが、それはないようだった。
僕のすることは何でもかんでも盲目的に善い方向へと解釈する努力。
本当に、扱い易くて、扱いい辛い。
「・・・・・・まあね」
地球?エコ?そんなこと一ミリだって考えてないよ。
言わないけど。
教えないけど。
ずっとずっと、僕の虚像を瞼の裏に張り付けていればいい。
「――よし。次は風呂だな」
水も飲ませたことだし、僕は努力に次の指示を告げる。
「公園が断水してたなら風呂にも入ってないんだろう?」
「いや、それはそうですが、そうなんですが――」
努力は困ったように、
「それはさすがに甘えすぎです」と首を振った。
「・・・・・・やれやれだよ」
僕は嘆息いっぱいに努力に云う。
「風呂の一度や二度の貸し合いが甘やかしになるのなら、僕はこれからもこれ以上にお前を甘やかすよ」
砂糖たっぷりの宣戦布告。
「だから、お前は僕に甘やかされるのに慣れるよう、努力しろ」
***
そもそも、公園でホームレス暮らしの時点で基本的健全な生活が破綻していると僕は思う。
心配するなという方が無理だ。
「・・・・・・努力がこの家に住めたらいいんだけどね」
だけどここは僕の家ではない。
パパとママの家だ。
仮にパパとママが良いと言っても、努力が辞退するだろう。
人が一人生活するにかかる莫大な費用。
努力自身が許せる許容範囲は、たまに遊びに来ておやつをごちそうになる、そこまでだ。
今入らせている風呂だって、全身水浸しという状況下だからこそ受け入れてくれたのであって、普段の努力なら絶対断られていただろう。
「あー、早く大人になりてー」
洗濯機の槽が回り、回り、回る。
僕の言葉を溶け込ませながら。
「・・・・・・僕の家で僕のお金でなら、『住め』と心置きなく命令できるのに」
もしもそれで拒否なんかしたら、弟子は師匠の面倒をみるもんだって言ってやるんだ。
――・・・・・・。
なんだかなあ。
以前の僕なら、こんなこと思わなかっただろう。
そして、今の僕はそんなことを思案しているだなんて口が裂けても当の本人に言えやしない。
未来の僕、あとは頼んだ。
と、そんなことを考えていたら、努力がタオルを巻いた姿で現れた。
「ぷはー。いいお湯でしたー」
「ん」
それは良かった。
だがいつまでもタオル一丁でうろつかれては、なかなかどうして目と心のやり場に困る。
なので、僕は籠の中のシャツと短パンを指差し、「お前の柔道着洗ってるから、その服着ろ」と、促した。
「え?」
努力は僕と洗濯機と籠を順に見渡しながら、すっとんきょうな声をあげた。
「じゃあ、あの、学校は――」
「休む」
「それは駄目です」
きっぱりと断られた。
「なら遅刻。午後から行こう」
「はい」
努力はいつものように、微笑んだ。
「でもよー、よくあの状態で学校に行こうと思ったよな」僕は先ほどまでの努力を思い浮かべながら言う。「僕なら学校休むとか考えるけど」
「はい。・・・・・・養生も大切だとは思いますが、できる限り私は学校を休みたくないのです」
「ふーん。休みたくないほど学校が好きなのか?」
「はい!好きです!」
努力は僕に顔をこすりつけるように近付け、答えた。目の輝きが半端ない。
「だって師匠、皆で共に学び、食し、遊び、努力を培い分かち合う!素晴らしいじゃないですか!胸が高なるじゃないですか!」
「そ、そうか?」
長年独りで山にこもって修行していたせいか、努力は集団行動が新鮮らしい。
「それに――」
「それに?」
「学校を休んだら、師匠に会えないじゃないですか」
「・・・・・・」
深い意味はないにしても破壊力は抜群。
天然って怖い。
「僕も産まれ変わったら天然になりてぇな・・・・・・」
「師匠?」
「・・・・・・なんでもねーよ」
産まれ変わりはないにしても、僕は、少しずつ変わり始めている。
それこそ、僕が望もうと、望まないと、関係なく。
おわり