管理人の鑑賞記録

□第1回岡崎笑劇場
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【元になった民話】
「浄瑠璃姫と義経」
…浄瑠璃姫は、年老いても子どものなかった矢作の長者、兼高(かねたか)夫婦が、日頃から信仰していた鳳来寺の薬師浄瑠光如来(やくしるりこうにょらい)にお願いして授かった子と言われ、そのため浄瑠璃姫と名付けられ、たいそう美しく育ちました。
1174年3月、牛若丸(源義経)は、東北地方・奥州平泉の藤原秀衡をたよって旅を続ける途中、矢作の里を訪れ兼高長者の家に宿をとりました。
ある日、ふと一室から静かに聞こえてきた琴の音色に惹かれ、持っていた笛で吹き合わせたことから、いつしか二人の間に愛が芽生えました。
しかし義経は、東北へ旅立たねばならず、姫に名笛「薄墨」を形見に授け、矢作を去りました。姫は笛を大切にしていたが、義経を想う心は日毎に募るばかりで、後を追いかけました。しかし、女の足ではとうてい追いつけず、添うに添われぬ恋に、悲しみのあまり、ついに菅生川(すごうがわ)に身を投じて短い人生を終えました。時に姫は17歳であったといわれます。
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