旧・裏部屋
□蜀に
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涼州の錦馬超が蜀に降った―――…
蜀に
「よく来てくれた!」
到着し、蜀の君主・劉備と顔を合わせた瞬間そう言われる。
「これで我が軍は百人力を得たと同等の力を得ました」
諸葛亮がそう囁くように告げ、劉備へと微笑みかける。
そのくせ自分には警戒の眼差しを向けてくるのだからやってられない。
(……胡散臭い)
側(ハタ)からは子供のようにはしゃいでいるように見える劉備に胡散臭さを拭えず、馬超は無表情の下で新しい主を冷めた眼で見やった。
「子龍!本当によくやってくれた……っ!」
「いえ、殿の刃として当然の事をしたまでの事です」
にこやかに笑って告げる隣の男。趙雲子龍は自分の功績を鼻に掛けるでもなく、あくまでも控えめに顔を伏せる。
「いや、本当に素晴しい働きだ!民も喜ぶことだろう!助かったぞ、趙雲!」
「お褒めに預かり光栄です」
―――ああ、もう本当に苛々する。
なんなのだこの国は。味方同士でもこのようなやり取りをしているのか?
まるで膜が張られているように各々の本音を読み取ることが出来ない。
特にこの君主と軍師。
諸葛亮は言わずもがなであるが、この劉備とか言う奴。へらへらと笑っているからと言って油断出来ない。こいつの目の奥は諸葛亮と同じぐらい、鋭い。
「……吐き気がする」
誰にも聞こえないようにそう吐き捨て、馬超は小さくため息を吐いた。
「申し訳ありません」
が、そのため息の直後に聞こえた隣の男の声に、ハッと目を見開く。―――もしや、聞かれたか?
だが彼はこちらを向くことなくずっと下を向いたままだ。彼の声だけがこの部屋に響く。
「殿、誠に申し訳ありませんが、我々は先程まで戦をしていたゆえ、体力がかなり消耗しています。加えてこのような見苦しい姿を殿の前に曝すのも気が引けますので、下がってもよろしいでしょうか?」
控えめだが、早く休ませろと明確に告げている。
素直に関心して思わず馬超は彼の顔をまじまじと見てしまった。が、趙雲の眼は彼の長い睫に塞がれて見ることが難しい。
劉備がわざとらしいまでに目を見開いて眉根を寄せる。
「おおっ!すまなかったな子龍!こんなことにも気付かぬとは、私はなんという君主なんだ……っ!」
「いえ、殿!そのような事は…っ!」
「いや、良いのだ子龍!お前達は休んで来てくれ。また話は後で聞かせてもらうとしよう」
『達』、というのは、俺もはいるのだろうか?
考えあぐねていると、趙雲が唐突に自分の手を握りしめてきた。武人らしい、固い手の平。見かけとは大分違うものだ。
「お心遣い、本当に感謝いたします。それでは失礼致します。…行きましょう、馬超殿」
「ああ…」
とりあえずこの胡散臭い所から連れ出してくれる事に感謝しつつ軽く礼を取り、馬超も趙雲の後に付いて行く。
二人が完全にこの場を離れた事を確認し、劉備は軽くため息を吐くと諸葛亮を近くへと呼んだ。
「どう思う?」
それだけで君主の意図を読み取った諸葛亮は、しばらく考え込むように羽扇をはためかせていたが、ふと瞼を上げて「そうですね…」と口火を切った。
「いっそ拍手を与えたい程に私達の事を疑心暗鬼な眼で見ていましたねぇ……。しかし子龍の事はまだ信用する方に入っているようですよ?」
「ああ、それは私も思った。もともと彼はどこか子龍目当てで入った感じもするしなぁ」
うんうんと呑気に頷く君主に、諸葛亮は冷静な眼差しを向ける。
「というよりも殿。貴方、彼に睨まれてましたよ?」
それににこやかに応じる劉備。
「あー。多分それはアレだ。私が馬超をガン視していたからだ」
「何故!?」
この一番刺激を与えてはいけない時に!?
三国広しと言えどもこの冷静沈着な諸葛亮の平静をここまで乱す事の出来る者はそうそういまい。その点、劉備はある意味本当に恐ろしい男である。
「だってあの兜、あまりに凄いから暑くないのかなー、とか。高そうだなー、とか。いくらで売れるんだろう、とか…」
ちなみにこの劉備。幼少から貧しい暮らしをしてきた所為か、金銭関係になると普段の穏やかな目が急に鋭くなったりする。
「殿……」
勘弁してくださいと内心叫び、諸葛亮は静かに羽扇を胸元ではためかせたのだった。