バサラ

□藁束と共に燃ゆ
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「セイ、ヤッ」

鋭い掛け声が崖近い畑にこだまする。
およそその華奢な体格には似合わない大槌のそれが、用意された的を叩き潰した。


真夏を前に張り付くような暑さが肌を焼く、そんな季節の折の話である。


特になんの変哲もない、少し雨漏りの染みの気になる民家で、農民一揆代表を名乗る少女は西瓜を片手に涼んでいた。
西瓜…すいか、を食べるのは初めてであった。
親衛隊一員である稲作という男がどこからか仕入れて来た種を、期待半分で育ててみれば…という奴である。
最初はなにか巨大な豆かとでも思ったが、先日休みに来た足軽から正体を教えてもらい知った。
しかもその野菜の中には大量に種があり、また半分くらいは期待出来るとも言う。
数個採れた内の丸々ひとつを、いつきは貰った訳であるが、本当は皆で分けて食べて良かった。
だが代表として有り難い実りは真っ先に食べるべきだと言われ、そんなものなのかと礼を言い受け取る。
ずっしりとした重みは大槌に似て、腕に心地よく馴染んだ。

「いつきちゃん、どうだ旨いか?」

縁側で足をぱたつかせながら、ちまちまと西瓜をかじる様子を見て、皆の分の西瓜を切り分けていた田吾平が尋ねて来る。
潔く頷くと、満面の笑顔が返って来た。

「よかべよかべ、こっから夏は西瓜が採れるだな」
「冬まで持だす方法でも編み出すとすんべ」

楽しそうに会話を弾ませる皆を見て、いつきも楽しそうな笑顔を零した。
確かにかなり旨い。この水っぽくも甘い味は、子供の舌には極上だ。うちの村の子らも病み付きになる事だろう。
農村の出生率は段々と減って来ていた。栄養不足などで子を授かっても生きて産んでやれる確率は低く、産まれてもすぐに死んでしまう確率は高い。
だからこそ子は宝だった。この前、稲作のとこに女子が無事産まれた時など、村をあげての祭になったくらいなのだ。
その女子は稲作の家で、母御にあやされながら和やかに眠っている事だろう。西瓜の汁くらい飲めないだろうか。

だからこそ、一揆は必要だった。
赤子が無事に幼子になり、大人へと成長してゆくために一揆は必要不可欠であった。

だが、そう決意した反面、戦など何故しなければならないのかという想いにも駆られる。

…もう無邪気な頃には戻れないのだな、とぼんやり思う。
かつて赤子だった自分。いつしか幼子となり、西瓜よりも重い大槌を振り上げ一揆の代表を名乗るようになった。
経緯だってある、決意にいたるまでの葛藤だってある。
後悔はするつもりもないが、こうして平和な日常に身をやつすと、ふと何か鬱積するような…といえ別段なにを振り払う訳でもない想いに駆られてしまうのだ。仕方ない。

普通の少女でありたい、などと思った事はなかった。
普通という概念からしてみれば、今の自分こそ普通で、それ以外は普通ではなく、時に羨望し時に嫌悪する他人の抱く普通だった。

まだ四分の三は残っている西瓜を眺める。確かに旨い。農村で育つ子供の舌には何より甘く感じる事だろう。
だが自らを見つめるように目を閉じた少女は、西瓜より遥かに甘い味を知っていた。
ただの砂糖の塊に色を付けたようなそれは、まだ子供である自分の舌にとってみれば正真正銘の極上の味がしたのだ。
覚えている。
否、忘れられはしない。

「あいつは今なにをしてるんだべかな」

一揆の代表である限り、記憶に浮かぶ少年が織田の元に仕える限り、戦は、衝突は、そして命を奪い合うことは避けて通れない事とわかっている。
だがいつきは、最後に少年と会った時をまるで昨日のことのように悠々と記憶に刻み付けていた。忘れられはしないし、忘れたいとも思わない。

「森蘭丸」

音になってしまわないように、息だけで名を呼んでみた。
立場も居場所も心構えも考え方も、なにもかも正反対の奴だけれど、どうしてか思ってしまう。
蘭丸ならば、自分のこの、確かでいて柔く軋めく気持ちがわかるのではないかと。

西瓜を食べ残し、後は皆で食てけろと言って縁側から降りる。
皆が集まり出した庭先は、何より輝いて見えた。

自分はこれを守り抜くために神から槌を授かった。
その運命を迷いなく受け入れた。
後悔なんて言葉は後にも先にもない。

雀は飛ぶ。燕も鵜も。
二人の間に、なんの違いがあるというのだろう。

大槌がどしんと音をたて大地に食い込む。
少し鍛練をし過ぎたようだった。腕が痺れ、汗が髪を濡らし頬を伝う。拭おうとした手は土にまみれていた。
日が暮れている。夕日に溶けながら鳴くカラスが、山へ飛んでゆく姿が見えた。

あの日、侵略して来た織田軍を辛うじて退けた日。
絶望と安堵の狭間で見た夕日と同じ色だ。
赤い。

ほおづきに似た、いつかの金米糖と同じ色。

「再会なんざ」

呟いた筈の声は掠れ、潰れ、あまりの酷さに笑いが漏れた。

「再会なんざいくさばでいかべ、いずれさ会う時がおら達のさよならだ。」

仲良くなった訳でねえ。
理解し合えた訳でもねえ。
むしろそんなもんとは程遠い真逆の関係さなっただけ。

「夢なんて見ねえよ必要ねえもの。見るならおら達農民のためだけの夢さ見る、明日を生きるためだけの夢を見る。お前さんとの夢なんざいらねえ。」

殴り付けるように吐き出した言葉は、だというのに無数の慈しみとなっていつきの元へ返って来た。
しばらく黙ってから、汗を拭い、土を払い、大槌をそのままに練習場を後にする。
誰も近付きはしない。
誰も近付いちゃいけない、ここはそんな場所だった。

迎えに来た稲作に手を振りながら、ふと、いつきは考えた。

ならばどうして、蘭丸はあそこに来たんだろうかと。
退けた日から暫くして、いつきは子供用の着物を、お古だが親衛隊の母御から貰った。
だが着なかった。着たくてたまらなかったが着なかった。
またあいつが馬鹿にしようとして来た時に、初めてお披露目してやるのだと決めていたからだ。
そんな日がいつ来るのかも知れぬまま。若かったのか、何か諦めに近い意地のようなものがあったのか、もはや覚えてはいない。ただひたすら着たい気持ちを我慢していた自分だけを覚えていた。

ある日の事だった。
かつて神から大槌を授かった場所は神聖な場所として、いつき以外が侵してはならぬ場所となっていたのだが、そこに明らかに昨日はなかった不思議な袋が落ちているのに気付く。
落ちていた?
違う、それはきちんと鎮座でもするようにいつも大槌を突き立て帰る場所に置かれてあったのだ。

警戒でもしそうなものだと今なら思う、だがあの時の自分には微塵もそんな思いはなく。
ただ見覚えのある色と形にだけ意識が向き、躊躇もなく拾い上げる。
淡い紫色をしたそれは、少々使い込んだ形跡があった。
中を開く。
中身をちらりと確認した瞬間、思わず言葉を失って立ち尽くした。

きらきらと輝きかわいいながら艶を放つそれが蘭丸の何よりの好物である事を知ったのはいつだったか。
いずれにしろ、その時の自分はそれを知っていて、素早く周りを見回したが、人の影など見当たらなくて、思わず名を呼んでしまった。
返事など返ってくる訳がなかったが。

一粒摘み、じっと眺める。
夕日に溶けるような赤。
何故かどうしようもなく泣きたくなって、笑えた。

確証なんてない。
だけどもし本当にあいつが来たのだとしたら(もしくは頼んだりなどしたのなら)
一体なんのために?

もう一度、大槌を振り返り駆け戻る。
稲作の呼ぶ声が聞こえたが、聞こえないふりをした。

大槌を掴み、振り上げ、天に向かって真っすぐに伸びる曲線を見る。

「神様、もひとつ願いを聞いてけろ。おら達の未来はないも同然だから、抵抗なんてしねえから。」

もう一度だけでいい、会わして欲しい。
誰かに殺される前に、会わして欲しい。
それが二人の終わりとわかっていても、せめて最後はこの手で。それ以外の死なんて見たくもないから。

精一杯叫んだ声はカナカナゼミの鳴き声に掻き消される程に細く流れてしまったけれど、きちんと聞いてくれたと信じている。

もしもお前さんが普通の少年で、おらが普通のおなごだったらば、普通に恋も出来たのだろうか。

いつきは腰布に縛り付けてあった紫の巾着をそっと手に取り、額に宛てた。

「おら達、もっと自由に」

迷いは消そう。
再び蘭丸に会うために。
想いも消そう。
再び一揆をまとめるために。

戦国の世は、すべてを飲み込み回り続ける。
止まる日が来るならばひとつ残らず燃えて灰となれ。





 
 

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