小説

□春眠足らず昼間も覚えず
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長く使ってきた畳が仄かに香る。
今日もいつもとあまり変わらない。いつもと違うのは、子ザルが遊びに来ない、ということくらいだろうか。
窓から入るそよ風が、頬をかすめた。小鳥達の声を聞きながら、彼は頬杖をつく。


――嗚呼、眠い。

景勝は思わず大きな伸びをした。
「あらあら殿ったら。真昼間からそんなに。今日は早くお休みになってくださいね、うふふ」
不意に後ろから声がした。欠伸をして大きく吸い込んだのが仇となり、景勝は盛大に咳き込んでしまう。
「うぇっげほっ……かねつ、っげほっひ、げほ、気色の悪、っげほっやめうぇほっ」
もはや景勝が何を言っているのかは聞き取れないが、何を言わんとしているか、兼続にはわかる。
激しく咽て、目を潤ませながら睨みつける景勝の背をさすりながら、兼続はいたずらっぽく笑った。

季節は春。雪が溶け、土が見えてくる頃だ。

「いやあ、いたずらが過ぎました?えへっへっへっへ」
咳が収まって、静かに深呼吸をする景勝にそう話しかけた兼続に、反省の色は微塵も見られない。
しかし、それはいつものことである。景勝は幼少の頃より慣れている。
傍から見れば無礼極まりない兼続だが、奴には何を言っても無駄、齢十でそう悟った景勝は放っておいている。
慣れた顔の景勝に、他の者達も敢えて何も言わないでいるのである。
「……別に」
いつものことであろう、と景勝は付け足した。
それから直ぐに仕事に戻ろうとしたが、筆を手にしてからしばらくすると、意識は飛んでいきそうになる。
微睡んではぴく、と動いて眠い目を擦って仕事に取り掛かろうとする主を見かねて、兼続は言った。
「もー、ちょっと休まれた方がいいですよ?あ、殿、今なら!この兼続の膝枕で!どうです?
 遠慮せずに。さあ、さあ。……まさか、奥方様の方が柔らかくていい、なーんて考えて……。
 ……ないですよね!ああ、安心いたしました。さあ!」
大抵、兼続が一人で喋っている様にしか見えないが、これでもきちんと意志の疎通は出来ている。
兼続は景勝のわずかな視線の動き、仕草、表情の変化からその心中を把握しているのだ。
とは言っても、兼続が都合の良いように持っていくことがほとんどである。
さあ、と春風が吹いた。雪を割って出てきた草が、静かに揺れる。
「……膝枕……は、いらぬ。然るべき時に起こしてくれれば、よい」
ごろんと横になると、そのまま直ぐに眠りに落ちた。
寝返りをうつと、畳の跡がうっすらとついているのが見える。
「うわ、殿……早いですね。いつもいつも思いますが、殿ったら寝付くのは早いんだから」
しばらく主の寝顔を見つめる兼続。
裾から覗く足、少し白い胸元に首筋、しっかりした腰を見ていると、何か感情がムラムラと湧き上がってくる。
あらあら無防備じゃないですか、殿……。口角を上げながら兼続は呟いた。
しかし、ぽかぽか陽気にぬるい風、鳥の声しか聞こえない中で一定間隔で繰り返される静かな呼吸、何より気持ちよさ気に眠る景勝に、兼続は急激な眠気がムラムラする気持ちに勝ってしまったのだった。

  ◆   ◆   ◆

主従が目覚めたのは、夕餉の支度が出来たと菊姫に呼ばれた時である。
「殿、夕餉の支度が……まあ、殿、兼続まで……ふふっ、まるで子供の様ですね」
二人は寄り添って寝ていた。――というよりは、兼続が一方的に抱き着いていたのだが。
しかし、残念ながらいつまでもこうさせておくわけにはいかない。
菊姫は心中で少し落胆しながら、景勝を揺り起した。
「……ん、――兼、……ん、んん?」
目の前に、何故か家老の寝顔がある。では自分を起こしたのは――
「そなたか」
「よくお休みでしたね、殿」
柔らかい笑みを浮かべる菊姫に、景勝はうっすらと頬を染め、少し口を尖らせて黙り込んだ。
外はもう、暗い。残雪が月に照らされて輝いている。
本当によく眠っていたようだ。
「……起きよ、兼続」
腰に回された兼続の腕をどかし、半身を起しながら景勝は兼続を揺り起した。
眠りながらも、兼続は楽しそうににやけている。
一体どんな夢を――景勝は不意に浮かび上がったその疑問を振り払った。どうせろくな夢ではない。
「……ふふ、……殿……。……殿!?申し訳ございませぬ!いやはや何と申し開きすればあわわ」
眉間に皺を寄せ見つめる景勝。兼続は瞬時に覚醒した。
「……怒っておらぬが。たまには……うむ、悪くなかろう」
「は……。珍しいですね、殿。しかし……夢だったとは……。せっかく殿が積極的に……むぐっ」
兼続はその先を言わせて貰えなかった。
ろくな事を言わない――景勝は察知したのである。
それを妻に聞かせたくない、そう思って兼続の口を塞いだ景勝であったが、
残念なことに、菊姫には兼続の言わんとしたことを大体予想出来てしまっていた。
――夢とは、残念です。
菊姫はわずかに口を動かす。
「……菊、何か……申したか」
いいえ、と首を振る菊姫に、景勝は不思議そうな顔をする。
そして景勝は、小さな欠伸を一つだけした。


***

……。

……寝ただけwww
あと、兼続をムラムラさせたかっただけ。

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