小説【三國】

□犬
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『内緒だぞ?』
 幸せそうな顔でそう言って、君は私にコレを預け、出て行った。
 君の幸せそうな顔を見るのは好きだし、二人だけの秘密というのも悪くない。悪くはないが…
 周瑜は重いため息を吐くと、目の前にある箱に眼をやった。―――正確には、その中身に。
「私にコレをどうしろと言うのだ…。孫策」
「くぅ〜ん」
 まるで周瑜の意をくみ取ったかのように切なく鳴く箱の中身は、犬。
 潤んだ瞳で見つめられても、周瑜にはどうする事も出来ない。触れる事さえも出来ない。
 ―――彼は、犬が大の苦手だった。


「君ならとうに知っているだろうに……」
 再び此処にはいない人物に対して盛大なため息を吐いて、周瑜は取り敢えず犬との距離を開けた。
 此処は周瑜の室で、他の者が入って来る問題はない。よって、犬が苦手な事を無理に隠す必要もない。
 1m程離れた場所からその犬を観察し、一応逃げる事の無いように見張りはする。触れるのは駄目だが、見ているだけならまだ耐えられるのだ。
 つぶらな瞳が、じっと周瑜を捉える。
(……う)
 この眼が苦手なのだ。
 以前そう言った自分に、孫策は笑って道端にいた犬の頭を撫でてやりながら言った。
『この眼が良いんだろ〜?可愛いじゃねーか!』
 一瞬、本当に一瞬だけだが、その犬に嫉妬から殺気を覚えてしまったのはここだけの話だ。
(どうせ私は可愛くなど無いさ)
 その時の事を思い出して、周瑜は不機嫌そうに箱に入った犬から眼を逸らした。が、それはすぐに微笑へと変わる。
(ま、別に私でなくとも君が可愛いから問題はないのだがな)
 その時―――…。
 ペロリ―――。
「……っ!?」
 周瑜の顔から笑みが抜け落ち、その色は蒼へと変わる。
 ―――…犬が。
 いつの間にか箱を脱走していた犬が。
周瑜の目の前に来て、彼の手の甲を、舐めていた。
 こう。『ぺろり』と―――…。
 己の油断をこれ以上無いほどに後悔しつつも、周瑜は動けなくなっていた。つまり、完全に固まってしまっていた。
 目先真っ白な彼の心を知ってか知らずか、犬は一度首を傾げると、また周瑜の手をぺろりと舐める。どうやら犬側は周瑜に好意を持っているらしい。
 が、しかし。いくら相手が自分に好意を持っていてくれたとしても、応えられない場合だって人間なら誰しもあろう。納豆嫌いの人間に納豆がいくら『僕は君が好きだよ』と言っても、その人間が納豆を好きになれないのと一緒だ。いや、違くとも周瑜はこの時ばかりはそう信じて疑わなかった。
(孫策……っ!早く帰って来てくれ…………っ!!)
 ぎゅっと目を閉じた周瑜の耳に、扉が開く音が届いた。それと共に手の甲の温もりが離れる。
 ワン、と鳴く声に迎えられた孫策は、その犬の頭を軽く撫でると抱き上げ、部屋の片隅に座り固まっている義兄弟を見ると苦笑した。
「今帰ったずぇ〜?」
「遅いわ馬鹿めが」
 どこか某国の高笑い軍師の名言を吐き捨てて孫策を見る彼の顔色は、やはり某国の高笑い軍師同様に青白い。
 何となく笑えてきて、孫策はそれを隠すことなく素直に表すと、犬を再び地面へと置き、周瑜の前に座って顔を覗き込んだ。
「大丈夫か?」
「君が言うな。ついでに笑うな」
 とことんご機嫌斜めな彼に苦笑を漏らし、孫策は「悪かった」と彼の頭にぽんぽんと手を置いた。
「本当、周瑜って犬苦手だよな〜」
「目が苦手なだけだ」
「それが良いんじゃねぇか〜」
 いつかと同じような会話を交わし、ならば続きを変えてやろうと周瑜は続ける。
「だが…」
「ん?」
 聞き返す彼に、周瑜は至極真面目な顔で告げた。
「あのつぶらな瞳と同じ目をした犬達を我々は殺して食べているのだぞ!?あのような目を向けられても食べる側としては合わす顔が無いではないか!!」
「………ぷっ」
 思わず噴出した孫策に、周瑜は珍しく顔を赤く染めて叫んだ。
「何故笑う!?」
「だって……お前、それ……」
 皆が聞いたら驚くだろうな、と言った彼に「それだけではない!」と言って、周瑜は彼から視線を逸らした。不思議そうな顔をしてこちらを見ている孫策が、見ずとも容易に想像出来る。
「君は、犬の眼がイイと言った。私の目など誉めたことは無いのに……!」
「……」
 降り立った沈黙が痛い。自分でもらしくない事を言っているのはわかってはいるつもりだ。
 いい加減視線を外しているのも恥ずかしくなり、周瑜キッと挑むように彼を見た。見て、目を見開いた。
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