小説【三國A】

□ある初夏の物語
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『ある初夏の物語』


空が青い。

ほとんど人の来ることのない草原に立った数本の木のうちの、いつも自分が背中を預けるひとつへと周瑜は足を運んだ。

木陰で体を休めて風に当たるのは、この季節ではそう珍しい光景ではない。

涼やかに音を奏でる木々の葉が耳に心地よく、周瑜はそのままそっとその場に座り目を閉じた。

(静かだ……)

屋敷の中は静かだが、周家の主としての気構えを常に身に纏ってしまう。

それはごく僅かなものであるのにもかかわらず、絶えず確かに自分の周りに存在してしまうのだ。―――意識しようとしまいと。

そこまで何とはなしに考えてから、ふっと息を吐いて天―――正しくは青々とお生い茂る木の葉だが―――へと視線を向けた。燦然と輝く太陽が、室内に慣れている自分には少しばかり眩しく感じる。

腕を目に翳し、そのまま眩しそうに揺れる葉を眺め―――次の瞬間、周瑜は小さく「え」と声を漏らした。彼の周りに流れていた穏やかな時が霧散する。

「……誰?」

「ぅおっ!バレちまったっ!!」

此処は別に周家の敷地内というわけではないので名前を問う必要は無かったのだが、正直木の上に人がいるなどとは予想外であった(しかも私はその気配に気づいていなかった)ので、少し動揺して訊ねてしまった。

すると木の枝に腰を下していた彼は思いっきり焦ったようにあたふたと意味不明な言葉を叫びながら体勢を整え……ようとして――…

「危ないっ!」

ガクンと体を崩した彼に、気が付くとそう声を出すと共に素早く立ち上がって腕を伸ばしていた。しかしその手が木から転落する彼を触れることは無くて……。

「……」

思わず呆けたような顔をしてその手を引っ込める事が出来ずにいると、目の前に逆さまの顔に笑顔を咲かせた彼がいた。

「……へへ。悪ぃ。ありがとうな!」

器用にも足を枝に引っ掛けてぶら下がるという事で難を逃れたらしい少年は、悪びれもなくニカッと笑うと、何故か差し出したままだった私の手をぎゅっと握った。

「せっかくだから、ちょっと手ぇ借りるな!このままじゃ頭に血ぃ上るし!」

足、いつまでもつかわかんねぇし。と、小声で言って苦笑すると
、彼は私に手のひらを上に向けるように言い、一瞬だがかなり力を加えてしまうからと詫びた。そして互いの手のひらをぴたりと合わせる。

「いくぞ!?」

スッと、彼の黒曜石の瞳が真剣な光を帯びた。続いてグッと手から腕にかけて負荷を感じる。手を軸にしてバック転の要領で着地しようとしているのだろう。

「…っ」

だがそれは彼が彼自身の腕をバネにする為だけのほんの一瞬の間で、むしろ彼の全体重とは到底思えない程度の重さがかかったと思った途端、彼はすぐに私から手を離すと軽やかに宙を舞って着地した。

その身体能力に驚いていると、彼はまた明るい笑顔をこちらへと向けてくれた。

「さんきゅっ!手、大丈夫だったか?」

「……ええ」

「……本当かよ?挫いたりとか…」

「していません。大丈夫です」

本当に痛みは感じなかったのだが、驚きから遅くなった反応を機敏に感じ取ったらしい。

彼はしばらく納得出来ないとでも言うように唸ってこちらを睨んでいたが、やがて安心したようにニカッと笑った。瞬間それが何かとデジャヴするが、いまいち思い出せないうちに明るい声に思考を遮られる。

「あ!俺、孫策ってんだ!この前こっちの方に越してきたっ!」

孫策……聞いた覚えがある。確か今名を馳せている孫堅という将の嫡男の名前と同じだ。

「貴方はもしや……」

孫堅殿のご嫡男ではありませんか?

そう聞こうと口を開いた途端、ずいっと顔を近づけてきた彼の強い黒曜石の瞳に息を呑む。

キラキラと、今まで見たどんな物よりも美しいと思ったソレが、自分だけを映しているのに胸が高鳴るのを感じた。

「それで!?」

「……?」

期待の込められた瞳でそう切り出した彼に、意味がわからず取りあえず彼……孫策の瞳を見つめ返すと、孫策は焦れたように「だーかーらぁ!」と続ける。

「お前は何て言うんだよ!?俺は名乗ったぞ!?」

ああ。そういう事か。

「私は……」

周瑜公瑾と、申します。以後お見知りおきを。

そう名乗ると、目の前の彼は私には眩し過ぎる程の真っ直ぐな笑みを向けて、呼んでくれた。

「そっか!よろしくな!公瑾っ!!」

ああ……。先程自分が何を彼に重ね合わせたか、わかった気がした。

「ええ。こちらこそ、よろしくお願いいたします」

私がそう返すと、彼は一層笑みを輝かせて空を仰ぎ見た。

つられるように視線を上げると、燦々と輝く太陽が、彼と会う前よりもどことなく身近に感じた。


これは、ある初夏の二人だけの物語―――…。


<End>

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